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北北西の声を見に

持っていくつもりだった本を忘れたことを引きずりながら、夜に羽田を発つ。空では頭痛をロキソニンでなだめ、寝て起きたヘルシンキでは快調。愛すべきはロキソニン。留学してた頃は、13時間だろうと枕とテーブルがあれば食事もせずに寝通せたのに、今じゃエコノミーは少し窮屈。やはり太ったのだろうか。乗り継ぎゲート前のぐらつくベンチに腰を掛け、サンドイッチをつまみ、飛行機は目的地のアイスランド、ケプラヴィーク国際空港へ。空の窓辺には霜。地面が近づく頃には朝の9時になるというのにまだ暗く、太陽が見えたのは入国して少ししてから。薄紫の空の下、レイキャヴィク行きのFlyバスを一本逃し、仕方がないので借りたカメラを充電しながらバスを待っていると、昼前頃には太陽が出ていた。次のバスに乗ると空港から首都レイキャヴィクまで1時間ほど。バスターミナルに着いて、初めてレイキャヴィクに足を下ろす。在学中から来たいと思っていた国だが、やっと来れたと安堵。滞在日数は4日。といっても、最終日は朝の飛行機に乗るので、実際に動けるのは到着した今日を含めて3日間。なんとなく、だけれどね。

クプラヴィーク空港から一歩

街は静かで、空気は乾燥している。思ったよりも寒くはない。雲一つない快晴で、風が無いからだろうが、3℃といったら寒い日の東京と大差無い。バスを乗り換えホテルを目指してもよかったのだが、大して遠くもないのに絶妙にアクセスが悪い。ので歩く。塔のように高い教会が住宅の上から顔を覗かせているが、スーツケースを押しながら行く気も起きないので真っ直ぐホテルへ。海沿いのホテルを選んだから、近づくに連れチラホラと隙間から見える。スーツケースを押しながら坂を登り、見下ろす形。

トリミングするのも面倒なので、写真は全て撮ったきり。許して。

信号というものがやけに少ない。大きい道か、人通りが多い道以外は見かけない。十字路では車が円を描くようにそれぞれの道へと逸れていく。歩行者が渡ろうとすれば、車は停まる。雪国故に車が多くて、唯一の公共交通であるバスも多く走っている国でこれだけ信号がないのは日本に慣れていると少し奇妙な光景だ。

チェックインまで時間が空いたので、荷物を預けて外へ。本当はシャワーを浴びて着替えるだけでもしたかったが、部屋の準備ができてないらしい。無駄にする時間はないので、本題を片づけに行く。バスに乗る、反対方向。早速時間を無駄にしたが、いい経験。バスにはアプリで乗車賃を払い、バーコードを発行してから1時間半は何度でも乗れる。端から端まで行って帰ってこようが、目の前の家の向こうまで乗ろうが670クローネ(740円程度)だ。

市販の水筒は手入れが面倒で普段から使わないから、ホテルで水を一本買って、飲み干したら水道水を入れる。北欧と日本は水道水が飲める珍しい国だ。なんなら水道水の方が美味い。水筒代わりにするでもなければ300円も払って水を買うなんてバカバカしい。とにかく物価が高い。水を買うときにレッドブルを見つけたが720円だったので腰を抜かした。街に出ても何から何まで高い。本は一冊8000円はザラで、フィッシュ&チップスが3000円する。日本の3倍だと思っていいようだ。その上消費税は24%なので物を買う気が起きない。現地の人が旅行帰りに免税店で限度ギリギリまで酒を買うと言うが、頷ける。

そうこうしているとバスは目的地、を一つ通り越して停車。ボタン押すのが遅かったかな。少し道を戻ってEddaという建物へ。これを主目的に据えて来る人も中々少ないだろうが、去年の11月から研究機関が所蔵している写本を一部展示し始めた。第一回の展示内容は堂々たる顔ぶれ、『フラート島本』に『スノリのエッダ』、『植民の書』などなど。展示の見せ方もキレイで、写本に興味があまりな人にも歴史として興味をもたせる工夫があちこちに。そして『王の写本』。ある日、日課のようにこの写本のデジタルアーカイブを見ていたら、所蔵地に注意書きが。11月から2月まで展示に出るので研究所にありませんと。それでこの展示を知り得たのだから、運が良い。誰もこんな一大事に話題にも出してくれなかったのだから。

