看る側、看られる側の罪悪感
この記事については、きっと賛否両論あると思います。でも、あえて書きます。
私の父は、末期ガンに倒れ、命はとりとめたものの、手術の後遺症で寝たきりになってしまったことに対して、「こんなになってしまって、世話をかけてごめん」と、毎日のように母に謝っていました。
母に対してかなり遠慮していました。
医者の宣告通りにはならなかったのだから、喜ぶべきことだと周囲は思っていましたが。
「好きにさせてあげられなくて、自由を奪ってしまって申し訳ない」という、看られる側の罪悪感なのだな…と私は感じていました。
母は母で、「完璧な看病ができなくて、くやしい」「自分の時間が欲しいなんて、思ってはいけない」という思いがあったようです。
勝気なので、口に出さずとも娘の私には、それがわかりました。
そして、これがきっと、看る側の罪悪感なのだろう…と。母にも、父への遠慮がありました。
ところが!あるときを境に、お互いに対する遠慮と罪悪感がなくなるのです。
母がある日突然、「私は、今年、スペイン旅行に行きます!」
「パパはその間、施設に預けます。私にも休養が必要!」と言い出し、
本当に決行したことがきっかけとなりました。
「ガン闘病中の旦那を預けて、海外旅行とは言語同断」というのが世間一般のまっとうな意見だと思います。
こういう状況に置かれると、だれしもが罪悪感を抱く…という共通意識のようなものに、捕えられたままではいられない人なんです、母は。
帰国すると母は、もちろん父に感謝しました。
と同時に、「夫がこんな状況でも、私は自分のしたいことをした!」という
清々しさと嬉しさでいっぱいになり罪悪感はゼロに。
父は父で、「自分がこんな状況でも女房を海外旅行に行かせてやった!俺、偉い!」という誇らしさでいっぱいになり、母同様、罪悪感はすっかりなくなったんですね。
それからの父と母は対等な関係になり、お互いに対する遠慮もなくなりました。
そのためか、父はどんどん元気になりました。一生寝たきりと言われていたのに、今ではときどき立つ練習もしています。
「どんな状況でも自分の時間は確保できる」と思えるようになった母も、当初よりは疲れにくくなったようです。
「今の私はパパの看病をしてはいても、私には私の人生があるのよ、言っておくけど」と言っています。
「あなたのお母さん、病気のお父さんに向かってヒドイ人ね」という声が
聞こえてきそうですが、それが私の母なので。
そんな言い方キツイ、外国人マインドな母の言動をフォローするのは、
娘である私の役割だと思っているので、それはそれで。
何が言いたかったかといいますと、「正しい」と思われている言動や行動が
本当に人の心を癒すわけではない、ということです。
罪悪感というのは、病気からの回復を遅らせたり、看病する人の心も蝕んだり、と介護生活の大敵だと思います。
これがあるから、ある日突然、たまった感情やストレスを爆発させて事件を引き起こしてしまうのだろうと、思います。
※この記事は、2017年11月に他ブログで書いたものです。
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