見出し画像

水彩画の街【BL短編小説/#うたスト】

 映像に魅せられた人間は映画を撮らずにはいられない。写真に魅せられた人間が写真を撮影するように。音楽に魅せられた人間が楽器を演奏するように。

 俺は映画館の座席のど真ん中に座り、自分の撮った映像が上映されるのを待った。待ちに待ったイベントの筈なのに、胸の中に黒々とした想いが渦巻いている……分かるのはただ、その闇が重い鎖になって、次に進むことができないということ。
 じわりと照明が落ちる。重苦しい気持ちを抱えたまま、俺はスクリーンに向き合った。

「賢人(けんと)、これ。ちょっと早いけど誕プレ。おめでと」
 照れ臭そうな顔をした涼(りょう)が、俺に渡してくれた写真集。直後に彼の顔がフレームアウトして視点が低くなり、テーブルの天板の一部と窓が視界に入って静止する。俺の声だけが、その絵に被さる。
「すげえ、これどこで見つけた? この写真集、ネットにもなかなか出てこないのに」
「たまたま、古本屋で見つけて……」

  観客は俺一人だけ。このミニシアターは、今週末で閉館することになっている。ここのオーナー、白田睦月(シロタムツキ)とは、かつて付き合ったことがあり、今も歳の離れた友人として仲がいい。
 彼は、劇場を取り壊す前に、お前が撮った映像を無償で上映してやる、昔のよしみで。と言ってきた。失意のどん底にいた俺を励まそうという意図は明白だったけど、飛び上がるくらい嬉しかった。映画を撮ってる人間で、自分の作品が劇場にかかることを夢見ない人間は、いないだろう。

 俺が作ったおでん鍋が食卓に置かれ、涼は鍋の蓋を取って驚く。
「えっ、何これぇ」
 湯気の立つ鍋の中には、大根や練物と一緒に、真っ赤な丸ごとトマトが二個、並んでいる。
「トマトだ」
「トマト!? おでんにトマトとか、アリなの?」
「うまいよ。俺ん家では定番だった」
「ほんと……?」
 涼は疑わしそうな表情で、柔らかく煮込まれたトマトを鍋から自分の取り皿にうつした。そして、レンゲで少し掬い取り、ふうふう言いながら口に含む。疑わしそうな表情が、驚きから、微笑みに変わった。
「えーやば、うまいわ」
「だろ。和でもイケルよ、トマトは」
 得意げな俺の声。カメラのスイッチが切られ、次の映像に切り替わる。

 暗い館内に一瞬、光がさす。誰かが館内に入ってきたのだ。そいつは俺の隣に座った。睦月だ。
 彼は俺より二十以上歳上で、とある試写会でナンパされ、数ヶ月だけ付き合った。金持ちってのは、何もしなくても向こうから女が(男も)寄ってくるので、たまには毛色の変わった奴と遊びたくなるらしい。睦月は「賢人、どう? 映画館で観るとやっぱ違う?」と、俺の耳元で囁いた。俺はそれに答えず、目をスクリーンから逸らさない。

 涼は、ファストフードの店内から、霧雨にけぶる外の景色を眺めている。白いプラスチックのテーブルに頬杖をついて、カップに入った湯気のたつコーヒーを啜りながら。ザーという微かな雨の音と、辺りを憚るように小さな俺の声。
「涼はさ、雨が好きなの?」
 涼は視線だけをこちらに向けた。瞳が鉛色に鈍く輝き、また雨のほうに向けられる。
「なんか、この季節の……雨に景色がぼやけてる感じとか、濡れた街の匂いとかが好きなんだよね……雨って世界をひとつにまとめるって思わない? 隙間を埋めるというか、モノやヒトを「雨」っていう空間に閉じ込めるみたいな……まるで一枚の水彩画になったみたいに」

 こうしている時の涼の顔はどこか、寄るべない幼い子供のようで、それを見ると俺はいつも、少し胸が苦しくなった。今も苦しい。当時とはまた、違う意味で。

 周りに誰もいないからだろう。睦月の声は普通のボリュームだ。
「こいつがお前をフった男か……かわいい顔してんじゃん。セルフドキュメンタリーってやつ? はっ、自分で撮った映像を自分で観るとか。オナニーだよなあ。映画撮る奴ってのは要するにナルシストで、しかもマゾなんだろうな」
 俺はチラリと睦月を見た。特にコメントせずに、スクリーンに視線を戻す。
……確かにな。映画に限らず、全てのヒトの表現物は、そういう側面があるんじゃないだろうか。自分を語り、自分を見せて、他人の目を乞う。
 ひとは結局のところ、自分のガワから出ることはできない。でも、錯覚だとしても、心を分かち合いたい、繋がりたいという気持ちを表明せずにはいられないんじゃないか……。