AM 350 fol. 107v-108r

在学時代、卒業制作に現代的なプロト・ローマン書体を作ることになって(「現代的なプロト・ローマン」なんて「新しい昔話」みたいでおかしな話だが)、せっかく作るならなにか題材をつけようと思い『王の写本』に行き着いた。今や亡き信仰、この写本が書かれた頃にはもうそうだったのかもしれないが、今は北欧神話と呼ばれるゲルマン民族の神々を綴った本。文字を書かず受け継いで来た彼らの声の剥製のその一部。そんな本が飾られている。独立以前、デンマークに所蔵されていた本書だが、1944年の独立時に少しずつ帰ってきて以来、人々の誇りとして大事に保管され、表に出されたのも久しいことだろう。2年前にダメ元で連絡したときは見れなかった。当然だ、国宝どころか世界の宝だ。タンニンでなめされた子牛皮紙は、時代を経てさらにドス黒く。失われた8枚の内容はわからないし、書き手に脚色され詩の命が死ぬ前の姿は想像の域を超えることはないが、成れ果ては確実に永遠を手に入れていた。

王の写本, GKS 2365 4to, 24v-25r

新しい街を仰ぎ見ながら、帰路。人間、21時間も飛行機に拘束されると疲れるらしい。少なくとも僕は間違いなくそうらしい。まだ辛うじて陽が残っているが、チェックインを済ませベッドに転落。小さな部屋の寝返りもうてないベッドでも今はファーストクラス。


昨日は早すぎる時間に寝たかわりにツアーの申込みだけしておいた。電車はなく公共のバスは市街地しかまわってないから、車がなければ有名な観光地には現地のツアーに参加するしかない。最近、といっても大学に入って以降英語ができることには感謝しかない。高校の頃なんて英語を使えてよかったことなんて洋ゲーで一緒に遊んでいた外国人と暴言を吐きあえることぐらいだった。同級生はみんなもっと英語が堪能だったし、文系科目は落ちこぼれもいいところだったから。なんにせよ、ここでは英語は国語じゃないのかというほど通じる。本当は現地の言葉を使いたいが、今はまだ英語しか喋れないので助かる。

7時半、真っ暗闇の中ホテル前に迎えのバス。市中を駆け回り、集合地点にドロップオフ。英語のガイド付きなだけあって、英語圏の人が多い印象。わざわざ北の僻地に一人で来る人も少ないようで、家族連れかパートナーがいる人ばかり。少し寂しさを感じるけれど、満席でもないので一人で2席牛耳りながら、誰にも配慮せずに窓際に居座れるのは快適で良い。今日の目的地は言わずとも知れた黄金の滝。皆こぞって行く場所にわざわざ行くのは好かない逆張り気質にしても、行かない理由に事足りる言い訳は見つけづらい。

シンクヴェトリル国立公園につく頃には山の向こうに赤紫の筋が見え始めた。今日の日が始まる、天気は悪くなさそう。アルシングには絶好の日。ギャオから覗く大地は広大で、暗闇はなんらその事実を歪めない。岩山と生命を拒絶する硬い土にはわずかな草と点々と並ぶ樹木のみ。故に見晴らしがよく、恐ろしい。

休憩所に狼柄のかわいい靴下があったが、迷っていたらバスが出る時間に。なぜ?短い靴下しか持ってないから足首は寒いし、とくに躊躇する理由もなかったのに。バスのエンジン音を聞きながら少し後悔。徐々に外も明るくなっていくが、見渡す限り荒野。振り向けば山壁。どこで止まっても満足が行くが、バスは走り続け次の目的地。降りると何層もの霜。スニーカーで来たのがアホらしい。トレッキングブーツは疲れるからと怠けてしまったツケを払わされている。

