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「スペインとクルマ」初の4輪メーカー
どうやら、セアトはスペイン最初の4輪メーカーじゃないらしい。
19世紀の滞国。
1898年、バルセロナの地に la Compañía General Española de Coches Automóviles E. de la Cuadra という会社が設立されました。
これはちょうどスペイン帝国の残骸も残骸が灰と化したころ。
19世紀のスペインと言えば、ナポレオンにかき乱された後、やっとこさ自由主義国家への変革が始まったかと思えば、伝統主義派の反発は大きく、気づけば国内は3度のカルリスタ戦争(正当な王様はフェルナンドなのか、カルロスなのか!)で大混乱。
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隣国で産声を上げていた蒸気機関の音は遠く聞こえず、「共和政なのか王政なのか」と、ねるねるねーるね状態が続いた末、20世紀の悲しい内戦に向けてさらに混沌と化していく。
そんでもって、欧州他国と比べて産業発展は遅れていく。残る植民地だったフィリピンやキューバが独立した(米西戦争というやつ)のが1898年のこと。
la Cuadra
バレンシア州スエカ(スイスという意味だよね。ややこしい)出身で軍人と実業家の二刀流だったエミリオ・ラ・クアドラ・アルビオルさん。1898年に乗り物を手がけるLa Cuadraを設立しました。
バレンシアのアルビオルさんと言えば、若くして中盤の底でハードな守備を得意とするMFのはずが、いつの間にかCBになっていた・・・
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ラウールさんの方ではなく、エミリオさんの方は、バルセロナのリエダに電気を通した人(発電所建設プロジェクト主導)として有名人だそうで、
電気に詳しかったこと、1889年のバリ万博(エッフェル塔を生で見てびっくりしたらしい)、続く95年の世界初の長距離自動車レース「パリ~ボルドー」(1200キロ走破!)を体感し、モータリゼーションの到来を予感。
頑張って建てた発電所は売り払り、la Cuadra設立の翌年、4輪EV車のみを造る会社として方針を固めて自動車開発をスタートさせました。
EVバスの開発
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電気博士エミリオさんは、電気自動車を開発する特権を認められていたそうで(国から?)、同じ立場にあるボーネットさんと2人で電気車両の開発に邁進。
初めてのお仕事はホテル送迎のEVバス案件。フランスで客をピックアップしてバルセロナまで運びたいとのこと。
スペックは全長5・5M、幅2・2M、高さ3M。乗車は最大20人で、ライト付けたり、窓に小細工したり、荷物を固定するネットを付けたり、最大積載500kgに対応しなきゃいけないし、屋根がいる!!!
これでもろもろ7000kgの物体を動かすモーターが必要になりまして、開発したバスは、15kw出力モーター×2=約44馬力、最高時速20キロ!!!
搭載していたのは、110Vの450Ahバッテリー。これだけじゃ足りないので、15PSのエンジンも積んでバッテリー充電したらいいやん!となりました。
しかし、このHVシステムは全然上手くいかず、悩んでいたエンジニアのカルロス・ベリーノさん。21歳にして有望なエンジニアだったスイス人のマルク・ビルキヒトさんに助けを求めました。
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なんかよくわからないですが、ビルキヒトさんもがんばった(凄い人らしい)。でも、理想には届かず、1900年8月にメディアに公開したバスは4~5kmしか走れなかったという。
エンジニアのカルロス・ベリーノさんはこの結果に落ち込んで(責任取ったのかも)、退社。la Cuadraはビルキヒトさんを中心にEV車開発を進めて、さらに2車種を設計するも、1901年に破産してしまいました。
ちゃんちゃん。 終。
あの有名な会社に。
というわけでなく、このビルキヒトさんは1904年、数名と共にla Cuadraの流れを引き継いだ会社をバルセロナに設立します。
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その名も Hispano Suiza。
経営者:ダミアン・マテウ、フランシスコ・セイクス・サヤ
エンジニア:マルク・ビルキヒト
経営者がスペイン人、代表エンジニアがスイス人ということで、イスパノ・スイサとなったとさ。
こうして、高級車メーカーとしての地位を築くことになり、やがてロールスロイスと肩を並べるのです。
ちなみに、そもそもの発端であるエミリオさん、会社がなくなった後は軍人としてセウタ(アフリカ大陸のスペイン領)に行きまして、その後はEV開発に戻ることなく、1930年に亡くなりました。
いつかHispano Suizaについて追ってみましょう。
〇参考資料