 俺と睦月はスクリーンを見つめた。話をする涼。怒ったり、照れたり、笑ったり、困った顔をしたり。次々と思い出が溢れてきて、いつしか俺は、微笑んでいた。
 ……この時の俺たちは、たしかにお互い想い合っていた。

 俺の胸の中に、ひんやりして快い波が幾度も打ち寄せる。真っ黒に焦げ付いてブスブスと燻る部分が少しづつ洗い流されて、鎮まってゆくのを感じる。
 気分が落ち着いてから、改めて睦月の顔を見ると、なんともいえない複雑な表情だ。元カレが他の奴と居る映像なんて見たくないだろうに。申し訳ない気持ちで胸が一杯になる。
「ありがとう、睦月」
 睦月は劇場の出口の方を振り返った。俺もつられてそちらを見る。
 扉の前に立っているのは涼だった。彼の張りつめた表情が、スクリーンの光に照らされて浮かび上がった。
「涼!」
 俺は思わず立ち上がり、睦月の前を通り過ぎて、涼の方へ向かって歩いた。そして目の前に立った。涼。涼に会えた。
涼はこちらとスクリーンを交互に見ている。逡巡している様子が見えた。

 不意に笑い声が響き渡った。場内が青色に染まる。スクリーンには紺碧の海が広がり、俺たちは防波堤の上に立って海を眺めている。伊豆に旅行に行った時の映像だ。二人で行った、最初で最後の。

 暗闇の中に立ち尽くす涼は、それをじっと見つめた。眩しそうに。
 俺は彼の瞳に映る海を覗き込んだ。

「涼。おれ、行けそうだ。お前に逢えて良かった。ありがとう……」

 俺は彼に手を伸ばした。触れることはできない。涼を通り過ぎて、劇場の扉を抜けた。ラピスラズリの光が溢れて世界中を覆い、俺を包みこんだ。

──このまま海に溶け込んでゆくのかもしれない。



「はじめまして。白田睦月です。と言っても、すでに君の姿を一時間は見続けてるから、初めてって気がしないな。さあ、座って」
 睦月さんは席から大声で呼びかけてきた。僕は睦月さんの隣の席に、額に納められた板状のものが載っているのに気づいた。スクリーンの青い海がガラスの表面に映り込んでいる。目を凝らすと上半身が写った写真が見えた。

 賢人の遺影。

 睦月さんは僕の視線をたどり、肩をすくめた。
「元々、劇場を閉じる前に、あいつに一日貸してやるって話には、なってたんだ。あいつがそこでなにをかけるつもりだったかは知らない。けど、ああいうことになったから。俺が勝手に選んだよ。これは最後にカメラに入ってた奴」
 睦月さんは大きく溜息をついた。彼の表面を覆っていた冷笑的な態度が崩れて、弱々しい表情が覗く。僕は席の間を歩き、彼と遺影の隣に座った。
「白石さん、半年前に賢人と別れてからのこと、僕は知らないんです。ニュースで見てビックリして。賢人は、精神科に通っていたんですか?」
「君と別れてから、あいつ、撮れないって悩んでてさ。拗らせてちょっと鬱っぽくなっちゃって。俺から医者を勧めて、カウンセリングに通い始めて……けど、それが結局は、あいつを殺す結果になっちゃったけど」
 僕はかぶりを振った。
「白石さんのせいじゃないです。ただ、巡り合わせが悪かった。それだけです」
 睦月さんは悲しげに微笑むと、スクリーンの方を見た。
「あいつ映画をやめるって言ってた。もう無理だって。でもさ、生きてたら、やっぱ撮り続けてたんじゃないかなぁ」
「同感です。カメラ構えてない賢人の姿を想像できません」
「うん……これ観ててさ、良く分かったよ。あいつ幸せだったんだな。まあ俺と賢人は、友達の時期の方が長いけどさ……こんな風にあいつのこと悼んでやれるのは……俺ら、だけだと……思うから」
 睦月さんの声が震えた。