立ち込める白い幕は局所的に遠景を奪う。硫黄の匂い。人だかりに行き着くと、吹き上がる水の柱。少し待つと、また吹き上がる。濡れた岩を慎重に進み、待っているとカメラを構える手が疲れで震えてくる。結局いい写真は取れなかったが、気づけば太陽は脱皮して、空は色を変え、冷たい煙幕は乱反射に眩み染め上がっていた。祝福されている気分。人々の視線を一点に集める泉から振り返ると、先ほどまでの白紫の大地とは様子が少し違う。赤く染まった丘を上っていき、泉に振り返ると返事をするように三回柱が吹き上がった。着込んでいるだけに風のない今は気温も過ごしやすい。陽気に浮かれていると凍った橋で滑りそうになり、カメラを両手で抱え、転んでも傷はつけないように。

車窓から眺める荒野は似た景色だか少しづつ変わっていく。苔と岩の大地も、雪が残っていれば景色に色が増える。次に止まったのはそれこそ特別には見えない美しい荒野。先程よりも残った雪が多く縞模様がどこまでも広がる。低温で空気が乾燥していると、どこまでも見えるせいで遠近感が狂う。さほど良くないこの目でも遠くの先の先に佇む山の模様まで見えるよう。日の出では光を遮っていた灰色も、時間とともに減っていき気づけば空の色面積が逆転していた。こんな晴れの日は本当に永遠が見えてきそうだ。

休憩だけの停車かと思えば、続々と同じ方向に進む影。一通り周りの景色を楽しんだ後に見知らぬ背中を追いかける。少しすると動く水の塊が見える。もう少し進むと、急にそれが落ちていく。縦に流れる大きな川がそれぞれ自由に岩肌を削り方向を変えて流れていく。割れた大地は壁を作り、白化粧をまとっている。この季節、太陽は昇りきらずに下っていく。水しぶきに日が当たるところは見れないが、それがまた高低差を際立たせる。崖との境界は一本の凍ったワイヤーのみ。展望デッキは上と下にあるが、冬は下のデッキから滝の側まで行ける道は封鎖されている。水しぶきの跳躍は周りの全てを凍らせて、草は白い鎧を纏い、枝からは小さな氷柱が実っている。眼鏡はこんな時少し不便だ、水滴が少しづつ視界を奪っていく。それでも虹は冷たい土地でも温かい色をしていた。

小腹が空いたので休憩所に向かう。カフェは観光客で賑わっている。観光地な上、名所に来ているのが悪いのだから現地の言葉以外の言語ばかり聞こえてくるのは当然だし仕方がない。アイスランド語は柔らかい音がして好きだ。言語、やはり言語なのだ。趣味と実益で最近書体デザインをしたり、させてもらったりしているが、言葉を扱えずともちゃんと知れば作れるというのはまだ少し傲慢に思えて仕方ない。そう思わされることが最近あまりに多すぎて、少し戸惑っている。この言葉もいつか喋れるようになりたいと思いながら、レジに並び、英語で注文。とても悔しい。

羊スープと紅茶をもらい、パンを取って席に。店員さんが美男ばかりで、景色以外も眼福なのは僥倖。羊は人口よりも多いだけに伝統的に食されている立派な文化の一部。そしてスープはシンプル故にどの国にもよくある名物料理になる。ここで食べた羊スープが忘れられない。羊肉がこんなにあっさりしていると感じたのは始めてだ。自分の家に帰ったら羊肉を買って作ってみよう。同じようには出来ないけれど。小腹程度だからとニ個まで取れるパンを一個しか取らなかったのは今でも悔いが残る最大の失敗。スープに浸したパンはあっという間に姿を消した。

ここからはもう帰り道。あっという間だ。温泉には寄らないので、このまま同じバスで首都まで戻る。地熱故にプールや温泉が盛んだが、残念ながら一切寄る気はない。足湯程度のものがあれば良いけれど。ガイドさんが地理や歴史、暮らしていく中でのちょっとしたことを語り続けてくれるので退屈しない。とくに暮らしについての実際の声というのは中々ありつけないので興味深い。知らないことはひどく怖いことだが、今だけはとても楽しい。声に耳を傾けながら、ずっと外を眺めていた。山々が続いて、大地が割れて、なんて風景を予想していると少し退屈に思うような景色が続くかもしれないが、通り過ぎる全てが地形に沿って色を変えてくれるおかげ飽きない。やはり雪景色というのは素晴らしい。一面のクソ緑ではなく、こういう景色が見たいのだ。空が明るくなってからは、走る窓の外でも写真が取れたので、気になってはレンズを外に向けていた。元来、カメラを向けるのはあまり好きではないのだが、なるほど少し楽しい。こういう臨場感の楽しみ方もあるのだなと。それでもやはり写真は撮るのも撮られるのも、撮っている人を見るのも苦手だ。

