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「無能」に苦しむ時代じゃない


ーーーーー<自己紹介>ーーーーー



25歳、社会人3年目。



岐阜県在住、ミニマリスト。



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人間には4つの段階がある。彼は言う。

無意識・無能。
「知らないし、できない。」

有意識・無能。
「知っているけど、できない。」

有意識・有能。
「意識していることは、できる。」

無意識・有能。
「やれちゃってる。」

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「知っているけど、できない」は、不快だ。
だから、「知らない」に立ち返ろうとする。
僕たちはこうして「不快」からの脱出を図ってきた。

知っていて出来ないくらいなら、知らない方がマシだ。
きっとそんなところだろう。
僕たちが日々、劣等感に苛まれるのは「知っていること」が原因だ。
輝かしい世界さえ知らなければ、劣等感を抱くことすら出来ないからだ。

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SNSの発展は幸か不幸か。コミュニケーションから距離的制限を排除した。
世界をオープンにして、より広くのコミュニケーションを創造する。
きっと、SNSに込められた理念はそんなとこだろう。

その結果どうなったか。

地球の裏側にいる人の生活が、たった1秒で観察できるようになった。
大衆が「いいね」と評価した輝かしい生活が、否応なしに目に飛び込んでくるようになった。
開かれたコミュニティを片手に収めることができるようになった今日の世界では、「知らない」状態を維持する方が難しい。

そして、この流れは日々加速している。文字や写真、動画で感じていたそれらの世界が、次は仮想空間となって人類に襲いかかる。メタバースだ。

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これから先「有意識・無能」から「無意識・無能」への退路は断たれつつある。

すると、残る選択肢は2つしかない。

「有意識・有能になる」か「自分を責めない」か。

流行りの感染症は、この1年で「afterコロナ」から「withコロナ」へと方針を変えた。
「問題ありき」で「共存」する道を選んだのである。

おそらく「有意識・無能」も同じ道を辿らざるを得ない。「知ってしまう世界」の住人は「知っているけど出来ない」という不快と共存することが賢明だろう。

ともすれば、有意識・無能の時には「責めない」ことが重要である。有意識・無能とは、決して悪ではないからだ。単なる時代であり、情報差であり、誰もが不快を感じる「段階」に過ぎない。だから、責めない。責める必要がない。

手を洗っても、マスクをしても、人との接触を避けても、新型コロナには感染する。過剰なほどに予防をしていても、そのことには抗えない。そのとき「予防が不十分だった」と自分を責める人がいようか。有意識・無能も、その程度の話だ。

共存するのは、確かに難しい。非自己と調和を図らんとすることは幾分かストレスを伴う。だけれども、そうしてインフルエンザと共存する道を切り拓いた人類だ。「まぁ、そんなもんだよね。」それでいい。

有意識が前提となっていくこれからの世界では、間違いなく、多くの人がこれと向き合うこととなる。いま、僕たちができる「予防」は、共存すると「決める」ことだ。心の安寧にとっても、有意識・有能への発展にとっても、「排除」より「共存」が賢明だ。新型コロナと同じように。

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