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新言語秩序(二次創作)–解析担当者の呟き③

ゆっくりと近づいてくる長身の男の顔を見て、僕は目を見開くと同時に、口までもあんぐりと開けてしまった。

「やあ、柾季。現実で会うのは久しぶりだね。」

「雪狐(ゆきぎつね)室長…」

そこに立っていたのは、紛れもなく新言語秩序のウイルス対策室室長・雪狐だった。"室長"といってもウイルス対策室にはこの人しか居ないのだが……。ちなみに雪狐というのはコードネームだ。新言語秩序の中で、本名以外を堂々と名乗っているのはきっと彼くらいだろう。

「実は、言葉ゾンビとしても活動しててね。優也というのは、そこでの名前。ちなみに本名だよ。」

「……だからか。」

得心がいった。この人ならば、問い合わせフォームの仕組みを利用して僕に直接メッセージを送る事も容易だ。

ただ。

「どうして、そんな事を?」

室長は宙を見上げて少し思案する。

「うーん。私もね、まさかここまで新言語秩序が大きくなるとは思っていなくて。少しやりすぎなんじゃないか?って思い始めていたんだ。ちょうどその頃に出会ったのが彼さ。」

室長の手のひらがするりと希明の肩に置かれた。
希明はかったるそうに室長の手を払いのけながらこう言った。

「こいつ、いきなり俺らの根城に入ってきて、なんて言ったと思う?」

希明が僕の方を見る。僕は首を傾げて、話の先を促した。

「『私は新言語秩序の人間だ!話がある!』ってな。」

それはさすがに……呆れるほどドストレートだなと、思わず吹き出してしまった。

「俺が止めなかったら、お前、うちのゾンビ達に殺されてたぞ?」

希明の目が長い前髪の隙間からギロリと室長を睨みつけている。一瞬、僕はびくりとして笑顔を引っ込めたが、よく見ると希明はその鋭い眼光とは裏腹に、口元には微笑のようなものさえ浮かべていた。

「それは……ここで我々新言語秩序が殺した館長たちみたいにかい?」

ちょうど先程までそのことを考えていた僕は、室長のその言葉に今度こそ息を呑んで顔を引き攣らせる。さすがの希明も、この問いに対しては沈黙に数秒を費やして、言葉を選ぶように、言った。

「……あれは事故だろ。」

その答えを聞いた室長は形の良い眉毛をほんの少し歪ませて、視線を落とす。

「群衆雪崩が起きたんだ。あの時の犠牲者には新言語秩序の人間だって居た。俺はテレビであの事故を見てここの職員たちの"暴動"を知った。」

希明はそこで一度言葉を切ると、室長の隣に座って彼のズボンの裾をくいっと引っ張り、自分の隣のスペースを叩いて座るように促す。その親しげな仕草を離れたところから見ていた僕にも、希明は同じくらいの親しさで手招きする。

「柾季、だっけ?お前も座れ。」

「あ、はい。」

僕は返事をすると、恐る恐る二人の前に正座した。

「酷い報道だっただろう。先に手を出したのは明らかに武装していた新言語秩序側だったにも関わらず、あたかも言葉ゾンビだけが悪者かのような報道をしていた。」

地面にあぐらを掻いた室長が、前髪を掻き上げながら夜明け前の茂みの暗闇を鋭く睨んで毒づく。

「ああ。テレビを殴ってやった。」

希明が口元に笑いを浮かべ軽い調子で答えるが、一度沈んだ空気はそう簡単に戻るわけがない。

「あそこに……」

ふいに希明が僕の背後の茂みの方を指差す。その指の先には小さな真新しい石碑のようなものがあり、その前には白やピンク、赤色のコスモスをメインに使った花束が横たえられている。言われるまでその存在に気が付かなかった。

「あの事故で犠牲になった人のために石碑を立てた。こいつが。」

希明は未だ俯いて黙り込んだままの室長の脇腹を指でつついて言った。

「花もここへ来るたびこいつが供えて、んで帰る前には持ち帰ってる。石碑の存在がバレたら、取り壊せって喚き始める連中や逆に聖地化したがる連中が、俺たち言葉ゾンビ側にもお前たち新言語秩序側にも多いだろうからな。」

