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さいごの花火


  「父さん、俺も尋常小学校出だったら、花火師になるべ。」

 「そーがあ。」

 俺はその日、作業場から帰って来た父が火薬で真っ黒になった指を石鹸でごしごしと洗う後ろ姿に、家業を継ぐと言った。尋常小学校三年の春だった。

 それから三年が経って、六年生の春。戦争が始まった。
 その時、父から尋常小学校を卒業したら、高等小学校へ通うよう言われた。
家業を継ぐつもりでいた俺は、最初、反発したが、父の「戦争が終わったら幾らでも教えてやる。せめて高等小学校くらい出ておきなさい。」という言葉に背を押される形で高等小学校へ入学した。
 疎開の学童すら訪れない程の田舎だったせいか、しばらくは戦争の「せの字」すら感じられぬ日々が続いたが、それはある日唐突に我が家にやってきた。

 「お父さんが、兵隊さんさなる。」

 俺にはよく分からなかった。
 連日のラヂオ放送では、今日も我が国は敵国を討ち捷利《しょうり》したと言うけれど、こっだな田舎の花火師まで赤紙が来るほど、実は戦況は思わしくないのではないかと、その時俺は不謹慎にも思ってしまった。

 「火薬扱う仕事だべんたら。」

 そう言って父さんは、家族とまだ学生の俺を残して兵役に採られた。

 「発破の号令をかける仕事をする事になった。」

 その手紙を最後に、父から手紙の一切が送られて来なくなり、代わりに昇進の報せが家に何度か届いたようだった。

 昭和二十年六月二三日。義勇兵役法が施行され、十五歳に達していた俺も徴兵されることになった。
もともと、志願しようとは思っていたので、さして抵抗もなく徴兵検査へ参加した。相変わらず父からの手紙は来ないが、戦死したとの報せもない。それならば、徴兵検査に合格すれば、父に会えるかもしれないと思っていた。

 配属が決まった。高等小学校を卒業しているという理由で飛行予科練習生として短期養成を受けるよう上官から勧められ、その予科連にて教育を受ける事となる。
 入ってすぐに気づいた。我が国は練習生の飛行訓練に必要な航空機の一切を造る能力すら喪っていた事に。
 そうしてあぶれた人員を留め置くほどの余裕すら、既に無いというのに、自分たちがここに配属された理由にもすぐに思い至ってしまった。

 「予科連は解散する。これから、上の歳から順に本土決戦要員特別攻撃部隊に編入してもらう。」

 後に震洋《しんよう》と呼ばれる特攻兵器の操縦要員だ。

 その命を受けた瞬間。ここまでか、と悟った。こうなるのであれば、あの時、父に食い下がって高等小学校なぞ行かずに花火師の修行を受けるべきだった。例え、戦時下において火薬の入手が出来なくとも、父の言う通り戦争さえ終わればまたやり直す事だって出来た。
 決意を固める時間など与えられず、本土決戦部隊への人員輸送が始まった。

 一つ上の先輩が出撃した後、やはり決意や覚悟など決まらぬまま、それでも、何か遺さねばと家族に宛てた手紙に封をした時、招集がかかった。
 出撃予定にはまだ早い。
 招集がかけられた場所に移動する。だいぶ人が減った隊列の一番前で、気をつけの姿勢で流れてくるラヂオ放送を聞いた。玉音放送。

 戦争が、終わった。

 不要になった搭乗機・震洋の解体、配属地の復興を終えた後、ようやく実家に帰ることができた。

 帰ってきた。生きて。
 玄関扉を開け、靴を脱ぎ、上り框に足を乗せ、ふらふらとやけに静かな家の中に踏み入った。

 母も、弟達も、みな生きて。

 ただ、この、通夜のような、冷えた空気は……その時、俺は父は死んだのだと思った。

 帰ってきた俺に最初に気づいた母が、その後に弟達が、泣き出す寸前の顔で駆け寄ってきた。抱きついた時にはみな泣いていた。

 「只今、戻りました。」

 そう言ったつもりが、声が、言葉が、胸が震えて音にならなかった。

 ひとしきり、泣き終えた頃。母が全員を座らせ、みなの顔を順に見回して言った。

 「父さんは、戦犯で、裁判さかけられる事になっだんだって。」

 「戦犯……」

 あの父が?戦犯?目の前が真っ暗になるようだった。

 それから幾らか月日が流れ、俺たちは戦犯の家族として町を追われ、山に逃れての生活を余儀なくされていた。
 そこへ、父への沙汰が決まったという報せが届く。

 「BC級戦犯——戦争犯罪類型B項」

 現地にて爆撃の指揮を採っていた事により適用された。しかし、それらの指揮は上官からの命により行なっていた事。終戦後、現地捕虜の保護に当たったことから減刑され、処刑は免れた。

 ただ、

 父が帰ってきた。

 玄関の三和土に頭を擦り付け、父はひたすらに謝った。
 誰も父を責める事はできず、ただ、その背中に手を当て一緒に泣くことしかできなかった。

 ようやっと落ち着いてきて、父が顔をあげる。

 その時に初めて気づく。父の左目が義眼である事に。失くしたのか。それを見て、また涙が溢れそうになるのを、あの日死にに行った先輩の顔を思い出して、なんとか止める。左目を失っても、自分の父は生きている。

 そう、心を奮い立たせ屹と顔を上げた時、その言葉が己の耳に届いた。

 「ごめんな。花火の仕事も、家も、今ある財産も全部、取り上げられてしまう。父さんの、せいで、ごめんなあ……」

 生きて、帰ってきた。
 戦犯として。左目を失い、更には職も財産も失い、でも、生きて帰って……

 その時、どうして、と心に浮かんだ怒りは、隣で声も出さずに泣いている次男。意味が分かった上でそれでも理解できずに泣き出した三男。そして、訳もわからず泣く四男を見て、そして決して泣かないと必死の形相で涙と恐らくは怒りを堪えている母を見て、俺は決意をする。

 あの時、死を前にして固められなかった決意。でも今は。

 父の背に回していた手をゆっくりと自身の膝に乗せる。

 「だいじょうぶ。俺が、はたらく。もう、じゅうぶん大人になった。だいじょうぶだから。」

 声は上手く出せただろうか。顔は、笑顔は、唇がぶるぶると震えて、泣き笑いになってしまったけれど。

 だいじょうぶ。

 こうして、江戸から続いた我が一族の、花火師としての歴史は途絶えた。

 今でも思い出す。父と、職人達が作った炎の花。

 「特等席で見せてやる」

 そう言って、打ち上がる一筋の光とほんの少しだけ遅れる破裂音。星空に広がる彩り。やがて雪花のように散り果てるその最後の一雫。頬に舞い落ちる煤。
 何度も何度も繰り返すその光景。
 ずっと、ずっと続いていくと思っていた。俺が受け継ぐ筈だった。

 そして、花火が消えた。