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令和ロマンから学ぶ世代ギャップと天下のオードリー
出来る後輩へのいじり失敗例
令和ロマン出演のしくじり先生にて、令和ロマンがテレビに出ない理由に、番組を選んでいるという。
先輩のいじりとしては「生意気だ!」とかシンプルなものが正攻法だろう。それに対して、ノブコブ吉村は、必死にテレビにしがみつく俺らは不合格なんだと言う。
先輩が後輩に対して、自分を卑下するイジリ方をしていた。
それに対し、くるまは、
「好きな先輩に言われると萎える」
まぁ、そうだよね。
絡み方としたら先輩が後輩に対して、下から関節取りにいくやり方であり、この戦術は自分より強い者に絡む時に使うから良いのであって、逆になると見てらんなくなる、諸刃の剣である。
でも、やっぱりさ。
私としても先輩の立場の方に感情移入しちゃうから、ドキリとしてしまう。思い返せば思い当たる節があるよ。
出来る後輩に対しての距離の詰め方、いじり方が変な感じになってしまう。気を使うじゃないけど、何か見透かされそうとか、後輩相手にビビってると思われたくない。正面からストレート打てない感じ。あぁ、情けない。
鬼越えトマホークの本質
くるま:「非効率を美徳としている」
鬼越 :「いつか誰かがお前を裁くぞ」
上の世代は、非効率を美徳としている節がある。これはくるまが正論。この意味不な文化をピシャリと切る正論を提示してくれるのが、次世代。
昭和・平成時代において非効率を美徳とする文化は確かにある。本人たちも正解ではないことに気づいている。もっと言えば、気づかないふりをして許容している。だって、それで育っちゃってるから!わかっているけどやめられない、カッパえびせん!
何なら非効率を悪いとも思っていない節すらある。非効率な努力もアバウトな時代の許容さが自分の持ち味と自分の気持ちを改ざんしている。思考が令和にアップデートされない。
鬼越のいつか誰かがお前を裁くぞ
これは、【誰かが】の部分は他者ではなく【自分自身】に置き換えるとしっくりくる。
いつか自分が自分自身を裁くぞ
非効率・無駄なことを排除していくと苦しくならない?
無駄なことも一つの生き方であることを受け入れた方が生きやすくなるし、無駄なことなんてない。文字にすると綺麗事に見えるな。ただ、これは泥くさい考えであって、自分自身の気持ちひとつで無駄を無駄と思わない力技の話かも知れない。昭和・平成の脳筋を私は信じている。
天才くるまの若林評論
若林さんがダウンタウン松本さんに次ぐムーブメントを作った。一軍の笑いから転換して下から陽キャを斜めに切り取り笑いにして、世間に流布した。
いいね、くるま。若林推しからすると、その通り!と寿司でも奢りたくなっちゃう。
ただ天下人ダウンタウン松本さんと違うのは、
若林さんは、天下人のように上から統率じゃなくて、横側にいる感じ。松本さんやとんねるずは、圧倒的カリスマで縦に統率、若林さんは、浸透的カリスマで横に統率。
同じような共感者(仲間)を16万人も集めちゃってギネス載っちゃって、その翌日にスクール革命で軽スベリしちゃうなんて、遠くて近くて推せる。
地元の友達、先輩のような距離感を与えてくれたり、同じような悩みを抱えて自己投影できる天下横人、稀有な存在。
令和ロマンのように芯くった見方ができる若手から、推しを褒められると嬉しい。
くるまという男は、分析の解像度が高いし、俯瞰する能力が秀逸である。ケムリはかわいい。気付いてみれば、この次世代スターの話術に魅せられていた。