
他人を優先しない
これは、本当に大切だと思った。
子どもの頃から、他人の気持ちとか、
または自分を優先した結果、
深い無価値感や罪責感が出たりする恐怖から、
微妙に無理をしたり、
自分の中の感覚を優先せずに、
他人の気持ちや要求、期待、
または自分がそう思い込んでいるものに、
きつかったり、違和感があっても、
合わせる、
それをやるのがあまりにも当たり前だったから。
『神秘家との結婚』でデイビッドが、
車でのアメリカ旅行中にカースティンが
「今日は孤独感や不安が強く出ているから、
夜にわたしが滞在する部屋に一緒にいて欲しい」
と言っても、
デイビッドはあっさり断った。
明日の朝、メールの返信しないとだし、
ガイダンスじゃないから、
それはしない、と。
若い女性、しかも、
事故の後遺症が残っている女性から
そう助けを求められたら、
かわいそうだから一緒にいてあげよう、
それが愛のある態度だから、
となるのが普通なところを、
デイビッドは迷わずNOだったのだ。
普通なら、ありえない。
その前後に、書類ではないけど結婚という枠組みでパートナーにもなったのに。
もちろんガイダンスなら、
一晩中でも、付き添ってあげたんだろうけど、
相手が闇が出て、辛くて寂しがっていても、
なんか違う、これはガイダンスとズレてる、
と感じたら、
全く躊躇なく、
事故の後遺症が残ってて、
不安や孤独に悩む若い女性を目の前にしても、
あっさりNOと言える。
コース界隈にこれができる人は、
何人いるだろうか?と思った。
形のレベルで、愛のある行為や、
なんか正しいように見えることをする、
のは、実はズレていて、
何がガイダンスなのか、
に、100%従う。
ちょっとでも無理してるな、とか違和感があったら、
その自分の感覚を、100%大切にしてあげる。
デイビッドが幸せなのは、
他人の期待や要求、
または苦しんでいる他人を救うことよりも、
まず最初に、自分の感覚を最優先して、
自分のガイダンスに耳を傾けて、
絶対に無理したり、頑張ったりはしない。
他人が闇が出るとか、他人にどう思われるかは、完全に気にしない、
デイビッドはこれを100%、
徹底的にやったから、
もちろん闇はたくさん出ただろうけど、
幸せになれたのだ。
よく考えたら、当たり前だ。
自分に優しくしないで、
自分の感覚を大切にしないで、
常識や、善人や愛ある人だと思われるのを
優先していたら、
当然、他人からはつけ込まれるし、
幸せになれないのは、
当たり前だ。
だって、自分を大切にしてないんだから。
カースティンが、車中で、
事故の後遺症で頭痛がするし、
長旅で疲れてもいるから、
どこかモーテルで休ませて欲しい、
と言うと、
さすがにデイビッドも折れて、妥協して、
路肩に車を止めて、
少し2人で寝たけど、
やはりこれは違うとなって、
すぐに出発した。
これも、常識からしたら、
まずありえない。
後遺症が残って、ただでさえ旅がきつい
カースティンを、なぜ優先しないのか、
と自分も湧いた。
やはりこれも、デイビッドは、
相手がどんなに苦しんでいるように見えても、相手の期待や要求を優先せずに、
まず自分の中の感覚、違和感がないほうを選んで、無理せず、頑張らないほうを、
とにかく最優先しているからこそ、
普通の人間なら、
Noとは絶対言えない状況でも、
Noと言えたのだ。
もちろん、カースティンは死ぬほど闇が出て、
怒りやら復讐心も出てたけど、
そうやって闇が出て、
出るからこそ、学びがあり、浄化もある、
だから、猛烈に闇が出ていいんだと、
デイビッドは分かっていたから、
それも完璧だと構えていたわけだ。
もはや、普通の人間の領域ではない。
でも、私たちは、
人知を越えた平安を求めているのだから、
そうやって、人間の常識とか、こうすべき、
を優先する在り方からは、
本当に離脱していくんだな、と思った。
あと、とにかく他人を助けるために忙しく働いて、病になったらしいエドガーケイシーについて、
『天国から離れて』で、
イエスがヘレンに、
「他人からの助けの要請に、
とりあえずその要請が応えられないままにしておけない者は、
ヒーラーとして未熟である。
いつどこに、誰に奇跡が授けられるべきか、
まずわたしに尋ねなさい。
それができていたら、
エドガーケイシーはさらに良かった」
(うろ覚え)
という趣旨のことが書いてあったけど、
そのことだったのか、
と思った。