自分は使われない
デイビッドたちとかのりこさんたちとか、
ヘレンやビルたちの話を聞いていて、
「あの人たちは聖霊に使われて、
ガイダンスも感じ取れるし、
霊感タイプだし、
なんかみんな集まって一緒にいるし、
彼らはそうやっていろいろ奇跡を体験しながら
生きられるけど、
俺は無理。
だから、彼らの近くに行って、
おこぼれをもらうじゃないけど、
物理的に彼らに参加しないと
そういう体験はできないし、
そういう体験を彼らと積んだ後なら、
ガイダンスや奇跡を信頼して
グループから離れても生きられるようになるだろうけど、
とにかくひとりでは無理、
何も起きない、
かと言って、ファンクションとかしんどいし、
なんか行くのも重い感じ」
で、「自分は奇跡に使われない」
って感じ続けていたけど、
リックが来て以来、
ひとつのきっかけが次の出会いにつながって、
また新しい人たちとつながりはじめて、
一緒に何かガイダンスで旅行に行くみたいな
話にもなった。
お互いの必要がピッタリ噛み合うような感じで、まさに奇跡的だった。
最初のきっかけは、
自分はインスピレーションとか
世界中の人に向けて大々的に表現したい、
みたいな強い衝動が来てFBで英語の投稿をして、
それで神奈川に来てて日本人のコース学習者で
英語を話せる人を探していたリックが
話しかけてきたことだった。
「直接グループとかコミュニティに肉体で参加しないと、
奇跡は体験できない、
だから自分は使われない」
って思ってたけど、
FBの投稿だけでも、
奇跡に使われたっぽいというか、
思っても見ない展開になった。
「こういうのが幸せにつながる状況で、
この特定の状態が正しい道」
って、
なぜか自我は決めつけたがるみたいで、
どうも、聖霊はそれとは違う道を見せながら
導くのかもしれない。
物事がどう進むべきか、
どこに奇跡の機会があるのか、
無意識に勝手に思い込んでいただけで、
それを劣等感とか、
見下されているとか、
裁かれている、と投影しているだけなのか。
奇跡の機会は、実のところ、
アメリカとか
どこか遠くじゃなくて、
すぐそばにあったのかもしれない。