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「水府の三門」◆道しるべ◆ ④

水戸藩による小生瀬村虐殺の真相(小生瀬騒動)

はっきり言って、これは公の記録が水戸藩にはない

水戸藩が村人の殺戮を行ったことを、藩全体で何代にも渡って隠蔽して来たことによる

小生瀬の村人から村人へ、わらべ歌や行事の折に触れて口伝・口承されて来た言い伝えである

雨宮いばらは

『この小生瀬村虐殺事件を、いち百姓一揆などと片付けて良いものか
はたまた、自分が養子と言えど家督を継いだ雨宮家の名に恥じるような働きがあってはならぬのだが、自分が赴任した村々では、怪異なことが多々あって
どうも自分は、ひどく水戸さまと村々についてもだが、深き谷山の怪異には疑心暗鬼になってしまっているのだよ・・いばら』

そう、雨宮又衛門から文を貰い、いばらは又衛門に合流すべく、はるばる江戸からやって来たのである

又衛門様とは、絶交中だけど
いばらよ帰って来てくれ、見え見えだけど
又衛門様の書きはじめの【美ちくさ】は興味があるの

常陸の国袋谷の温泉にも浸かったことだし

小生瀬までは遠くはないけれど坂道が険しい

明日の朝には出発しよう

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