何もない怖さ
ケネスとナナの動画でケネスが話していた、
旅をする中で、
次の具体的なガイダンスとか、
何かやる感じが来ない時、
ただ空っぽで静かに待っている時、
無意識の罪悪感が上がって来て、
「なんでもいいから早くガイダンスをくれ!」
みたいな感じになると。
でも、旅の目的は正しく具体的にガイダンスを聞くことではなくて、
むしろその無意識の恐怖とか焦りを
浮かび上がらせることだと。
確かに、
何もやらないでただ静かにしていると、
なんか不安になる。
何かが間違っているような。
何か、建設的な、
何か本とか動画で知識や理解を学んだり、
何か行動するとか、
誰かと連絡するとか、
何か考えるとか、
とにかく何かやらなきゃみたいな、
空っぽさを埋めたいみたいな。
やっぱり、体を動かして負荷がかかる
きついように見える労働とか
ファンクションをやってる人たちは
正しい状態で、建設的で、
ただ静かにしている自分は、
人生の貴重な時間を無駄にしているような
感覚になる。
シェア会とか誰かとの会話でも、
何もない空っぽの沈黙が流れると、
何かが間違ってしまったみたいな、
上手く行ってないような気まずさと焦りが
流れる。
そこに、むしろ信頼して構えられるようになるのかもしれない。
自分でなんとかしなきゃみたいなコントロールを手放す、
的なやつか。