おばさんと電車と死体【リレー小説/⑮】
第⑭話はこちら
ぼくは立ち上がって、騒ぎが起きている方向を眺めた。
ぼくと同じように、立ち上がっている人たちの頭がパーテーションから突き出ているのが見える。フロアの端のほうで、薄いピンク色のセーターを着た、髪が長くて背の高い女を、四人の警官が銃を構えて取り囲んでいる。女のセーターにはあちこちに赤い染みがついている。警官は制服を着ているのがふたり、私服がふたり。「落ち着け!」「抵抗はやめなさい。これ以上抵抗すると撃つぞ」とか、言葉をかけている。その後ろに警棒を構えた警備員がふたりいる。
まわりの人たちの「え、あれってナイフ?」「事件?!」という控えめなささやきと、苦痛に耐えるようなうめき声やすすり泣きが聞こえる。首や手に血が付いた人たちが、怯えた様子で出口のほうへ逃げていて、ドリームセンターの職員たちと救急の隊員が、怪我人を誘導している様子が見える。
通路をこちらに向かって走ってくる若い男の姿が視界に入り、ぼくはとっさに彼の行く手をふさいだ。男は「どけ!」と強引にぼくを押しのけようとする。ぼくはなおも男の前に立ちふさがり「ちょっと待って、あれってなにが起こってんの」と訊いた。男は早口で「あの女がまわりの奴らを襲ったんだ。ダイブ中のとこを片っ端から刺してまわったらしい。警備員が気がついて止めに入る前にたぶん10人以上刺された。もういいか、早くどけよ」
ぼくは道をあけ、逃げていく後ろ姿を目で追いながら呆然とした。夢じゃないよな現実だ。人が刺された?ええと、ぼくも逃げていいのかな?捜査員がいるとか救急車とか言ってたような。いやまあ、どっちもいたのかもしんないけど、近くで人が刺されたらそっちに行くよな。
ダイブから覚めて、立ち上がる人が増えてきた。スマホで動画を撮る人。出口のほうへ移動しながら電話をする人。ドリームダイブ施設の人たちと警察官がフロアに入りこんで、彼らに避難を呼びかけている。出入口付近は逃げようとする客たちと、担架をかかえた救急隊員、増えていく警官たちで混雑している。
隣のスペースから中年女性が立ち上がり、張りつめた表情で騒動のほうを見ていて、すぐ隣にいるスーツの若い女が彼女に話しかけた。
「危ないです、私と一緒に避難してください」
「……あれ、マイメロちゃんですよ」
ショートカットの若い女は目を細め、犯人の女をじっと観察した。「確かに。……間に合わなかったか、あ、ちょっと!」
おばさんは若い女をふりきって騒動のほうへ駆け出した。若い女は刑事だろうか、慌てて女性の後を追う。
ぼくは驚きながらも考えた。今の話。あのひと大場さんだよな。夢と同じグレイのワンピース。隣にいたのか……で、あの犯人の女がマイメロ?夢の中のラメ入りピンクのパーカーを思い出した。
『篠田はいずれ事件を起こすでしょう』CATの不吉な予言が的中したことになる。大場さん、まさか説得するつもりなのか?いやな予感が胸をしめつける。ぼくはパーテーションに隠れながら、そろそろとマイメロの方向に進みはじめた。
大場さんは通路を駆け抜け、どんどん犯人に近づいている。犯人を囲む警官が大場さんに気がつき動揺がひろがる。
「危険ですっ来ないで!」「ネコタお前なにやってんだ、早く止めろ!」
ネコタと呼ばれた女刑事が大場さんに追いついて、もみ合いになった。警備員ふたりがネコタに加勢する。大場さんは、両腕を抑えつけられながら大声で叫んだ。
「マイメロちゃん!」
犯人と警官たちの視線が一斉に大場さんに集まった。犯人がつぶやいた。
「クイーン……」
警官たちが犯人と大場さんを交互に見る。犯人……現実のマイメロは長い髪にロングスカートをはいていて、年齢も二十代後半くらいに見える。目の下に疲れたような隈が目立つ。彼女は大場さんを見てにっこり笑った。
「実際にやってみると夢と違って難しい。うまく刺さらないし、斬ってもスパっとは切り離せないし。リアルな人間って無駄に頑丈だよね」
大場さんは泣きそうな顔をした。
「ごめんねマイメロちゃん。あなたを犯罪者にしてしまった。私のせいだね……私も同罪。ううん私のほうがずっと罪が大きい。ねえ、私たちがおもちゃみたいにして遊んでいた“死”は、本物の死じゃないから。あれはあくまで、私の、生きてる人間の想像の死でしかないから。あんな風に、死をもてあそんじゃいけなかった。私が間違ってた」
マイメロは顔を歪ませて叫んだ。
「間違ってないってクイーン!私は、生きるのも死ぬのも、たいしたことないんだって分かってすごく楽になったんだから!人生、苦しんでまで生きる価値はないっていうだけのことじゃん。すごくシンプル。ここに来てる人たちって現実を忘れるために来てるんでしょ?ならさ、ダイブ中に永遠に向こうの世界に行ったままになるのって最高じゃない?究極の人助けだよねって思うんだけど」
大場さんは激しく首をふった。
「ちがう……あなたがしたことは、中嶋みたいな人を増やすだけ。ひとに害を加えただけで、誰の助けにもなってない。私がしたことも同じなの。私があなたと、ウサギや赤シャツや山猫にしたことはただの欺瞞で、私にとって都合がいいフィクションを、あなたたちにも信じ込ませていただけだった。何より最悪なのは、私自身それに気がついていたけど、気がつかないフリをしてたこと……ごめんなさい」大場さんの声に涙がからんだ。「ほ、んとに、ごめんね……マイメロちゃん、私たち現実で責任を取らなきゃ……」
