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弔いと諍い

※[囀る鳥は羽ばたかない 二次創作]
矢代と影山 高校時代〜現在

 下校時、陽炎の揺らめく真夏の川縁の道を矢代と影山が歩いていると、ふと何かに気づいたように矢代が立ち止まった。
「どうした?」
影山の問いに答えず、そのまま周囲に目を走らせていた矢代の目がある一点を捉えた。……それは草むらに捨てられた汚れた紙袋、のように見えた。
 矢代が袋を30センチ程持ち上げてみると、地面に付いていた部分に赤黒いものがベッタリくっついているのが見えた。……血。
影山も血の匂いに気づき、厳しい顔になる。
きつく縛った袋の封を解き、三重になった紙袋をそっと開ける。
むせるような血の匂いが漂う。中には血塗れの毛の塊が入っていた。所々に白いものも見える。骨のようだ。塊は僅かに震えた。
「まだ生きてる。……多分、子猫だ」
矢代は言うと影山の顔を見る。影山は沈痛な面持ちで答える。
「……いや、もたないだろ。……もうじき死ぬ」
2人はそのままじっと佇んでいた。まもなく塊は動かなくなった。

 草むらの中にポツポツ生えている灌木の根本に、枝で穴を掘っていると、あっという間に2人とも、水を浴びたように汗で濡れそぼった。
 制服のシャツを汗と泥まみれにして穴を掘り終えると、そっと袋から骸を出して穴の底に横たえる。影山は小さな骸に手を合わせた。矢代は無言のまま、じっと見つめる。

 土を被せて埋葬を終えると、矢代は紙袋を拾い上げた。袋の表面には、無数の靴裏の跡が残っている。おそらく猫を袋に入れたまま蹴り殺したのだろう。影山が携帯を取り出して写真を撮ろうとするのに気付いて矢代は慌てて袋を体の後ろに隠した。
「ちょ、写メなんか撮ってどーすんだよ」
「靴の底の模様から犯人が分かるかも」
「はぁ!? 街中の人間の靴底と照らし合わせるつもりかよ。無理に決まってんじゃん」
「この道は俺たちの学校の生徒が多勢通る。生徒に絞って靴底を見て回れば運が良ければ見つかるかもしれない」
「え〜っ……」
 影山が紙袋を奪い取ろうとし、2人は束の間、揉み合いになる。隙を見て矢代は紙袋を丸めると河に放り投げた。
「!! おいっ……」
 影山が袋を追って水に入りそうな素振りを見せ、矢代は必死で影山を後ろから羽交い締めにする。
「やめろって! もう充分だって! 袋に閉じ込められたまま死ぬのだけはヤダけど出して貰えたから! もーそれだけで……」
影山は矢代を振り返る。
「お前は何でそう言えるんだ?」
矢代は上を見上げて考えを巡らせる。
「えっと、何か声が聴こえたような気がしてさー、何だろねコレ、超能力とか?」
「最初に見つけたのもそれだって言うのか?……もう離せ」
矢代は手を離すとヘラっと笑ってみせる。

 草むらから道に戻ると、辺りは夕闇に包まれていた。2人は踏切の前までくると、立ち止まった。
「……あの猫を殺した奴みたいにさ」
ふいに矢代が喋り出した。
「何かの生殺与奪権みたいなモンをさ、自分が握ってるってどんな感じなのかなぁー……」
「おい矢代」
「や、俺はやんないよー、ただ、どんななのかなって思っただけ。ヘンな事言って悪りぃ。んじゃね」
 矢代は線路を渡ると振り返って手をヒラヒラと降った。ふいにけたたましい音を立てて踏切が鳴り出し、遮断機が矢代を見送る影山の前に降りてきて、2人を分かつ。


 風呂場で影山は、帰り道の出来事をぼんやり振り返った。穴の底に横たわる骸……流されてゆく紙袋。
(……袋に閉じ込められたまま死ぬのだけはヤダけど出して貰えたから……)
(何かの生殺与奪権みたいなモンをさ……自分が握ってるって……)
 長袖のシャツで、矢代がいつも隠している傷痕。生殺与奪権を握られている方の気持ちは、良く知っているのだろうか……

