タイムカプセルを開ける旅ー1
小学校や中学校を卒業するととき、自分の未来を想像して書いた作文をカプセルに詰めて校庭に埋め、10年後とか20年後にみんなで集まってその蓋を開ける。何度かそんなシーンをテレビドラマで見たことがある。私の周りではそういう経験談を聞いたことはないけれど。
もし小学生だった私にそういう機会があったとしたら、どんなことを書いたかはだいたい想像できる。実現できるかどうかなんておかまいなしに、10年後や20年後のことなら「こんなことをしたい」、「あんなふうになっていたい」と、いくらでも夢を描けただろう。でも、30年後、40年後、50年後のこととなると遥か彼方のことすぎて想像できなかったに違いない。まして、歳をとって、老眼になったり白髪が増えたり、友達から「孫が生まれた」と聞かされる日が来るなんて……。
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3月は私にとって大きなイベントがふたつ立て続けにあった。ひとつは甥の結婚式。もうひとつは小学校時代のペンフレンドとのほぼ半世紀ぶり😆の再会。
ニューヨークに住んでいたとき何度か結婚式に出たことがあるが、それを除けば、日本で結婚式に出席したのはもう30年くらい前のことになる。だから、結婚式に出るのは本当に久しぶり。私がニューヨークに行くときは甥っ子はまだ小学生だったのに、いつの間にぃという感じだ。自分が小学生の頃、久しぶりに会うーーと言っても数か月ぶりくらいだったがーー大人から、「しばらく見ないうちにすっかり大きくなったねぇ。(自分が)歳を取るはずだ」なんてよく言われたものだが、自分もそういうセリフを言う側になったんだなあと思った。
結婚したのはついこの間だと思っていた弟夫婦が、今や花婿の父と母になっているというのもとても不思議な気がした。当時、アイドルタレントのようにかわいかった弟の嫁さんも、今では二人の子供を育て上げ、留袖姿がそれなりに貫禄を感じさせる。
披露宴は結婚する二人の招待客への感謝の気持ちがこもっていてとてもよかったし、招待客のスピーチもとても楽しく、気が利いていて、二人がいい友人や上司、同僚に恵まれていることがわかって嬉しかった。披露宴会場の演出やサービスもとてもよくて、最後まで和やかな雰囲気が続いた。
披露宴の最後は両親への花束贈呈。花婿とその父である私の弟が挙式と披露宴に来てくださった方々に挨拶した後、父ががんばれよというように息子の肩をポンポンと叩いた。
それは、私たちの世代から次の世代へバトンが渡される儀式のようだった。結婚した二人はキラキラ輝いていたし、披露宴に来てくださった、新郎新婦と同世代の若者たちは希望や野心を胸に秘めているように見え、披露宴会場には彼らが放つ若々しくエネルギッシュなオーラが立ち込めていた。
花婿花嫁の親たちは子供たちにバトンを渡して、これから徐々に人生のメインステージを降りていくのだなあと思った。選手交代だ。かつて花嫁の友人として結婚式や披露宴に出席していたときは、私の目線も「これから社会で頑張っていかなければならない人」という若者目線だった。今回初めて親世代の立場で結婚式を見つめることになってみると、結婚式を鏡の裏から眺めているかのように何もかもが違って見えてきて、少しの寂しさと感慨深さが交錯するようだった。
小学校や中学校、高校を卒業するときにタイムカプセルに入れる将来の夢を作文に書くとき、10年後や20年後の自分を想像して、「結婚してお母さんになりたい」と書く女の子や「将来サッカー選手になりたい」と書く男の子はいるだろう。でも、30年後、40年後の自分を想像して、人生の表舞台から退いていく自分まで想像する子はいないに違いない。
私もついこの間まで、どちらかといえばタイムカプセルに夢を詰め込む側、現役世代の感覚でいた。でも、この結婚式で私のタイムカプセルの蓋が開いた。遅ればせながら、子供の頃から続いていた現役感覚と決別する時がきた。そんな感覚がふわっと、でもはっきりと湧いてくるのを感じた。
「タイムカプセルを開ける旅ー2」に続きます。
らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。
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