タイムカプセルを開ける旅ー2
甥の結婚式が執り行われたのは名古屋だった。そこは偶然にも私の小学生の頃からのペンフレンドが住む街。「名古屋」は子供の頃、手紙を書く度に封筒の宛名に書いていた、懐かしい地名だった。
私たちは小学5年生(私)と小学6年生(私は”お姉ちゃん”と呼んでいた)で文通を始め、高校くらいまでは頻繁に手紙をやり取りしていた(タイムトラベラー 子供時代へ)。社会人になって私はフリーライターとして働き始め、お姉ちゃんは結婚して母になり、私たちは全く別方向に向かって人生を歩き出した。共通の話題は減っていき、それぞれに忙しくなり、文通はいつしか年賀状のやりとりくらいになった。
やがて私はニューヨークに生活の拠点を移したが、パソコンクラッシュで友人知人の連絡先をなくしてしまった。そのせいで何年も音信不通になっていたが、2年前からメールのやりとりが復活。お姉ちゃんのメールから感じる優しさと親しみやすい語り口は子供の頃から変わっていなかった。
お姉ちゃんとは高校生のときに1度だけ会ったことがある。お姉ちゃんが私が住む県に修学旅行で来た時、彼女が泊まっているホテルに父が車で連れていってくれたのだった。手紙では饒舌にお喋りしていたのに、実際に会った時、私はキンチョーしてろくに話せなかった。
それ以来何十年も会っていなかったが、また会いたいな、またいつか会えるだろうと、ずっと思っていた。2年前に帰国してからはいつでも会いに行けると思っていたが、なかなかきっかけがなかった。それが、甥の結婚式で名古屋に行くことになり、ほぼ半世紀ぶりの再会が実現することになった。
名古屋に行くことを伝えるとお姉ちゃんは喜んでくれ、ぜひ自分の家に泊まってと言ってくれた。私はもう宿泊先を予約していたが、お言葉に甘えて泊めてもらうことにした。と、簡単に書いたけれど、これはすごいイベントだ。
子供の頃手紙でいろんなことを話して、幼なじみのようにお互いによく知っている(と思っている)相手とは言え、顔を見て肉声を聞いたのはたった1度だけ。あれは夢だったと思えばそう思い込むことだってできるような、そんな遠い子供時代の思い出だ。バーチャルな世界で一緒に遊んでいた相手がいよいよ現実世界に出てくるような、そんな不思議な感覚があった。それは私がこれまで感じたことのない感覚だった。
それからは私の名古屋行きがきっかけになって、小学生のころのように頻繁にメールのやり取りが始まった。スケジュールを知らせたり、一緒にどこに行こうとか、何を食べようとか相談したりして、私たちは遠足の日を楽しみにする小学生のように会える日を心待ちにしていた。
ところが、何しろこれまでにたった1度しか会ったことがない。しかもそれは10代の頃。あれから半世紀近くたっている。今ではお互いにおばさんだから小学生の頃とは見た目はもちろんキャラも変わっているだろう。あの頃手紙でしたような、子供同士の無邪気な会話ができるはずがない。しばらくするとお姉ちゃんからこんなメールが届いた。
とにかく、うまく話せるかしら?
