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金魚草【短編小説/#うたスト】

“どうせ愛なんて どうせ愛なんて
咲かない花なのかな?
どうせ愛なんて どうせ愛なんて
ホントに 僕は 痛くないんだ
僕の姿は 枯れた 金魚草のように
不気味なのかな?”

 倉木翔(くらきしょう)は、イヤホンを耳からむしり取り、スマホの音楽を止めると、地図アプリを起動して場所を確認した。さっきから、マネージャーにはLINEも電話も繋がらない。
 音楽雑誌のインタビューと撮影。事務所からは、そう聞いていた。しかし現場に来てみると、先に着いて準備している筈のスタッフの姿が見えない。
「確かにここの筈なんだけど……」
 辺りを見回してみるが人影はなく、サングラスを外して胸元にかけた。彼は目の前にある建物を眺めた。

 コンクリートの無機質な建物。近代的な佇まいは美術館のようにも見え、真ん中の扉を挟んで左右対称に、細長い花壇が続いている。そこには赤や白やピンク色の金魚草が咲き乱れて、飾り気のないグレイの壁と好対照をなしている。正面に見える分厚いガラスの扉が観音開きにひらいていて、中の暗い空間がぽっかりと口を開けていた。

 ふいに扉の奥で何かが動いた、と見る間に、闇から溶け出したような人影がじわりと歩み出た。細身で長身、ジャケットとパンツ、シャツは黒一色で、顔だけが透き通るように白い。美しい顔を縁取る黒髪は、男にしては長めだが、女にも見える。
「倉木裕太(くらきゆうた)」
 人物から唐突に呼びかけられて、翔は絶句した。翔は芸名で、裕太は本名だ。声から人物は男と知れた。
「こちらへ」
 男はそれだけ言うと、くるりと背を向けて、建物に入っていく。翔──裕太は、慌ててその後を追った。

 中に入った途端に気温が数度下がり、裕太はヒヤリとした空気に思わず腕をさすった。廊下はがらんとして薄暗く、内装は剥き出しのコンクリートだ。壁に空いた細長い窓は低い位置にあり、そこから入ってくる光が、唯一の光源だった。高さ10センチほどの窓は廊下沿いにずっと続き、花壇の花の華やかな色合いが、暗い空間をステンドグラスのように照らしている。

 男は廊下の突き当たりで立ち止まると振り返り、裕太の顔を真正面から見た。冷ややかな視線に身体がこわばる。
「江川清彦(えがわきよひこ)を殺したな」
「!!」
 裕太は激しいショックを受けた。男は続けて「お前は昨夜、清彦と諍い、奴が動かなくなったところで逃げた。助けることもせず、誰にも知らせなかった」
「キヨは死んだのか……?」
 裕太は呆然と呟いた。男は素早く踏み込んで彼との距離を一気に詰めると、指先を裕太の額に軽く当てた。途端にそこから冷たい闇が全身に広がり、裕太の視界は闇に閉ざされた。

 闇の中にいたのは、実際には数秒だったかもしれない。先の方に光が差し込み一気に明るくなると、いつの間にか、裕太は高校の屋上に立っていた。目の前に、制服を着た少年が座り込み、こちらをビックリした顔で見ている。
『キヨ』
 裕太は驚愕して呟いた。目の前の清彦は、どう見ても高校生だ。
「江川清彦。重要な話がある」
 男の声がした。裕太はどうやら、男の視点から清彦を見ているようだ。自分の身体は認識できない。彼にできるのは呟くことと、思考することだけのようだ。清彦はイヤホンを握りしめた。「え? っと、あの、だ、誰ですか?」焦ると吃る喋り方は、今と変わらない。

「俺の名は遊鬼(ゆうき)。覚えなくていい。──俺は十年後のお前に借りがある。だから特別に、お前の人生の重要な分岐点に“時跳び”をして、ここに来た。いいかよく聞け。お前は今から十年後、倉木裕太に殺される」
「ええっ」
 清彦の戸惑いの表情が驚愕に歪んだ。
「お前は倉木裕太と二人でユニットを組んで音楽を作り、成功する。表向きは倉木裕太が歌と作詞作曲という事になっているが、曲を作っているのはお前だ。お前の存在は世間から隠されている。どういう取り決めになっていたか詳しくは知らん」

「……信じられない。だって……倉木君は、すごく、カッコいいし人気があって。陰キャの俺とは全然、別次元の人で。なのに俺と組んで? 成功ってデビューしたってこと? そんなこと……本当なら、すげえ嬉しいけど……」
 驚きのあまりか、清彦の吃音が消えている。

「お前たちが親しくなるキッカケが、この後に訪れる。お前が十七歳のいま、正体を伏せて配信している音楽。倉木はお前じゃないかと気づいて、確認しに来る。以前の世界線では、お前はここで倉木と意気投合し、次第に倉木から支配され、多くを搾取されてボロボロになる。だがお前は、離れようとしない。そして破滅する」
「……」
「倉木の問いに応えるな。そんなものは知らないと言え。ここで関わらなければ、将来の関わりもなくなる。お前には才能がある。倉木無しでも、いずれ世に出ることができるだろう」
「……」