景色の中に段々と建物が増えていき、ホテル前に降ろされる。ガイドと運転手に礼を言い、一度部屋に戻り余計な荷物を置いてまた外へ。まだ夕方というには少し早いおやつ時。朝が早かったおかげで、充実した日にはまだ時間が裕福に残されている。陽の光もあるし少し散歩へ。バスに乗って降りるのは初日に見た高い塔。天辺には十字架。教会にいい思い出はないが、眺める分には面白い。あくまで建造物の話ということにしておこう。白い内装が印象的で、中は広々と清々しい印象。上まで登れる展望台があるが、教会に金を落とす気はないので、早々に後に。

ハットルグリムス教会

バスに乗り直してもよかったのだ、まだ時間があるので歩くことに。これだったら最初からバスに乗らずに歩いたほうがバス代が浮いたなどと考えるのは野暮か。昨日バスで通った道を、今日は歩いて渡る。そう遠くないので、もう一度写本を見に展示へ。見れたのは閉館時間もあるので40分程度だったが、再度その姿を目に焼き付けた。現地の子だろうか、親に連れられ本を見ながら壁に飾られた写本の書き起こしを共に読み上げていた。とてもいい環境だ。極東のオタクが写本見たさに飛行機に乗るよりも、現地の子どもが歴史に触れられる機会があるというのがなによりも正しい。ひっそりとした展示だが、来るたびにそれなりに人を見かけるだけに、とても良い催しだなと思う。

用事は全て終えたので、あとは適当に迷子になりながら街を巡る。本屋に寄って本を買い、向かいの店で夕飯。どっちも高すぎるのには目をつむる。本屋ではアイスランド語の本を買えたので満足。奮発してニ冊買ってしまった。カラスの本と、北欧神話についての本。このニ冊が読めるようになった頃にまた本を買いに来よう。本屋にはアイスランド語の本と英語の本が分けて置いてあったが、どちらも充実していた。本当に英語ができれば生きていけてしまいそうな程に英語が溢れているのは助かるが少し淋しい。本屋に併設されているカフェはもう閉まっていた。わかる人にはこの本屋のカフェは雨宿りの聖地。少し名残惜しいが、時間を見ていなかった。明日帰る頃には疲れ切っているだろうから、今日はもう少し歩こう。普段の行いを鑑みると、歩こうなんて言っているのを聞かれたら驚かれそうだ。少し食休みをしたら、ホテルへ向かって歩き出す。来たのとは違う道のはずだが、見覚えのある景色もちらほら。あまり中心部が大きい街ではない。それでも、空の明るさが変わるたびに見ている景色は新しいものへと変わっていくから、新しい街は楽しい。振り返るとそれはもう歩いてきた道と同じではない。帰り道は少し迷ったおかげでまた知らない道を通れた。ただもう暗くなって寒いので今日はおしまい。明日も早いのでさっさと寝てしまおう。

本屋

今日もまた真っ暗な部屋に起きる。少し早く起きすぎたが、遅いよりはいい。シャワーを浴びて、昨日より少し厚着する。今日は風が強くなりそうだと言うし、海も見るので防寒はしっかりと。といっても、余分に一枚着る程度しかできないのだが。早めに降りると、また食堂が7時前に開いている。チェックインの時に朝食は7時から10時と言われたので、7時半集合だと大忙しになると思っていたが、心配をして損をした。サンドイッチを三つ頬張り、集合場所へ。今日はホテルにお出迎えはないが、バスの出発地点がそう遠くないので歩く。流石に風があると寒い。だけど耐えられない寒さじゃないし、これぐらい寒いほうが生を実感出来て好きだ。暑いのは耐えられないが、寒いのはむしろ少し楽しい。