今頃すごく緊張してきました💦💦💦
それを読んだ私も
私もキンチョーしてきました💦💦
だって、この間会ったのは半世紀も前だなんて💦
また、お姉ちゃんから
さてさて本当に緊張してきました💦
私が思うえっちゃんは、私と正反対な性格と思われて…
というメールが届く。2人のメールには💦マークが増えていった😂
いよいよ名古屋に行く日が近づいて、私たちはLINEを交換した。お姉ちゃんが名古屋駅まで車で迎えに来てくれることになったので、その際の待ち合わせ場所の打ち合わせをした。都会の大きな駅って本当にわかりにくいし、私は方向音痴なので、お姉ちゃんはメールで駅構内の詳細な地図を送ってくれた。さらに、当日は目立つように緑のワンピースを着て、白のベンツ(!)で迎えに行くと知らせてきた。
私は甥の結婚式の前日に名古屋に到着。「名古屋って東京からこんなに近いんだ。お弁当食べたり昼寝したりする時間もほとんどなかったな」と思いながら新幹線を降り、名古屋駅まえでひとしきりキョロキョロ、ウロウロした挙句、ようやく白のベンツを見つけた。小型のベンツの運転席には確かに緑色のワンピースを着た女性が乗っていて、私が来る方角をじっと見ていた。まるでファッション雑誌の読者モデルのようなその人は、私がベンツの脇まで来ているのに気づかない。私が助手席側から彼女の視界に入って手を振ると、やっと私を認めてパッと笑顔を見せ、すぐに車を降りてきた。
私たちは堰を切ったように、「やっと会えたね」、「高校生のとき以来だね」というような話をわーっとしたあと、私のキャリーバッグを車に乗せると一緒に車に乗り込んで、積もりに積もった話にどこから手をつけていいかわからないという感じであれこれ脈絡もなく話し始めたが、まだ駅前に車を止めたままだったことを思い出して、「ここで話し込むのもなんだから」と、ようやく車を出して熱田神宮に向かった。
熱田神宮に向かう車の中でも、熱田神宮で参拝しながらも(お姉ちゃんは参拝の仕方を教えてくれた)、お姉ちゃんお薦めの有名なひつまぶしのお店でひつまぶしに舌鼓を打ちながらも、私たちはモーレツにいろんなことを話し、修学旅行の高校生みたいにお互いの写真を撮りあったり、ひつまぶしの写真を撮ったりして慌ただしく時間を過ごした。何しろ半世紀ぶりですから。。。
その間ずっと私はなんだかふわっとした感覚に包まれていた。子供の頃送られてきた写真や、高校生の時に会ったときの面影は確かにあったけれど、ベンツから降りてきた女性は初めて見る人でもあった。場所や服装を伝え合って待ち合わせたからお互いを見つけることができたけれど、偶然街で行き違ったり、喫茶店の隣の席に座っていたとしても絶対気づかないだろう。だから、よく知らないのによく知っている人と話しているような、前世でご縁のあった人と今世でもでもめぐり会えたというような、不思議な、そしてちょっとワクワクする感覚にずっととらわれていた。
お姉ちゃんの家は白のベンツが似合う瀟洒なお宅で、お姉ちゃんは数年前に病気でご主人を亡くしてからはひとりでここで暮らしている。リビングルームにはご主人の写真や、お姉ちゃんとご主人が仲睦まじい様子で描かれている絵、息子さんたちの家族の写真がたくさん飾ってあった。
おいしいひつまぶしを食べてお腹がいっぱいだったはずなのに、夜はお姉ちゃん手作りの名古屋風牛すじ煮込みや、きのこと春雨のサラダをご馳走になり、ビールを飲みながら、私たちのおしゃべりはいつまでも続いた。
寝室に行く前に、お姉ちゃんは、「えっちゃんは死んだ時、みんなになんて言われたい?」と聞いた。私はそんなこと考えたことがなかったので、「そうだなあ、『好きなように生きられてしあわせな人だった』と言われるんじゃないかな」と答えると、お姉ちゃんは「私は『いいお母さんだった』と言われたいな」と言った。半世紀の間全く違う生き方をしていた私たちが、気がついたら、今、また小学生の頃のように近い距離に戻ってきているのを感じた。
意図していたわけではないけれど、今回の名古屋行きは、遅ればせながら、私のタイムカプセルの蓋を開ける旅になった。現実にはタイムカプセルに将来の夢を書いて入れたことはないし、それを開けるとしても10年後か20年後で、半世紀後ということはないだろう。でも、私にとってはニューヨークから戻り、弟夫婦と甥夫婦の世代交代を見守り、お姉ちゃんとの再開を果たした今がそのタイミングだったのだと思う。これから私は、タイムカプセルの蓋を開ける前とは違う景色を見ながら生きていくのだろう。
写真)お姉ちゃんが用意してくれた朝ごはん。
らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。
らうす・こんぶのnote:
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