献身滞在
「献身滞在に参加している人に比べて、
自分には幸せの原因や量が少ない」
という知覚と信念があった。
感情は、惨めさや羨望の痛み。
でも、実際、意欲と見方次第では、
実家にいても、
聖霊と共に献身滞在に参加することができる。
しかも、無料で365日。
すでに「参加」は完了していた、と
思った。
どこかの献身滞在やリビングミラクルズにいることは特別な、
何か違った幸せにつながる体験や目覚めを加速させられる、
ほかの状況とは違う「特別な原因」
としてのパワーがあるという信念は、
果たして真実なのか?
確かに、いかにも真実に思える瞬間はあるけど、
では、
献身滞在やリビングミラクルズの建物の外にいる人たちは、
今この瞬間、
完全に幸せでいられないのだろうか。
イエスが、そんなことを教えるだろうか?
と考えると何か、違和感がある。
献身滞在の本質は、
お金を払ってどこかに行って
参加する何かではなく、
今この瞬間、
祈り尋ねたり、
信念を直視して、
捧げる意欲を持つことなのかもしれない、
と思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?