「たしかに。そうですね。」

僕は答えてから、もう一度室長の顔を見た。
その時初めて気がつく。先程、茂みの中を見て毒づいた彼の瞳を光らせていたものは、睨みつける鋭さではなく、目の淵に溜まった涙であったことに。

「俺はアレを見て、こいつの、優也の話を本気で受け止めることにした。」

希明は先程室長の手を払いのけたその左手で、今度は室長の右肩を掴む。

「あの事故は、新言語秩序の過激派に先に情報をリークした奴がいて、過激派の奴らが無策で集まったから起きた事故だ。館長たちも自分たちだけで事を起こしたから取り囲まれて……あんな事になった。俺たちを頼ってくれれば少しは力になれたかもしれないと、思わなかったわけじゃない。でも、そんなのは自惚れだ。」

希明が室長の顔を覗き込む。

「俺はたしかにあんたたち新言語秩序に"最重要教育対象者"と認められるくらいには、この辺りのシンパの中じゃトップをやっているが、事故のことは報道で知った。俺たちは全能の神じゃない。」

「ああ、そうだね。まして新言語秩序におけるトップでもない私がこうやって悔やむのは筋違いかもしれないね。」

「そういう事じゃない。ああ、なんて言えばいい?悔やむのも誰かを弔うのも、その心はお前のものだ。間違いなんかじゃない。そんな風に言わせたくてこの話をしてるわけじゃない。」

希明が頭を掻いて今度は僕の方を見て、なんて言えばいい?ともう一度声に出して首を傾げる。

「え、あ、ええと。希明さんが言いたいのは、どちらの組織も一枚岩ではないという事、ですよね?」

先程からそうだ。希明は自身がこの地域の言葉ゾンビたちにとってトップのようなものであるという事を明言しながらも、あの暴動のことは報道で知ったと言ったり、事故が起きた背景をきちんと踏まえて、石碑の存在を公にしてはいけない理由を語っている。

「どちらの組織にも主義や主張は人の数だけひしめいてて、だからこそ、あの事故のようにどちらの組織にとっても誤算が起きる。あの時は、死者を出してしまうという最悪の形でそれが起きた。」

そうか。

そこまで言葉にして気がつく。僕も室長も「館長たちは新言語秩序に殺された」と口にしているけれど、あの時亡くなった人の中には僕たちと同じ新言語秩序の人間もいたのだ。その犠牲者を、口にする言葉の中から無意識に居なかったことにしていたのだ。僕たちを無意識にそうさせていたのは、きっと、罪悪感だ。

「希明さん。」

「どうした?お前までしんみりして。」

「ありがとうございます。」

「あ?いや、礼を言うのはこっちだ、俺の言いたい事を分かりやすくまとめてくれた。」

「僕も室長も、ここで起きた事に罪悪感を抱いています。それは悪い事じゃない。でも、それに囚われるあまり、自分たちの組織すら個人の集まりであるという事に気がついていませんでした。いや、室長は石碑の存在を隠して混乱を起こさないように配慮している点を見るに、僕とは違って忘れていると言うだけかもしれませんが……」

「ふっ。」

それまで黙り込んでいた室長がふいに、吐息のような音量で微笑む。

「柾季くん。いつの間にか敬語になってるよ。さっきまで希明に対して強気だったのに。」

「え、あ。気が抜けてしまって……」

「あはは!柾季、お前変な奴だな。気が抜けて敬語になる奴がいるかよ。」

希明と室長が揃って肩を揺らし笑い始める。

「ありがとう。希明、柾季くん。」

ひとしきり笑ってから目の端に溜まった涙を指で拭って室長が言う。

「そうだね。罪悪感に囚われていた。囚われて、こんなところで座り込んでる場合じゃない。」

スッと室長が立ち上がる。

「希明にはもう話しているんだけど。」

そう前置きして語り出す。

「あの事故を受けて、世論は今これまでにないほどの加熱状態だ。私や柾季くんは『新言語秩序がここの館長たちを殺した』と、そう口にするけれど、世間は真逆だ。報道が一方的に言葉ゾンビが悪いように印象操作を行ったおかげで、言葉ゾンビは全て等しくその思想や主張、人間性までもが過激なモノとして扱われつつある。」