12番のバス停Höfðatorgにつくと、観光客がたくさんバスを待っていた。バスは少し遅れて二台やってくると、それぞれ別のツアーだったようで、ひとまずのカオス。正しいバスに乗れて一安心。今日はほぼ満席のようで、一人で二席という狼藉は許されないようだ。後方ドアの側の席を選んでしまったせいで少し寒いが、かわりに物置が増えるので良し。隣には家族連れだろうか、喋っているのはスペイン語に聞こえるが、団体の一人が腰掛けた。まだ暗い中バスは島の南端へと進んでいく。今日は昨日よりも遠くへ。一時間半ほど走らせ、ガソリンスタンドで休憩。コーヒーが飲めないので、とくにやることもない。隣人はバスにコーヒーを持ち込んでこぼしていたが。

昨日ほど気分が乗らないのは、寒いからではない。バスの窓が汚すぎて外があまり見えない。ガイドが何時の方向になにがあると言っても、ぼんやりと輪郭すらなぞれなければ、見ているのは景色ではなく窓のシミだ。次にバスが停まったら窓に水でもかけてくれと言おうかと思っていたら、吹き叫ぶ突風と共に雨。窓はキレイになったが、今度は濡れた窓にぼやけて外が見えない。天気が変わりやすいとは常々聞いていたし、天気が気に食わなければ5分待てという言葉があるとガイドも言っていたから、昨日まで晴天続きだったのが、むしろらしくなかったのだろう。やっと入国したような感覚に、少し高揚した。

道沿いはずっとこの景色

滝をいくつか通り過ぎて、停まるはスコゥガフォス。まだ少し雨がちらつくが、弱まってくれていた。首元が寒くなるが、ネックウォーマーをカメラに巻いて、レンズカバーの位置で締める。これで雨の心配は少しはマシになる。どうせオートフォーカスでしか撮り方を知らないんだからこれでいい。モッズコートの中に隠して雨に濡れないように。水壁に近づくとバスから見て想像したよりもずっと高い。小さい島なのに、ことごとくスケールが大きいせいで遠近感が狂う。視界に収まっていたと思えば、すぐに見上げる角度。振り返ると平地がどこまでも続いているのに、正面には絶壁。唐突すぎてわからない。岩肌に階段。どうやら見下ろすことができるようなので、動けるうちに動いておく。手すりは片側、風が強くてとても怖い。身を守るのは心もとないワイヤーの柵のみ。もてなしを受ける、匙の上でもなお落ちそうになる。寒いのに暑い。不思議な感覚だが、風に殴られてはどうでも良くなる。登ってきたことを後悔しきった頃に上に着くので、それなりの運動。アキレス腱は翼ではない。だが眺めを見れば帰り道のことは一時忘れられる。たった数日で見飽きるほど見た苔むしたカーキの岩肌はもはや心地よい安心感すらある。この景色を観光客から守るために人々がしてきた努力に感謝を伝え、綺麗な空気を吸って、また階段を降りなきゃいけないことを思い出して大きなため息を吐く。狭くて滑って怖いんだ。バスに戻らなければいけない時間を5分遅刻してしまい、謝りながら席に戻った。慣れないことはするものじゃない。

やはり雨風は疲労がたまる。ツアーの時間の大半がバスでの移動なのに、外に出る一瞬が少し苦しくなるから雨は嫌いだ。いっそ雪になってくれた方がまた気持ちが良い。外は寒く、対比的にバスは蒸している。島で一番湿気が多い場所に座っている気分だ。丘を登っていき、降りていく。するとそのうち海が見えてくる。降りると、黒い砂浜。雨は止んでいたが、風は強く、警告は黄色。砂浜には踏み入れられるようだ。海はあまり好きな方ではないのだが、遠くから見ている荒波は迫力があるから嫌いではない。潮の匂いも強くないし、雨が降って湿気った砂には足が少し沈み込むだけ。海を見るなら雨の日なのかもしれない。砂浜に立っていると、眼前の海よりも後ろの山景色に気が取られすぎてしまっていた気が少しするが、岩壁と波のせめぎ合いは我を忘れられた。

