アドラー心理学の目的論で人生を選ぶ
数か月前に「嫌われる勇気」を読みました。アドラー心理学について解説してある本です。今回は、その中でも印象に残ったことを1つ書きます。(文章が長くなったので、いずれ簡潔に書き直したいです。)
アドラー心理学には、目的論という主張があります。目的論を知ったおかげで、以前よりも自分の感情をコントロールできるようになりました。
以降は、私の解釈をまじえて書きます。
目的論と原因論という2つの考え方があります。目的論とは、自分の現状は、自分が何かしらの目的を達成するために、自分で選んでいるという考え方です。原因論とは、自分の現状は、過去に出来事によって決められている、という考え方です。
例えば、赤面症で困っているAさんがいます。Aさんは、人前に出ると顔が赤くなってしまうので、治したいと悩んでいました。赤面症が治ったら、好きな人に告白がしたいのに…と思っていました。
原因論で考えると、過去に何かしらの経験があったことで、今のAさんは赤面症になっている、と考えられます。
アドラー心理学の目的論で考えると、Aさんには何か目的があって、その目的のために赤面症になっている、と考えられます。例えばその目的は、「赤面症だから、好きな人に告白をすることができない。」という言い訳をすることかもしれません。もし赤面症が治れば、自分だって告白できる…という可能性の中に生きるために、赤面症という現状を選んでいるのです。
目的論では、赤面症で悩むという状況ですら、自分で選んでいると解釈します。これは、一見いじわるなことを言っているようですが、そうではありません。つまり、自分で選びさえすれば、赤面症を治すことができるということです。
過去に原因がある…と思っていると、現状を変えることは簡単ではありません。でも、この現状は、自分が何らかの目的を達成するために選んでいるのだ、と思うことが出来たら、現状を変えることができます。
私の場合、仕事がしんどいと思うときには、帰宅後にイライラすることが多かったです。原因論的に考えて「仕事が辛いせいで、イライラしてしまう!」と思っていました。
でも目的論で考えると、イライラすることによって、何かしら得られるものがある(目的を達成できる)から、イライラするという状況を選んでいるのだ、と考えられます。
たしかその目的は、イライラしてアピールすることで、仕事大変だね・会社に行くの大変だね、と気にかけてもらいたい、というようなものだった気がしますが…。
そこで、イライラしてその目的を達成することに、本当に意味があるのか考えてみました。イライラして人の気を引いても、良いことはなさそうでした。むしろ、悪影響の方が大きい。
私の場合は、自分が達成しようとしている目的を考えることで、いったん落ち着いて、イライラしないことを選べるようになりました。
目的論をもっと理解出来たら、もっと人生を自由に選べるようになるかもしれません。
では今日はこの辺で。明日は、デジハリに行ってみた話を書こうかな。
追伸:今日の一曲。東方の原曲を聴きだすと止まらない…。全部サビの曲。ピアノ弾きたくなるなぁ。やっぱ電子ピアノほしいな。
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