「やめて」が言えない
父が胸から下の麻痺になる少し前に、
自分が母から頼まれたゴミ出しをやらなかった時があった。
それが数回続いたので、
母は台所近くで「なんでなの?」と自分に理由を聞いた。
母は比較的穏やかな性格なのもあって、
自分は無防備にありのままの感情を話す気になり、
「ゴミ出しをやらされることについて、
低い立場、奴隷扱いされるように感じて、
辛かった。」
と言った。正直な気持ちだったし、
言いながら感情が溢れて、
自分でも意外なことに、泣き出してしまった。
自分としては、心を開いたつもりだった。
すると、リビングでテレビを見ていた父がそれを聞いて、
「ハァ?なに言っとんじゃコイツ。
ぼくは傷つきやすいから〜とか
そんな態度で泣きやがってwww」
と、最初はイラッとしたような感じで、続きは
さも楽しそうに卑しく嘲った時、
自分は無防備に心を開きはじめつもりだったの
に、父が敵の弱みを見つけて狂喜しながら
楽しそうに自分を嘲り始めた、
というように、
自分の心を踏みにじられた、
と感じた。
そこからは、自分の中で何かが決壊した感じになり、
反射的に近くにあった空のペットボトルを手にとり、
父を殴ろうと振りあげた。
その全ては、意識して選ぶというよりも、
全身が深く傷ついた痛みと惨めさと、
そこから出る怒りに支配されたような、
瞬間的・自動的な感じだった。
殺人事件というのも、突発的なタイプはこうやって起こるのか、と妙に納得して、
それがいとも簡単に自分を通じて起こることのように感じて、怖さも感じた。
「普段は優しいのに...」と言われる人が殺人をやるのも、自分のことのように感じた。
気が弱くて子どもの頃から自分の感情や怒りを小出しにできない人は、鬱憤が爆発して
突然、殺人を起こすというか、「起きる」んだなと。
今思うと、殺人事件を起こそうにも、剣道3段の父にお茶のペットボトルでは心もとない。
それを母が動揺しながら
「やめり!あんた警察呼ばんといけんよ!
もう嫌よホントに〜」
と制止した。
お茶のペットボトルで呼ばれる警察もたまったものじゃない。
その後は、堰を切ったように、
自分の中から、
「なんでそんな人が傷つくようなことばかり言うの?働きもせず、って言うけど、
お父さんも苦手なことくらいあるでしょう?」
と、赤ん坊か、物心ついた時以来、
父に対して決して言えなかった、
積もり積もった何かを堰き止めていたものが
決壊したような感じで溢れだした。
父は、何も言わずに、
というか何も言えない感じで、
ひきつった笑みを浮かべていた。
相手を嘲ることで、かろうじて自分の
強さを保とうとしているように見えた。
妹は、小さな頃から父に猛然と歯向かっていたし、返り討ちになって虐待されてもいたけど、
とにかく自分の怒りや気持ちをストレートに出すことはできていた。
自分には、それは全くできなかった。
口出しすれば、
体も大きく強い父に、妹のように返り討ちにされるだけ、なら、
黙っているしかなかったのだ。
それが、この日、
文字通り、初めて真っ向から歯向かった。
子どものように、幼稚に醜く、カッコ悪く。
1番やりたくない、惨めで不快でカッコ悪いことだった。
「やめて。なんでそんなことするの?
傷つくから。」
これを言うのは、父相手意外にも、本当に嫌だった。
だから、皮肉にも、
父が卑しく自分を嘲ってくれたのがきっかけになり、
一歩を踏み出せた感触はあった。
それができたからなのか、
そのすぐ後に、父は突然左腕の激痛を訴えて病院に行き、
翌日には麻痺になり入院し、
家に帰らぬ人となった。
ある種、父が役目を果たしてくれたというか、
一区切りついたタイミングで、
父と自分を一旦離して、
自分がのびのびと動きやすくしてくれたような感じもある。
父が自分を卑しく嘲っていた時は、
これが愛であるはずがないと思ったけど、
「本当はお父さんはりょうくんを愛しているよ」
と言われたのも、ある程度納得できる。
確かに、父が優しさや愛(っぽいもの)を示したことはあったし、
その面から見れば、全く違うようにも見えるんだろう。
父が麻痺になって、
関係は変化した感じはするけど、
正直まだあまり赦せる感じはしない。
職場のパワハラもして、
こんなひどい人間が教師という仕事をのうのうとやっていたのだから、
地方新聞で晒し者になっても当然だ、
むしろジャーナリズムの正しい活用だとか、
こうやって病気で苦しまなければ、
謙虚にならないだろうからせいぜい苦しんで欲しい、ともたまに思う。
少し時間が経って、痛みや感情エネルギーにとらわれた感じがある程度引いたので、書けた。
まあこれからどうなるかな。