心だけ

しばらく前に読んだブルース・モーエンの本『死後探索シリーズ』1〜3巻に、
ブルースが体外離脱して出会った
死後の霊というか死後の人たちが
「もう終わって存在してない問題」
が今も存在していて、
そのせいで自分は今苦しんでいると完全に信じて、
苦しみ続けている、
その人というか霊たちに、
「もうそれは終わっているし、
もう存在してない、
記憶からできた幻覚ですよ」
と直接言うのは霊たちが受け入れられないから
治療とか手術とか、
天使の格好とかその霊たちが受け入れられる
何かを使って問題の解決策を受け入れさせていく
という描写がいくつもあった。

霊たちの問題というのは、
病気とかケガとか、
何か罪を犯した罪悪感とか、
何かの怒りや執着とか、
何かのストーリーに囚われ
何か痛みや苦しみをもたらすものだった。

響いたのは、霊だからもう肉体がないのに
自分は人間で、人間はガンとかケガをしたら
苦しむのが当たり前だから、
自分は今苦しんでいる。
というのを、
ガンとかケガで亡くなった霊たちが
頭から信じて、
死んだ後も生前と同じ苦しみを持ち続けていたことだった。
中東戦争で人を殺した若いアメリカ兵だった青年が人を殺した罪悪感を持ち続けていたり、
問題はいろいろなんだけど、
「病んでいるのは肉体じゃなくて心」
というコースの原理がそのまんま具体的に
描写されている感じだった。
死んで病気になった肉体とかケガとか、
または人生というか生活から解放されても、
心がただ解放されるわけじゃないんだ、
みたいな。

死んだ後も自分の信念というか心の執着で
苦しみ続けている人たちを
ブルースたちとか霊の世界の人たちが
次つぎに解放していくんだけど、
「死んだ後も苦しみ続けている」のが
単純にショックだった。
え、死んでも楽になれないのか、
みたいな。
話しには聞いていたけど、
いざ霊たちの名前とか家族のストーリーつきで
書かれると
臨場感がすごくて生々しかった。
やっぱり、どこかで、
「死んだら楽になれる、
苦しみとかから解放される、
綺麗さっぱりオサラバというか上がり」
みたいにどこかで思っていたのに気づいた。

ワプニック博士が「自我は死を超えます。
肉体が死んだからといって自我から解放されるわけではありません。」
と言っていたのと、
テキストの「死は救済だと考える危険がある」を思い出した。

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