「データの民主化」という言葉が好きくない
もちろん、みなさんが属している組織や会社、環境により差異があるため、一概に言えないのは百も承知やけども。
私は数年前からでてきた「データの民主化」という言葉が大キライ。
結局システムサービスベンダが案件獲得のために利用しているバズワードに過ぎないと感じてもうてます。
それを真に受けたデータ利用部門が情報システム部門に「データの民主化ができていない」と詰め寄り、関係悪くしている気がしてしゃーないです。
考えすぎ?
データの民主化とは
具体的には「データを見たい」となったときに、特定の部門の人しか閲覧できない状態、所謂情報システム部門に依頼をして数日かけて抽出してもらう状態から脱却し、誰もが平等にデータを利用できる環境のことを指してます。
データ利用の実態は
確かに理想的な姿で目指すべき環境であることはだれの目から見ても明らかやし異論はないです。
が、実態的に一般的な事業会社のデータ利用はどうなっているか。
現実的にデータを利用する部門のリテラシー不足に陥っていることが多分にあるかと。
データ分析を、RAWデータから自分の手で実施しようといっているデータ利用部門(ここではマーケターとする)がどこまでいるのかが、甚だ疑問だと。
「データの民主化といわれてるけどわが社はできてない、わが社の情シ部はなにやってるの!」と声を上げるマーケターのどれだけが、データ分析をしっかりしているのか、ほとんどできてないんじゃね?と思っている。
「データの民主化」はデータを利用する側のリテラシーがあることを前提としている環境のため、これに当てはまる日本企業はどんだけあるんだろうと。
やってる人は既になんとかしてる
論拠のない、個人の感想であることは承知のうえで。やってるマーケターはRAWデータをなんとか入手し、自分で加工して集計してるし、今後マーケターがもっておく技能の一つとなる、DBやSQLの知識も自習して使っている印象がある。
結局、「データの民主化」という言葉を使ってる人は何もやってない、けどやってもらおうとする人がおおいんじゃないかと考えてます。
必要なこと
とはいえ、前述のとおり、「データの民主化」は目指すべき理想の環境であることは間違いない。
このため、私個人としてはは、以下どちらかを会社の状況に合わせて推進させるべきやと考える。
ダッシュボードで全部門共通のKPIなどをだれもが共有できる環境からつくる
だれもが最低限のRAWデータを抽出できる環境からつくる
中途半端にどっちもという形ですすめるより、どちらかに全振りして、だれもがデータになれる環境をつくる前者か、使えるデータは与えるからまずは利用部門でなんとかしようという後者かどちらかわかりやすくしたほうがよいのではないかと。
そして最も重要なことは、情報システム部門とデータ利用部門がどちらにするのか両部門でワーキンググループ化する必要がある。どちらか片方で主導すると必ず中途半端なものになってしまう。
そして、情報システム部門は利用部門のことをより意識する必要があるし、データ利用部門もすべてが情報システム部門まかせでなく、自分がしっかりとデータ分析を実施していく、月並みの言葉やけどやっぱり歩み寄りが必要だと改めて思う
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