 一度、矢代の前で『児童相談所』の言葉を持ち出だした事がある。矢代は義父の性癖と自分の嗜虐趣味についてヘラヘラした調子で語り出したが、影山が引かないと見ると、困った顔をした。
「ああいう所に通報されちゃうとさーこの学校に通えなくなるかもしれないからさぁ。ちょっとそれは勘弁っていうか」
「お前、この学校がそんなに好きなのか?」
「まー学校っていうかねー……」
「何だ。誰か好きな奴でも居るのか」
一瞬、不意を突かれたように黙り込んだ後、矢代は笑い出した。
「そうそう! オレ影山の事大好きだからさぁ〜」
ふざけて抱きつかれた影山は首に巻きつく手を押しのけながら
「俺は真面目に話してるんだ!」
「……なあ頼むよ」
矢代の静かな声色に、思わず顔を見る。
「俺を助けようとしてくれるなら、このままにしといてくれよ。……頼む、影山」
いつになく真剣な懇願に、本当にヤバいと判断したら通報する、と矢代に言い渡してその場は終わったのだったが…


 後ろから襟首を掴まれて影山はよろけ、手に持った靴を取り落としそうになる。
「何をする」
「お前こそ何やってんだよ」
マジに怒るなんてエネルギーのムダー、と普段何を言われてもヘラヘラしている矢代が、珍しく真面目な顔でこちらを睨んでいる。
「体育サボって何してんのかと思えば……靴、調べてんのかよ、そんな事何の意味が」
「俺の自己満足だ」
言い切られて矢代は呆気にとられ、顔に怒りの色がさす。
「お前のその謎の正義感、やめろマジで! 誰かに見つかって誤解されたらどうすんだよ。なんて言い訳する気だ?」
「正直に起こった事を話す」
矢代は影山の腕を掴むと強引に昇降口から連れ出す。
「……お前は正しい事してるつもりで気持ちいーかもしんねーけど、下手してトラブルになったら内申に傷がつくだろ、医学部に行くんだろお前は」
「お前、俺を心配してくれてるのか?」
「俺のせいでお前の受験がパーになったら一生お前を恨むからな」
「なんか日本語がおかしいぞ」
階段の奥の目立たない隅で矢代は乱暴に影山の腕を離した
「もうすんなよ。何かあったら、俺はあの猫を弔った事を後悔するし、そんな風に考える自分のこともイヤになる」
「俺が勝手にやってる事だ。何かあっても自業自得だし、嫌うなら融通のきかない俺を嫌えばいい」

一瞬。
矢代の顔から拭ったように表情が消え、顔色が蒼白になる。

「……そっ……できるなら ……オレ、が…」

 矢代は、喉に何かつかえたように手を当てる。その手は微かに震えていた。くるりと踵を返すと、足早にその場を去って行った。
 影山はその場を暫く動けなかった。自分が相手の心を深く……取り返しのつかない程深く、傷つけた事が分かった。


 次の日、矢代は学校を休んだ。
影山はノートを持っていくことを口実に矢代の住所を教員から聞き出し、その場所を訪ねてみた。呼び鈴を押しても誰も出てこない。人の気配は無かった。

 ……その次の日。矢代は2時限が終わる頃、登校してきた。明らかに矢代は影山を避けていた。近づかず、目を合わせず、影山が近づく気配があると席を離れて教室を出ていった。

 校門を出たところで矢代に追いつき、影山は矢代の肩を後ろから掴んだ。
「おい! 待てっ」
「……っ」
矢代は痛そうに顔を歪める。
「お前、怪我してるのか?」
「関係ない」
「矢代、こないだはすまない。嫌えば良いって言葉は撤回する。お前に嫌われたくない」
「……」
矢代は歩き出す。影山もその後を追い、隣に並ぶと、暫く無言のまま、川縁の道を歩いた。数刻後、影山は口を開いた。
「……お前、その怪我」
「ギャクタイとかじゃないからー。単なる気晴らし」
「……」
「何、説教でもする気ー?」
「いや……」
再び沈黙が続く。次に口を開いたのも影山だった。
「済まなかった。許してくれ」
「……こないだのアレね。めちゃくちゃ傷付いたから、俺。一晩泣き明かしたもん」
「すまん」
「言葉だけじゃなくてさ……誠意見せろよ影山」
矢代は意地が悪そうな笑みを薄く浮かべている。
「誠意って何だ」
「自分で考えたらぁ」
「……」
この間、猫を弔った場所を通り過ぎた。影山はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……1日だけ、お前の言う事を何でも聞く」
矢代の足が止まった。
「ん〜?よく聞こえなかった、もっかい言って」
「1日だけお前の言う事を何でも聞く!」
矢代は邪悪な笑みを浮かべた。-----------影山は早くも後悔していた。嫌な予感しかしない。


