ねずみと象、そしてみつばち。それぞれから見える世界
タイトルは、昔に参列した葬儀で
説教で聞いた事のあるお話です。
それぞれの生命からの視点があるのは、今でこそ
当然の様に感じます。
みつばちのお話を、前にしましたが
きっとみつばちから見える世界も存在しているものです。
私は、みつばちも好きですし
みつばちが一生懸命に集めた蜂蜜も購入して
生活に活かさせてもらっています。
みつばちは、決して「人間の為に蜂蜜を集めている訳では無い」
事実も、なんとなくではありますが意識していました。
人によっては「蜂蜜を奪って酷い」と
お思いの人も居ますし、それぞれの考えがあるかと思います。
人間は、単独で栄養素を生成できる生き物ではありませんし
生まれた瞬間から、人の庇護により育てられているので
生きている間は、ほぼ永続的に他の生物からの恩恵なしには
生きていけないものです。
当たり前すぎて、忘れない様にしなきゃいけないのです。
自分で土を耕し、種をまき。水をやり肥料をやって
雑草を抜き、摘果・収穫に至るまで
どれだけ自然からの恩恵を受けたのかは
数えきれないほどです。
みつばちが人間の世界にもしも、見限りをつけた。
(リンク先の記事では③番目の事を言っています)
としたら、みつばちを通して見えていた世界とは
一体どのようなものだったのかと考えるのです。
集団でみつばちが、消えたくなる様な世界で
人は生きているのかもしれません。
これは、よほどの事でしょう。
人間でも、嫌すぎてココから立ち去ってしまいたい。
と思う事もあるでしょう。
それが、あの小さなみつばちの体で起きているとしたら
ものすごい脅威ではないでしょうか。
みつばちの視点・意識を得る事は人間には
難しいでしょうが、想像する事は出来るのかもしれません。
都会の空を飛ぶミツバチも近年では、増えて来ています。
自然豊かだった山の上には、黒いものがいっぱい並んでいます。
多くのトラックが行き交い、森はむき出しに拓かれて
多くの雨が降れば土砂崩れしやすくなっていきます。
土が返された場所には、何も根ついてはいないでしょう。
便利さを求めて手放した、取り返しのつかないもの。
みつばちは、きっとかけがえのないものを失った瞬間に
いつか居合わせていたのかもしれません。
想像でしかありませんが。
自然と人を結び付けてくれている存在は
体こそ小さいながらも、とても大きな役割を果たしています。
「にんげんは、どうして自らの世界を壊し始めたのか」
みつばちは身をもって(居なくなる事により)
人類へと警告しているとしたら?
養蜂家さんは、みつばちを育てていらっしゃいます。
そして、農家さんにみつばちをお貸しして
受粉のお手伝いをしています。
危機感を少しでも感じる為に。
みつばちが居なくなると、口にする事が出来なくなる
食べ物を書いておきます(一例です)
イチゴ・トマト・メロン・コーヒー・林檎・キュウリ
アーモンドなど。乳製品にも勿論影響するでしょう。
穀類は影響をまだ、受けにくいとは言え
食べ物の値段が恐ろしく高騰するのは
容易に想像がつきそうです(買い占めなども起きるでしょう)
考える時期はもう既に過ぎているでしょうし
遅い気もしますが、もう行動に移すフェーズなのではないかと
自分の肌感ではありますが、来ています。
もし、もっと今よりもみつばちが激減すると
食卓・農業が大きく変化してしまうでしょう。
実は、ここ数年私の未来感では
「ただひたすらに農作物を育てる日々」が
3、4年前から頭の中にあるのです。
(これについては、もっと明確に書けそうなので
後日書いてみますね)
文明がまるで、後退したの?と思う様な世界なんです。
いつからかそんな未来のビジョンを感じ始めて来ているので
現実世界に投影されない様に、現実を変えていくしかないのです。
現実を変えるには、意識を明確にする・行動が相応しいと思うので
長い目で見て変化させていきたいものです。
長々ともし、お読みいただけたなら
本当にお疲れ様です。有難うございます( ^^) _旦~~