満足したので、今度こそ遅刻しないようにと少し早めにバスに戻ったところ、少し早すぎたのかガイドさんと苦笑い。どこから来たのと聞かれ、極東と答える。21時間かけて来たんだよと伝えると、3日のために21時間かけたのかと。そうね、そうなのよ。もう一日あっても良かった、もう二日あればあそこに行けた。でもそう思うぐらいで良かったのかなと思う。これが最後じゃないからと伝えた。そうかもしれないけれどと、不思議な顔をされたが、そもそもそんなにアウトドアな人間じゃないのだから許してほしい。不特定多数と共に同行するツアーという形式自体、不向きな場なのだから。

消えたタイミングで撮ってしまったが、黄色が点灯していた

海にさよならをして、Víkに向かう。といっても、ここからも海が見えるのでさよならというほどではないが、ちょっとしたモールで昼休憩。トマトスープで身体を温め、デザートにチョコレートマフィン。朝を食べすぎたぐらいなので、これぐらいが丁度いい。少し店の中も歩いたが、アウトドア用品か、露骨なお土産しかない気がしたので退散。この物価でお土産を選んでいると破産してしまうので、申し訳なくも平等にお土産は無し。時間が余ったので外に出て写真を撮る。時々小雨。このまま天気が持ちこたえてくれると助かるのだが。母親に写真を送り、バスに戻る。次は少し歩くらしい。出発前に運転手のお兄さんが脅しにきた。手袋はあるか?帽子はあるか?歩く準備は出来ているかと。とてもアウトドアには向かない手袋と、モッズコートのフードしかない。

次の目的地は氷。ソルヘイマヨークトルは海を見た帰りに立ち寄れるぐらい手軽な氷河だ。場所が手軽なのはいいが、雨が強くなってきた。風がバスを揺らす。外に出ると、思ったほど雨は強くないが、少し歩かなければいけないことを忘れていた。といっても片道10分15分。今までのどこまでも見える景色とは違い、雨のヴェールは視界をくぐもらせる。身体を盾に、写真を撮る。あまりカメラは出さない方がいいだろう。大雨ではない、ちょっとした薄いシャワーが横殴り。霧がかかると、浮き出すように山肌が見え、その奥は白く飛んでいく。遠近感が取り戻されると、少し懐かしさを感じるような湿気の多い山岳。氷河に着く頃にはモッズコートの色が変わっている。防水のアウターを皆が勧める理由がよくわかる。大学に入った頃に通販で1万で買った安いモッズコート。イギリスの雨の味も覚えた相棒を、少し過信しすぎていたかもしれないが、浮気するつもりもない。

歩き続けていると、氷の塊が見えてくる。火山の混ざりもので少し灰色がかった氷河。問題があるとすれば、目の前についたタイミングが一番雨が強くなってしまい、諦めて早めに退散してしまった。雲が厚く暗くなってきてしまったし、靄がかった視界ではあまりよく写真には映らなかった。でもちゃんと見れた。景色と感情は覚えている。コートが水を吸いすぎて、内側まで染み込んできた冷たい感覚も。風が強いと髪で前が見えなくなるから、朝に後ろで三つ編みを作ってきたのだが、それも濡れて気分が悪かったので全てまとめて後ろで結いた。風は天敵なのだ。ズボンも水を吸いすぎて下に履いていたタイツすら冷たい。でも不思議と不快ではなかった。あるべき姿を見れたような気分で、バスに座った頃には笑い話。また運転手が通路に来て、傘を持ってくる奴はこんな天気でどうやって使う気なんだと笑っていた。傘を横にでも差すのかと。イギリスでもそうだったが、やはりこっちでも傘は使わないらしい。色が深くなった相棒を座席のテーブルにかけて、変わり果てた姿にまた笑う。このままキャンプとかじゃなくてよかった。少しぐらい濡れすぎていても、帰れるのだから。時間になって出発する頃に雨が少し弱まっていたのを見たガイドが、5分待つべきだったと嘆いていた。