 探し物をしていた久我がふいに素っ頓狂な声をあげた。
「うわオッさん! これオッさんと矢代だろ!? 若っけー! いつぐらい? 高校生?」
「あっ! コラ寄越せ!」
写真を奪い取ろうとする影山の腕を払って久我はなおも続ける
「メイドカフェ? へー2人でこんなとこ行ったことあんの、意外〜! オッさんあからさまに嫌そうな顔してんなぁ」
写真には、メイド2人、真っ赤になって仏頂面の影山、満面の笑みの矢代が写っていた。全員両手を組み合わせてハート形を作っている。
 影山は可笑しそうに笑う久我から写真を取り上げる。
「罰ゲームで仕方なく付き合っただけだ」
「まあまあ、いー写真じゃん。……矢代のやつ、こーして笑ってると可愛いなぁ。今じゃ想像出来ねーけど」
言われて思わず影山も写真を見る。この無邪気に笑っている青年が、撮影の数年後にヤクザになるとは、とうてい思えない。

 あの翌日、矢代に無理やり連れて行かれたメイドカフェで、メイドに可愛い振り付けを一緒にやるようお願いされて真っ赤になったり、噛み合わない会話をする影山を見て、矢代は笑い転げていた。
その日は一日中腹を抱えて笑い、その後3日は『笑い過ぎて腹筋が筋肉痛〜痛てぇ』と言いながら思い出して笑った。
 影山はその度に非常に居心地の悪い思いをしたが、内心、こんなに矢代の笑顔を見たのは初めてだ、とも思った。
「俺、こんなに笑ったの生まれて初めて」と本人も言っていたので、矢代の、あの笑顔を見た人間は、この世で自分1人だろう。

……そう思うと複雑な気持ちになる。

 長い付き合いだが、この後、彼のこういう笑顔を見る事は二度となかった。現在の矢代は、常に薄ら笑みを顔に貼り付かせているが、隠しきれない冷たさがそこにはあった。
 影山と2人の時は、それでもまだ昔の面影があったが、部下を連れて病院に来る矢代は、その美貌と裏腹に、すっかり暴力の世界で生きる男になっている。

 影山は写真を丁寧にしまい込んだ。矢代と写ったスナップショットはこれしかない。あとは無味乾燥な卒業アルバムのクラス写真。修学旅行も林間学校も、課外活動を矢代は軒並み欠席していた。
久我が後ろから抱きついてくる。
「何だかんだ言ってオッさん、矢代の事大事にしてるよなーちょっと妬ける」
「アホ。そんなんじゃねーよ」
久我がまた笑い、振動が身体越しに伝わってくる。ガキの頃しんどい思いをしている筈だが、こいつはよく笑うよな、と影山は思う。

 一度だけ通りすがりに、組事務所前に横付けされた車から、初老の貫禄のある男と矢代が降りてきた所を見たことがあった。粗暴な雰囲気を纏わせた男達が傅く中を事務所に入っていく男と矢代。
 黒い鳩の群れの中に一羽だけ白い鳩が混じっているような。美しいがどこか非現実的な光景。
 アイツが今いる世界は間違いなくあちら側なんだと……見慣れた筈の横顔の冷たさに背筋が寒くなった事を思い出す。
 最近の矢代は特に、誰とも触れ合わず、暗闇に沈んでいく一方に思えて、心配だった。

 久我の身体を抱きしめる。こんな風に、自分でも思ってもみなかった嵐が突然訪れて、抵抗する間も無くアイツを何処かにさらっていってくれないだろうか。
今居る、あの世界から。

 影山の腕の中で久我は顔を上げた。
「それこそ運命って奴だよな」
「何?」
「いやなんか今、心の声が聞こえた気がして、超能力?」
 影山はどきりとし、以前にもどこかで聞いたような台詞だ、と思った。


<fin>

※画像は「きありは囀りたい。」様からお借りしました。ありがとうございます

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