正直さと相手を傷つける恐怖
No people Pleasing
No Private Thought
これを本当に率直にやったら、
相手も自分も傷ついて
言葉にできないような心の痛みや傷を抉り出す
ことが起こっただけに思えた。
ふざけんじゃねえよ。
心の血が飛び散っただけ。
お互いに傷つけあって話すのも怖くなって
恐怖と痛みが残るだけじゃねえか。
ある人から、相手の心の痛みに触れるようなことは馬鹿正直に言わないようにしてさ、
と言われた。
俺も全く同じこと(率直に自分の考えや恐怖や感情を話して、悪気はなくても結果的には深く傷つけた)を思ってたから、
罪悪感というか痛いところを突かれた感じだった。
ちょっと前の動画でジェイソンが、
「相手を動揺させるような自分の悩みや苦しみを相手に秘密にして話さないのが
愛とか優しさ、
配慮に思えるけど、
実際には正直で率直であることが
愛であることになる」
と言っていた。
自分の中で「これはやってはいけない、
相手を傷つけるかもしれない、
自分も罪悪感を感じるかもしれない、
でも我慢していること」
を勇気を出してやると、
自分の中でも罪悪感や自己譴責の激痛をしばらく味わうことになったし、
他人から見ても
「それはやりすぎ、馬鹿正直すぎ、
相手をあまりにも深い傷を刺激するような
ことは真に助けにならないからさすがに遠慮すべき」
だったから
他人からもあれはまずかったね、
と言われる。
自分もあまりにも限界まで追い詰められたかに見えたある人への偽りの共感からもっと配慮っていうか手加減したら?と
言ったことがあった。
「ここを越えたら痛い思いをする」
ラインを越えたら、
やっぱり痛い思いをしたし
他人からも裁かれる。
それでもありがたいことに相手の人はあれでよかったと言ってくれた。
それでもさっきまで
「自分の率直な発言は相手をあまりにも深く傷つけた、苦痛を与えた」
という考えが頭を離れなかった。
その考えが思い出された時は
ただ痛みを感じるままにするしかなかったけど
ジェイソンの言葉で何か吹っ切れたというか変わった。
あなたは弱い存在だから傷つくから、
それはかわいそうだし俺も痛い思いするから
これはあなたに話しません、
というのは確かに愛であるかに思えるけど
実際はその逆かもしれんと思えた。
ジェイソンがデイビッドたちに合流した時期、
あるジムのサウナにいると、
男性が入ってきてストレッチやジャンプをし始めて、
サウナ内では運動禁止と書いてあったので注意しようか迷ったところ、
「No people Pleasing」を練習中だったから
思い切って
「運動禁止と書いてありますよ」
と注意すると、
その男性は屈辱を感じて
キレはじめて「おまえは何様だ!」と
ジェイソンに怒りをぶつけたらしい。
一見したところうまくいかなかったように思えるけど、
ジェイソンは自分の思いを我慢して言わないより
胸がすくというか風通しが良かった、と言っていた。
この話を聞いた時、
ちょっと前に日本の電車内でタバコを吸う男性に高校生が注意して、
怒ったタバコの男性に暴行されたっていうニュースを思い出して、
「それは危ないんじゃないか、場合によるんじゃないか」と思ったけど
「これはアウト、危険、怖い、避けないと」
のラインを越えると
周りからは「それはまずいよ」
と思えるものなんだよなぁと思った。
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