クソBL学科創立のご挨拶(クソBL学科教授:埒子)

皆様におかれましては、ますますご清栄のことと存じます。

この佳き日に、予てよりの念願であった「クソBL学科」の創立のご挨拶を申し上げられますことは、まったくもって慶賀に堪えません。

さて、このクソBL学科クソBL学でございますが、文化の中でもマイナー中のマイナー、文学の末席にも並ぶか並ばないかの、学問と呼ぶのもはばかられるような存在であるとご認識の方もおられようかと思います。いえ寧ろ、そう認識される方が当然でありましょう。

しかしながらクソBL学科教授のわたくしとしましては、クソBL学という学問は、なべての人文科学よりはるかに学問として優れており、非常に将来性に満ちた分野であると自負しております。

その理由をご説明いたしますには、果たして学問とは何かという根本的な定義から明らかにせねばなりません。

学問とは、“分ける”ことと“並べる”ことでございます。

そしてその分け方と並べ方は、意味が深ければ深いほど良く、美しければ美しいほど良い。それこそが学問の優劣の基準であると言っていいでしょう。

ではクソBL学で取り扱うところのクソBLとは何か。その定義は何かと申しますと、それは「萌えないBL」であることでございます。

しかし自萌え他萎えという言葉もございますとおり、萌えというものは千差万別。一体何が萌えるのか、あるいは萌えないのかというのは一様に決められるものではございません。

しかしだからこそ、そして此処にこそ、クソBL学という学問の学問としてのやり甲斐があると断言させていただきましょう。

どのBLが萌えないのか、クソBLであるのか。それは研究者それぞれが決めてよいのです。そして自身が選定したクソBLクソBLっぷりを、どうぞ思う存分論じてくださいませ。「萌えない」に分類した意味の深さを。そして「萌えないBL」という分類の美しさを。相手を屈服させるほどの熱量と確固たる信念で! そうして貴方のクソBL論が相手の心を動かし、固く拳を組み合うほどに合意が得られた時、そのBLはクソBLとして新たな力を得ることとなるのでございます。

クソBLは各々で決めてよい。

即ち、クソBL学は完全な自由である。

またそのクソBLをどう分け、どう並べるかは個人の美学にかかっている。

いかがですか。クソBL学の奥深さと可能性を、少しでも理解していただけたでしょうか。

それでは、最後に大事なことを2度言って、挨拶を締めくくりたいと思います。

私は、クソBLが大好きだ!!
萌えと引き換えに無限の可能性を得た、クソBLが大好きだ!!!!

私は、クソBLが大好きだ!!
萌えと引き換えに無限の可能性を得た、クソBLが大好きだ!!!!

以上です。ご清聴、有難うございました。

クソBL学科教授:埒子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?