「最悪なシナリオだ。」

希明が地面に寝転んで悪態をつく。

「ああ、そうだね。」

そんな希明を見て、室長は出来の良い生徒を褒めるように微笑んだ。

「何故、マスコミが一斉に新言語秩序側に舵取りをしたか。分かるかい?」

問いを向けられ、柾季は考える。

「あの時は主にテレビ報道でその傾向が強かった……。もしかして、スポンサーですか?」

「正解。徐々に新言語秩序側に意見を傾けつつあった企業が彼らの後ろについていてね。」

室長が希明に向けたものと同じ笑みを、柾季にも向ける。

「真実のように広く世間に知らしめられた事実の一部、言葉狩りを後押しするスポンサー、染められつつある世論。この3つが揃った今、政府は新言語秩序の取り組みをもっと本格的に国民の生活に落とし込もうとしている。」

「つまり?」

「私たちがボランティアでやってきたこの活動を、大きな企業や政府がさらに積極的に後押ししてくれる事になった。」

室長の顔を見上げる。白み始めた空が、その顔に影を落とす。

「勿論、現時点で協力してくれている一部の企業や地元商工会や自治体、この辺りの教育委員会も継続して私たちの言葉狩りを支援してくれるそうだ。」

「え、あ……」

確かに今までも全国的に広まりつつあった新言語秩序の活動を、政府は黙認している状態だった。防犯カメラによる個人識別や任意の筆跡提出を始めてから今まで、僕はいつ犯罪者だと糾弾されてもおかしくないと思いながら活動してきた。それが、政府が公認の活動になるということ……

「柾季くんには、せっかく個人識別や筆跡などからテンプレート逸脱の通報内容を解析するプログラムを作ってもらったのに、短期間で運用が廃止になってしまって申し訳ない。」

「え、いえ、そんなことは……」

この時、自分の作ったものがここでこの道から下ろされる事に、ほんの一瞬、安堵してしまった。

「安心したか?」

まだ寝転がったままの希明が横目でこちらを見る。

「少しだけ。いえ、でも。政府が動くって、そんな大掛かりな……それは。」

「ああ、かなり良くない。」

反動をつけて起き上がった希明が、室長と並んで立つ。

「それで、その事に危機感を覚えた、こちらの新言語秩序ウイルス対策室室長殿が俺に取引を持ちかけてきたわけだ。」

肩に肘を置かれた室長が嫌そうに顔を遠ざけながら続ける。

「そう。それで、あの日言葉ゾンビの少年たちを見逃した君を、見込みありと判断して今こうして取引を持ちかけているわけ。」

ああ、バレていたんだな、この人には。などとあの日のことを思い出している僕に、室長が右手を差し出す。

その手を取らなくては、いや、その手を取りたいと、そう思って僕は立ちあがろうとした。立ち上がろうとしたが何故かうまく立ち上がれずにいると、希明が左手で僕の腕を支えながら笑った。

「おい、柾季。足痺れて立てないんじゃないか?」

「あはは!嘘だろう?」

室長も一緒になって笑い始める。

「うっ……そうみたいです。」

戻り始めた血流に苦悶の表情を浮かべながら立膝のまま動けない僕に、目線を合わせるように二人がしゃがむ。

「はは!カッコよく決めたいところだったんだけどな。」

「仕方ないさ。最初に柾季くんが正座した時になんとなく予感はしていたんだけど、面白そうだと思って言わなかった私も悪い。」

好き勝手言う二人に何か言いたいけれど、一寸も動けない僕は何も言えない。

いや、何を言えば良いのか、分からない。分からないくらいに、今、胸の中に感情が溢れていた。

「……ありがとうございます。」

やっとひとつ、言葉を絞り出す。

「僕に声をかけてくれて、ありがとう……」

「お礼を言うのはこちらだよ。あんな分かりにくい暗号に気づいてくれて、ここに来てくれてありがとう。」

少し動けるようになった僕は、やっと頬を伝う涙を服で拭う。

それを見た希明が室長に「優也、ハンカチ持ってないのか?」と聞き、それに対して「持ってるけど、これから仕事行くのに貸したくない。」と答える二人のやり取りに、思わず泣きながら笑う。

「もう立ち上がれるか?」

希明が手を差し出す。

「もしも君がよければ。私たちと一緒に戦って欲しい。」

室長も手を差し出す。

僕は頷いて答える。

「もちろんです。」

立ち上がった3人の顔を昇り始めたばかりの陽光が照らし出す。

「終わらせましょう。僕たちが。」