「平日だってのに、結構人がいるよなあ」
 賢人がカメラに向かって笑った。この時は、僕がカメラを構えて彼を撮っている。背後には海。砂浜にはそこかしこで、カップルや家族連れが波と戯れている。六月で、まだ海に入るには時期が早い。僕たちは波打ち際で、足指の間を抜けてゆく砂と波の感触を楽しんだ。
「カメラ落とすなよ」
 賢人はいたずらっぽい表情でこちらに手を伸ばす。彼の姿が不意にフレームから外れて、海の沖合いが映った。僕の声がした。
「ちょっと、人いるから」
「照れるなって。見られてもいいじゃん」
「バカ」
 カメラが大きく動いて、不意に僕の姿がフレームインした。この時は賢人がいきなりキスをしてきて、慌てた僕からカメラを取り返したんだ。
「好きだよ」
 賢人の声。僕は顔を紅潮させ、熱っぽい目でこちらを見て言った。
「僕も」

 この時の僕たちは、たしかにお互い想い合っていた。映像がぼやけ、目から涙が溢れるのを感じた。好きだったよ賢人、自分でも怖くなるくらい大好きだった。君を忘れない。

 映画は消えない光をこの世に刻む。
 光の中の彼はこのままの姿で。ずっと。永遠に。



「岬 賢人さん。二番診察室にお入り下さい」
 俺が名前を呼ばれて、ロビーのソファから立ち上がった時。精神科のロビーに入って来た男は、着ていたコートを捲り上げて、脇に挟んだ小さめのポリタンクから、無造作に液体を周囲に撒き始めた。刺激臭がたちのぼる。
 患者が何人か悲鳴をあげ、受付の看護婦が慌ててどこかに電話をし、奥の診察室に数人の患者が走って行く。同時に男の看護師が彼を止めようと駆け寄って揉み合いになった、が、男は隙を見てポケットからライターを取り出し床に放った。
 一瞬でオレンジ色の炎の絨毯が床に拡がり、ソファに燃え移った。息が詰まりそうな異臭と濃い煙、渦巻く炎が空間を満たした。

 男は最初に入り口付近に液体を撒いていたので、すでに出入り口は火に包まれ、俺とその場に居た数人の患者は呆然としながらも、炎と煙から鼻と口を守ろうと、腕を顔に押し付け、逃げ場を求めて左右を見回した。

 男は両手を広げて、仁王立ちになり、叫んだ。
「ごめんなあ、俺と一緒に死んでくれ! 俺さ、こんなに誰かと一緒に居たいって思ったの初めてなんだよ!」
 熱風が吹き荒れ、カーペットやカーテンが炎を上げてはためく。辺りは悲鳴と怒号に満ちている。男の身体に火が燃え移り、足元から胴体、髪の毛へと炎の舌が伸びてゆく。
 俺はその姿に圧倒された。全身を紅蓮の焔に包まれた男は、燃え盛る十字架と化してその場に立ち続けている。それでもなお、男の目は光を失っていない。俺は息をすることも忘れて男を見つめる。

 凄い。凄まじい。
 ああなんで手元にカメラが無いんだ。こんな凄い画を撮れるチャンスは二度と無い。
 脳裏に、走馬灯のように絵コンテが迸った。圧倒的な確信と共に俺は歓喜した。


 映画が撮れる。

 間違いなく、次は凄い作品になる。




(完/ 4431文字)

♫Ending music 「水彩画の街」<課題曲G> ソーダ・ヒロ♫

【歌詞】
ふとした時いつも 古ぼけた日々を
見つめ合うだまし絵のように
初めからいなかったような
ガラス窓の向こうの あの愛の真似事を
揺れながら重ね合ったね
お別れも口移しで言って
膨れた笑みが優しくて 僕の冷えた眼に濡れた熱が溢れた
降り出す小雨が水彩画のような街を作るんだと知り得たら
君が過ぎ去ったモノトーンの悲しみもいつか光をくれるかな

時は誰を映し出すの 客人を待つ椅子を並べ
愛しさの影が頬杖つくの 見つめ合えた日々を他愛のない話を

胸に積まれた言葉が行き先を探し 揺れた口許をからかうから
君の語りかけた瞳の鉛色が雨の気配を纏う度
降り出す小雨が水彩画のような街を作るんだと知り得たら
君が過ぎ去ったモノトーンの悲しみもいつか光をくれるかな
消えない光をくれるかな


いいなと思ったら応援しよう!