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周囲の人と近すぎない距離を保つには?

日本語を教えているときやライターとしてインタビュー取材するときは快活に話す。話す目的がはっきりしているし、それが仕事なのできっちりやる。でも、プライベートではひとりで過ごすことが多く、1日中誰とも話さないことも珍しくない。

30代の頃は友達と飲みに行くことも多かったし、何時間も長電話することもあったのに、年齢のせいか、あまり話し相手を必要としなくなった。側(はた)からは寡黙なように、またはつまらなそうに、または所在なさげに見えるかもしれない。でも、いつも”よしなしごと”が浮かんだり消えたり、ゆらゆらと流れたりしているので、頭の中ではけっこう忙しく言葉が行き交っている。

私の脳みそを引っ掻き回してくれるような、頭の中に新鮮な空気を吹き込んでくれるような、目から鱗をポロポロ落としてくれるような、私の知らないパラレルワールドに引きずり込んでくれるような人と話したいと思うことはあるけれど、世間話はできればしたくない。

ところが、最近、どうしたものかなあと思っていることがある。

私は日本がスポーツジムの黎明期だったバブル期にジム通いを始めた。フリーランスになって病欠や有給休暇というものがなくなり、健康の大切さを痛感したからだ。

以来、東京に住んでいた時もニューヨークに行ってからもジム通いを続けていたが、ジムで友達を作ったことはないし、作りたいと思ったこともなかった。ジムに行ったら、着替えて1時間ほどひとりで黙々とエクササイズをして、シャワーを浴びたらさっさと帰る。ジムに行くとはそういうことだと思い、それを何十年と続けてきた。

ところが、20年ぶりに帰国して近くのスポーツジムでヨガやピラティスなどのクラスを取るようになると、勝手が違ってきた。

クラスには20〜40人ほどの人たちーー昼間なのでほとんど中高年の男女ーーが参加している。クラスが始まるまで私のようにひとりでストレッチをしているような人もいないではないが、クラスの常連どうしでおしゃべりに興じている人がほとんどだ。

毎週同じクラスに出ているので、当然ながらお互いに顔見知りになる。でも、私は自分から人に声をかけることがないので、おしゃべりする相手はいない。たまに話しかけてくれる人がいると、その人とは顔を合わせたときにあいさつや軽い世間話はするようになるけれど、実はお互いに名前も知らない。名前を聞くと”一線を超えてしまう”ような気がするからだ。

意識的にそうしているわけでもないが、どこかで人に近づきすぎないようにしている。あいさつやお天気の話くらいなら当たり障りがないが、そんな話ならわざわざすることもない。相手の名前や仕事などを知ることはその人のプライバシーを一部引き受けることになると思うので、聞かないようにしている。毎週顔を合わせる人たちと中途半端に親しくなるのは、なんだか窮屈な気がしてしまう。

さいわい、周りの人たちは私はおしゃべりが好きではないのだろうと察してか、放っておいてくれる。もしかしたら、無愛想な人だと思われて無視されているのかもしれないが、どっちにしてもありがたい。人と話をするより、体を動かしながら頭の中に去来する”よしなしごと”と遊んでいる方が楽しい。

ところが、先日、ヨガのクラスが始まる前に、近くにいた私より年配と思われる女性から、「昨日、外でお会いしましたね」と声をかけられた。ジムの近くで私を見かけたらしい。「気がつきませんでした。スーパーで買い物していたときでしょうか」などと、ふたことみこと言葉を交わした。そして翌週から顔を合わせると挨拶をするようになった。

あるとき、クラスが始まるのをヨガスタジオの前で待っていると、その人が私の隣に立ったので、「あれ?」と思った。何か私に話したいことでもあるのかな?クラスが始まるまでにはまだ時間があった。

「こんにちは」と言ったけれど、それだけではまったく間が持たない。何か話をしなくてはいけないというプレッシャーを感じる。そこで私は「毎日暑いですね」とか、「今日は水のボトルを持ってくるのを忘れちゃって」などと言ったけれど、その人は相槌を打つだけで自分からは何も話さない。私も別に話すことがないので、遠慮なく、それ以上話すのをやめてしまった。

それ以上話すとしたら、「このジムには何年通っているんですか」とか、「他にどんなクラスに出ているんですか」とか、そんなことだろうか。でも、そんなことには興味がないし、興味がないことを、話し続けることだけを目的に話し続けるのも苦痛だ。これがインタビューの仕事なら、仕事なので、苦痛だろうとなんだろうとやり遂げるのだが。

これまで長い間、私はコミュニティーに所属してこなかった。定期的に同じ人たちと顔を合わせるということがほとんどなかった。近所の人や顔見知りとは”笑顔であいさつ”だけで十分だった。スポーツジムに行っても、ひとりでストレッチをしたりマシーントレーニングをしたりするだけなら、周りの人を意識しないですんだのだが、クラスを取るようになって毎週同じ人たちと顔を合わせるようになったので、そうもいかなくなったのだ。

コミュニティーに身を置きつつ”ひとり”を保つのは難しいということを改めて知った。コミュニティーの中で、相手に失礼にならないように近すぎない距離を保ちたいとき、どうしてますか?





らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

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