Víkで引き返して旅は帰り支度、氷河を見たら残るは行きに通過したセリャラントスフォス。雨は雪に変わり、大地の色が少しづつ変わっていく。朝はカーキ一色だった大地が、少しづつ白いレイヤーを被っていく。木の枝には雪が積もり、川の流れが淀むところは凍っている。滝はバスから見た。もう外には出れない。今濡れたコートを羽織って雪に当たったら体温が危ない。窓から灰色の道路が白く染まっていくのを眺める。視線を上げると、苔と雪のシンフォニー。暗くなっていく空。眠る人、手元の光に夢中な人、景色を眺める人。寝た子を起こさぬように、ガイドは静かに帰路を共に。バスが揺れる音を聴いていても良いのだが、せっかくなのでTaylor Eigstiを聴きながらぼーっと夜の雪景色を眺めていた。

レイキャヴィクに戻ったのは19時過ぎ。ホテルへの道は何度も歩いたけれど、地面の色が違う。見知らぬ街に帰ってきたような。冷たいコートに、今度は雪が積もっていく。寒い、楽しい。ふわふわな雪は、霜よりも歩きやすい。静かな街。来たときからこのあたりは静かだったが、雪の積もる音と、踏み抜く足音。疲れたけれど、良い疲れ。入口で雪を払い、エレベーターを上がって部屋に向かう。明日は朝早くに出ないといけない。服が乾くといいけれど。ヒーターとベッドの窮屈な隙間に椅子を立ててコートを掛ける。寝間着に着替え、全てを忘れる。明日の支度は、明日やればいい。濡れた靴下をそのままスーツケースに入れたくない。

ロビーに降りて、ポストカードと切手を買う。何人かに絵葉書を送ったのだが多分届かない。一つは住所を間違えた気がするし、残りは部屋番号を書いた覚えがない。びしょ濡れで帰ってきた直後とはいえ気が抜け過ぎだ。また来たときにまた送ろう、今度は正しい行き先へ。切手を用意してくれた、手紙をポストに出しておいてくれただろう受付の気さくなお兄さんには悪いことをした。どこにも行けない迷子を生み出してしまった。部屋に戻り、気絶するように就寝。今日は本当に疲れた。明日は4時起きだし、外は雪が積もる。まぁいいだろう。

起きると、一先ず雪は収まっていた。見慣れた真っ暗な空。また遠くまで見える。6時に予約しておいた送迎車が迎えにくるのだが、5時過ぎには支度を終えてしまった。早めにチェックアウトを済ませようと下に降りると、朝食が開いている。本来の2時間前だぞ、と驚き受付の人に正気か訪ねてしまったが、助かることこの上ない。空港のゲートに着くまでなにも食べないつもりでいたから、ここで朝食を取れるのは恵みだ。ゆっくりと朝食を済ませ、受付のヒゲが特徴的なおじさんに感謝を伝え、チェックアウト。送迎の車が来て、初めに来たバスターミナルから、今度は反対向きのバスに乗り換える。ケプラヴィーク空港まではやっぱり45分程。また雪が降り出した。頑張って乾かしたコートはまだ少し湿っている。コートのポケットに入れたまま出し忘れていたパスポートは、濡れて少し縒れていた。

短い時間だったけれど、短いからこそ充実した時間を送れた。一人では、時間があればあるだけダラケてしまうだけだ。体力の限界が来る前に帰れば、楽しいまま終われる。一人旅は楽しいし好きだが、それでもやっぱり次来るときはキッチンのあるホテルを借りて誰かと一緒に来たい。車を借りてドライブに繰り出し、帰りにスーパーで羊肉を買って、一緒に酒を飲むんだ。

写本を見に来たつもりが、ゴールデンサークル、セリャラントスフォス、Penninn Eymundsson Austurstræti。気づいたら聖地巡礼になってしまっていた。イギリスのときも、ほぼノープランで着いたら結局『魔法使いの嫁』の聖地巡礼になってしまったし。わかりやすく気分が高まる旅の仕方ではあるので仕方がない。みんなも『北北西に雲と往け』を読んでアイスランドに行こう。


最後に、急な計画にも一言「行け」とだけ言ってくれた両親と、大切なカメラを貸してくれた先輩に伝えきれない感謝を。でもトリミングもレタッチも面倒なので、写真は全て撮ったきり。許してね。概要だけ記憶しているうちにまとめただけなので、また何か思ったことがあったら書くかもしれない。それまでは、また。

砂浜にて

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