大場さんの話を言葉を聞くうちに、マイメロの笑顔は消えてゆき、まったく無表情になった。そして「やめて」とつぶやいた。目を見開いて大場さんを見つめ、声を張りあげる。
「やめてよ!んなことあんたが言うの聞きたくないよ。ひどいよ、私を加害者扱いするのかよ!あんたも私の敵なの!?あんただけは本当の味方だと思ってたのにい」
動きは稲妻のようにすばやく一瞬で距離をつめて鋭く切りつけた。
反射的に上げた大場さんの右手は大きく切り裂かれた。
ワンピースの袖がぱっくり割れて血が飛び散り、警官たちが引金に指をかけるも大場さんとマイメロの距離が近すぎて発砲をためらった、コンマ数秒。
大場さんを守ろうとする警備員の腕の下をかいくぐり、低い位置から飛び込んだネコタはマイメロのナイフを逸らして腕を掴み、ひねるように投げ飛ばした。
すべては一瞬。
ぼくはポカンと口をあけて見惚れていた。
「千鳥!」と大声で叫びながら紺色のスーツ姿の男が飛び込んできて、大場さんに駆け寄った。この呼びかけは中嶋だろう。大場さんは真っ青になり、切られた腕を押さえてしゃがみ込んだ。
マイメロはネコタに腕を捕まれたまま、呆然とその場に寝転がっている。
凶器のナイフは床に落ちている。
ネコタはもう片方の手で手錠を出して、マイメロの両手首に手錠をかけた。
「確保っ」
警官と警備員たちが一斉に動きだした。
「犯人確保おっ」「応急処置だ!」「大丈夫ですかっ」「救急!担架こっちっ」
にわかに場が騒がしくなった。大場さんは、警官ふたりに両脇を抱えられたマイメロに声をかけた。
「マイメロちゃん!会いに行くからね。私たち今度はこれからの話をするの。一緒に生きる話を。絶対行くから待ってて」
「クイーン……ごめん」
顔をくしゃくしゃに歪めて激しく泣き出したマイメロに大場さんは笑いかけた。マイメロがその場を離れると、救急隊員に囲まれながらつぶやいた。
「あー……いったーい。やっぱ現実で切られると痛いわあ……」青い顔で中嶋にニヤリと笑って見せた。「生きてるって感じ、すごいする」
中嶋は複雑な表情をした。泣き笑いと、渋い顔と、ホッとしたのを混ぜたみたいな。そしてきっぱり言った。
「俺さ、ダイブは二度としない。千鳥……ありがとう」
警官がどっと増えて、大場さんと中嶋の姿が見えなくなった。
ぼくは、個室スペースに置いてきた財布やスマホやカバンのことを思い出した。あわてて振り返ったとき、至近距離にネコタ刑事がいてビクッとする。向き合うとネコタ刑事は、ぼくよりかなり身長が低い。にもかかわらず、彼女から発散する強い生気というか元気のいいオーラみたいなものが、ぼくを圧倒した。
ネコタ刑事はくりっとした目でぼくを数秒間じろじろみてから軽く会釈をした。「井上さん、警視庁の猫田と申します。救急車で病院に向かう予定だったんですけど、この近辺の救急車は出払ってしまったんで。うちの公用車で提携してる病院にお送りします。荷物は?そこですか。貴重品忘れずに……さあ急いで、メディアが集まり始めた」
テキパキ言うと、背を向けて歩き出した。小柄なスーツ姿の後についてゆきながら思った。なんかこの話し方、既視感あるな……。猫田刑事は、受付の奥にあるマシンルームに出入りしている、警察の技術者らしき人と二言三言、言葉を交わした。CATが入っている機械を繋いでいたのかもしれない。警官と野次馬とセンターの職員と、関係者で混雑する出入口付近を通り過ぎて、従業員用の出入口に向かう。
パトカーに乗るのは初めてで、犯罪者にでもなった気分で落ち着かない。猫田さんがひとりで運転していて助手席にひとはおらず、タブレットナビの音声の合間に無線の声が小さく聞こえる。警察無線かな、ドラマとかでよくあるやつだ。
時刻は夕方にさしかかり、窓の向こうにオレンジ色に染まる雲が見えた。こんな機会はそうないだろうし、思い切って訊いてみよう。
「あのお、猫田さん」
「はい」
「ダイブ中に、警察のプログラムを名乗るCATっていう……人に、会ったんですけど。その映像とか見ました?」
「見てました」
「もしかして猫田さんって、そのプログラム作った人ですか」
ルームミラーの中で、猫田さんと一瞬、目が合った。
「なんでそう思うんですか」
「雰囲気とか話し方が、猫田さんとCAT、似てるなって思って」
「……ふっ」
いま笑った?ぼくは運転席のシートをまじまじと見た。猫田さんはさらっと「リアルタイムで遠隔操作してました」といった。
「ええっ!そんなことが可能なんですか」
「まだ試運転っていうか。本格的な運用までは時間がかかるんですけど。できるんですよ」
「AIでも、しゃべってたのは人間?」
「ひとの夢に人工的に介入したり、悪さするプログラムを見つけて対処するのはコンピュータの仕事なんだけど。人間がアバターを操作することはできるんだよね。……これメディアには極秘でお願いしますね」
「まんまSF小説」
「私も同じこと思った」
鏡のなかの猫田さんは微笑んだ。窓の外の光をうけて、彼女の眼がほんの一瞬、金色に光った。
ぼくの心臓はどきんと跳ねた。
第⑯話(終)に続く→
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