 清彦は目を見開いて、じっと固まった。しばらくそのまま動かない。やがて、彼は苦しげな表情になり、目を伏せた。
「……き、き去年の、文化、祭で……おおれ、呼び込み、やらさ、れて……ど、吃るから、凄く嫌なんだ。でも、誰もわかってくれなくて……外で看板持って……ぜ、全然言葉、出てこない。まじ、ポンコツ……したら、倉木くんが、お面、持って来て『これ被ったら、ちょっとはマシ?……俺がしゃべるから、大丈夫』って……」

 清彦はますます苦しそうな顔になる。
「うれし、かった。凄く……お、おれほんと、に、入学の時から……倉木君、桜の下で、歩いてて。それだけ、なのに、綺麗で。堂々としてて。あんな風になりたいなって……だか、だから」

 清彦は言葉を切り、何度か深呼吸をした。
「ここ、で……拒否ったら……俺と倉木君、もう、な、何でもない……た、ただのクラスメイト……に、なる……でもっ応えたら……俺たち……ふ、二人で音楽作れる? 一緒に居られるの? ずっと? ……なら、それなら……」

「殺されると分かっていても、その道を選ぶというのか」
 清彦はしっかりと男の視線を捉えて、頷いた。

 俺は胸が締め付けられた。キヨ。これは俺の知らない世界線なのか?
 それとも、ああ、もしかして。キヨはいずれああなると知っていて、それでも俺と一緒に居ることを選んだっていうのか?

 ──俺は……俺がしたことは。

 遊鬼はため息をついた。
「……時間がない。“時跳び”は、多くの条件が揃わないとできない。いいか、忠告はした。選ぶのはお前だ。借りは返したぞ」
 目の前のキヨと辺りの景色がぐにゃりと歪み、像が混じり合いマーブル模様になって流れ、急速に暗くなり──……



「見つけた、江川」
 倉木が屋上に出てきた。俺はイヤホンを外した。彼は嬉しそうに、側まで来ると隣にしゃがんだ。そして、スマホを取り出して、音楽投稿サイトの音楽を再生する。
「な、この曲さあ、配信してるの、お前じゃない? 曲の合間にちょっとだけハミング入るじゃん? お前の声だと思うん。俺、自分で言うのもなんだけど、結構耳が良いつもりでさ……ねえ誰にも言わないから。教えてよ」

 俺は少しだけ考えた。
 ここで頷けば、十年後に俺は死ぬらしい。
 でも、人間、誰だって明日には死ぬかもしれないんだ。けど俺は、少なくとも十年は確約される。しかも、雲の上の存在だと思ってた憧れのひとと音楽を作れる。誰よりも近くで。

 ……うん。無理だ。
 どんなに考えても答えはひとつ。
 ここで応えないなんてこと、俺には無理だわ。

「バレたか。これ、秘密にして、くれる?」
 倉木の顔がパッと輝いた。
 遊鬼さん。ごめんなさい……でも俺、近くでこの顔、見続ける為なら、何でもできる。今だってもう、嬉し過ぎて死にそうになってるし。


 遊鬼の足元に、倉木は跪き、呆然と床を見つめている。遊鬼はどこからかスマホを取り出して、何かを確認し、微かに目を細める。
 そして倉木の後頭部を見下ろしながら、潰れた煙草の箱を引っ張り出すと、一本咥えて火をつけた。
「なぜ殺した?」

 遊鬼の静かな問いに、倉木は何度か唾を飲み、しわがれた声を出した。
「死ぬ、なんて……あいつが、曲を他のアーティストにも提供するなんて言うから……許せるかよ、そんなこと。キヨの曲を歌うのは俺じゃなきゃ……だって、他の奴が俺より上手く歌えたら。俺じゃなくてもいいって、あいつにも、他の奴らにも、分かっちゃう……」

「仕事になれば、自分たちのやりたいようにだけやるという訳にはいかないだろう。百も承知でプロになったんじゃないのか?」

「……俺たちの歌が……みんなに支持されるのは、すごく嬉しかった……でも、いつも曲のことだけ。曲がいい、泣ける、感動するって。んなこと誰より俺が一番わかってる。キヨの曲と詩は最高なんだ……でも、曲が褒められるたびに、俺じゃなくてもよくね? 俺がいる意味ってなんだ? って、思うようになっていった。二人で音楽を作ってるだけで楽しかったのに。段々、苦しくなって……あいつも、最初は吃音にコンプレックスがあって、前に出たがらなかったのに、最近は、他の奴らと飲みに行ったり……俺だけが……どこにも行けない」

 もうひとりの自分が、醒めた目で自分自身を眺めている。
 そうか。俺は自分だけが置いていかれる気がして、怖かったのか。
 あいつから要らないって言われるのが、怖かったんだな。

 必死で見ないようにしてきた、自分の弱さ。袋小路に思えたけど、そうじゃない。俺が自分の情けなさ、醜さに、もっと早く気づいて受け入れるべきだったんだ。

“どうせ愛なんて どうせ愛なんて
咲けない花なのかな?
僕の姿は 枯れた 金魚草のように
不気味なのかな?”

