『20世紀少年』浦沢直樹が風呂敷をたたまないといけないって誰が決めたの?
今更『20世紀少年』の話。
この作品から浦沢直樹氏は風呂敷を広げるだけ広げてたたまない漫画家と言われるようになりましたよね。確かに浦沢氏は、『20世紀少年』という作品で、それまでの多くの思わせぶりな描写を最後の最後でぶん投げた。ずっとずっと物語を追ってきた人が、あのラストにガッカリしたのは理解できます。
しかし、風呂敷ってたたまないといけないんですか? これは開き直りではなく、たたむだけが物語のオチのつけ方ではないというのをいい加減漫画読みたちは理解していいと思う。
すべてをしまい込む風呂敷ではなく、タペストリーのように編んで広げて、出来上がりを眺めて楽しむタイプの物語だってあるんじゃないですか?
そもそもね、『20世紀少年』は、「ともだち」が誰なのかという謎を解く物語ではない。これはどこかで読んだんですが(どこだったか…)浦沢氏本人がどこかでそう発言したというのを見ました。私はそれを読んで、すごく腑に落ちたんですね。
多分ですけど、浦沢氏が描きたかったのはおそらく『AKIRA』ではないかと。『AKIRA』って金田がカッコいいせいで勘違いされてますけど、あの作品の中心にあるのは、「幼いころのすれ違いから膨らんだ大きな失敗と後悔」なんですよ。おそらく。これもどこかで作者の大友氏が語ってらして、「そうだよねー!」と首がもげるほどうなずいた。
つまり大事なのは、
違うんだ鉄雄 俺はただ・・・・
・・・あのとき・・
友達になろうと思ったんだ・・・・
(出典:大友克洋 作『AKIRA』KCDX第6巻)
ここ! ここなんですよ!
子供というのは心無い言動をしてしまうもので、された方はその度に心に飲み下せない欠片が溜まっていきます。それをお互いでぶつけ合うことができず、結果、欠片がいつしか塊となって、周りを巻き込む大惨事を引き起こすことでしかすべては解決しなかった。
『AKIRA』ではそれを若さゆえの暴走として描いたわけですが、『20世紀少年』ではそんな爽やかすらなく、より時間をかけて溜めた鬱屈が宗教と呼べるほどに体裁の整った塊となり、多くの人間の精神を惑わすまでを描いたのです。
金田と鉄雄は1対1でしたが、「ともだち」(カツマタくん)は当時の同級生たちほぼ全員に対して鬱屈を抱いています。それだけ問題の根源が根深く複雑なものであることを表現するために、「ともだち」はあいつでもないこいつでもないということを延々と描いたのであって、実際に誰なのかなんていうのはどうでもいい。いやむしろ、根源たる「カツマタくん」が、候補にすら挙がらない存在であったということが大事なのです。
だって仮に、世間を震え上がらせた大事件の犯人が捕まったとき、同級生たちが口をそろえて「え、誰…?」と答える方が怖くないですか? そして犯人の過去を掘り返せば、彼がどれだけだれにも相手にされなかった存在かが浮かび上がってくる……。怖い!! それが浦沢流の『AKIRA』、すなわち『20世紀少年』なのです。
そう考えると、そのネタばらしをするまではエンターテインメント性に富んでいますよね。浦沢氏の演出は本当に天才的だと思います。残念なのは、そこで読者の心を引きつけすぎて(おそらく作者的にはそれも狙いだったのですが)、物語の軸を「ともだち」探しだと誤解させてしまったことです。
はいここで話をまとめますね。
『20世紀少年』は、伏線を拾い集めて最後に答えを出す形式の物語ではありません。すべてがミスリードであり、大いなる無駄。最後に予想外すぎる真実が明らかになったときに、物語を見返してすべてが無駄であったことを実感することこそ、この作品の本質なのです。
それに、伏線はちゃんと回収されてはいるので、風呂敷をたたんでいないという言い方も適切ではありませんね。
ここまで説明してもよくわからない、納得できないという人もいるかもしれません。そんな人の理解の手助けに最適な作品があります。
それは『エリートヤンキー三郎 第2部 風雲野望編』です。これに『20世紀少年』と同じ内容が極めて端的に描かれている部分があります。第197話(第21巻収録)~第204話(第22巻収録)。
詳しい説明は省きますが、主人公の三郎が通うヤンキーだらけの徳丸学園の生徒が、荘実館高校に次々と狩られるという事件が頻発。実はその裏には三郎に恨みを持つ謎の人物が噛んでいて、彼が三郎への復讐のために知恵を貸しているということが、正体を明かさないまま語られます。
そして最終決戦。ついに三郎の前にその黒幕は姿を現すのですが、名乗っても誰一人彼を覚えていないという有様。確かに彼の人生をめちゃくちゃにした原因は三郎(の手下)ではあるのですが、まあ、やられた方は覚えていても、やった方は覚えてないよねという話です。
浦沢氏が「『21世紀少年』はともだちの正体探しが目的ではない」と言っていたのを知ったとき、私は真っ先にこの話が思い浮かびました。ちょっとだまされたと思ってでもいいので、読んで比べてみてください。そしたらあなたも「あ、なーるほど」と納得できるかも。
でも、正直私は途中でめんどくさくなって読まなくなった派かな。