 あいつはずっと側に居てくれたのに。近すぎて、向き合うことが怖くなってた。

──でも、もう遅い……なにもかも。


「くだらなすぎて呆れるな」
 遊鬼は紫煙を長く吐き出した。特徴のある香りが辺りに漂った。
「つまり、お前が一番大事なものは、なんだ?」
「あいつと、音楽で一緒に仕事ができれば、それでいい」
「仕事か、清彦か。どちらかを選べと言われたら?」

 倉木は遊鬼を見上げた。
「キヨだ」




 遊鬼は立ったまま、倉木の顔前にスマホの画面を突きつけた。音声録音アプリが起動している。
「今の、みっともない自白を送った」
「……えっ?」
「江川清彦に」
 倉木は限界まで目を見開いた。遊鬼はスマホを操作し、耳に当てた。そして、音声を受け取った相手に問いかけた。
「お前はどうする?」
『俺は、とっくに、腹は決まってます。十年前から』
 倉木は勢いよく立ち上がり、遊鬼のスマホを奪い取った。
「キヨ!?」
『ユウ』
「生きて……っ……」
『軽く死にかけたけど? でも死ななかったな。歴史変えちゃったかも。けどさ、しばらく入院で動けないから、仕事はお前がなんとかしろよ』
「うんうん! ごめ、ごめん。本当ごめん」
『許す……いいからさ、もう。顔が見たいよ。早く来いって』
「どこいんだ、お前」
『山田病院。中目黒の』
 倉木はスマホを遊鬼に押しつけ、脱兎の如く駆け出した。その後ろ姿を見送り、遊鬼は紫煙を吐き出して呟いた。
「世界線が変わったか。良かったのか、悪かったのか……まあ俺にはもう関係ないか」


 渋谷の雑踏を、遊鬼は歩いている。

 先週、倉木翔が記者会見で清彦の存在を公にし、一年の活動休止を発表した。ふたりは今後、ソロ活動を増やしていくらしい。そしてユニット活動も継続するらしい。
『俺たちふたりの前向きな進化のための時間です。パワーアップして必ず再開しますので、待っていてください……』
 ニュースで見る彼らの顔は晴れやかで、仲の良さは画面越しにも伝わってきた。ファンも応援するという。

 彼がタバコを吸える場所を探して狭い脇道に入ると、隅っこのひび割れたプランターに金魚草の花が咲いているのが見えた。不意に、江川清彦の言葉が頭に蘇った。

(金魚草の、は、花言葉なんです。“推測ではやはりNO”。つまり、考えたけど、やっぱ無理ってこと。そ、それ知ったとき、めちゃ笑った。これ歌にするしかねえじゃんって)

 脇道を抜けると、すれ違う若者たちが口ずさんでいる歌が、彼の耳に届いた。

“君は答えてくれたね……考えてはみましたが……無理です”

 この歌はどこから来たのか。どんな曰くがあるのか。作り手の怒りや涙やときめき、ドラマ。生き様……そういった情報が必要だろうか?
──何も、必要ない。そんなものはなにも。


 ただ、誰かが歌を歌うこと。


 それが、歌を作る全てのものへの賛歌だ。


(完)

♫Ending music 「金魚草」<課題曲W>♫

金魚草
作詞  山田哲也
作曲  No.勇人
Vocal  No.勇人

教室で会った 君の健やかな姿
まだ気付かない 僕の姿
校庭には 桜の木
大空に舞う 春の花
あの時 君は もう目覚めていたのかな

少し話せた 僕はごまかした
この不思議な 感情
幸せな痛み 名前をつけた
追い出さず 暮らしてみた

どうせ愛なんて どうせ愛なんて
咲かない花なのかな?
どうせ愛なんて どうせ愛なんて
負けない 街に 負けたくないんだ
僕の姿は 綺麗な 金魚草のように
清純なのかな?

校庭で見ていた 君の明るいまなざし
もう気付いている 二人の僕
光輝く 太陽
仮面のような 花咲かせ
仮面の下の 僕の顔
あの時 君を ごめん 隠したかったのかな

姿変わらない 僕は笑った
この内気な 仮面を
君と出会った あの日生まれた
追い出さず 暮らしてみた

どうせ愛なんて どうせ愛なんて
咲かない花なのかな?
どうせ愛なんて どうせ愛なんて
ホントに 僕は 痛くないんだ
僕の姿は 枯れた 金魚草のように
不気味なのかな?

君は答えてくれたね
考えてはみましたが
無理です

どうせ愛なんて どうせ愛なんて
咲かない春なのかな?
どうせ愛なんて どうせ愛なんて
咲けない花なのかな?
僕の姿は 枯れた 金魚草のように
不気味なのかな?


⭐︎   ⭐︎   ⭐︎   ⭐︎   ⭐︎   ⭐︎

※ちなみに。
こちらの作品に出演する遊鬼さん、ここにも出てまーす!
すいませんPJさん、山田哲也さん、No.勇人さん。企画ものに自キャラを勝手に出してしまって💦 宜しけれバ!↓


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