梅棹は、発信局と言った。
さて、情報処理の段階から、もう一歩すすむと情報創造の段階にはいる。家庭を発信局とする情報創造が行われ、そのための装置がつぎつぎとつくられるだろう。すでにその先駆現象として、カメラのおどろくべき普及がある。写真をとるということは、情報の創造なのである。
フィルムカメラの個人普及から、「家庭を発信局とする情報創造」をイメージしたその先見性は改めて見事なものだと思う。私はこの文章を7年ほど前に読んで、たしかにブログというものが、家庭からの情報発信として行われていると得心した。
しかし、梅棹は「発信局」と言った。出版社(出版者)ではなく、発信局である。
もちろん、ブログは情報発信だし、それを行っている場所は発信局とは呼べるだろう。しかし、なんとなくニュアンスに違和感が残る。この発信局は、むしろ放送局などに近いのではないか。フィルムカメラからビデオカメラ、つまり映像の配信こそが、梅棹がイメージしていたものなのかもしれない。
だとすれば、YouTubeの存在が、まさにその予言の精度の証左であろう。現代こそ、家庭が発信局となる時代なのだ。
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一方で、最近草の根的に広がりつつあるポッドキャストがある。動画配信に比べれば、一昔前の感があるメディアではあるが、その手軽さゆえに愛用している人は増えている。特に、アフィリエイトとかアドセンスとかあんまり興味ないんですよね、的なブロガーが、ポッドキャストに流れている(あるいは両方やっている)印象がある。
日常的に発信したいこと、自分の趣味ないで言いたいことはあるのだが、やはり文章を書くのは億劫だ、という人がいて、そういう人たちには話すことの方が格段に楽なのだろう。
メアリアン・ウルフの『プルーストとイカ』や『デジタルで読む脳 X 紙の本で読む脳』を挙げるまでもなく、私たちにとって「読字」というのは特別な行為なのだ。
子どもは、周りの大人が話している言葉を自然に習得する。聞きもできるし、話すこともできるようになる。しかし、読字は別である。それは特別な訓練を必要とする。識字率が高い国に住んでいるとうっかりこの「読字」の特別性を忘れそうになるが、これは脳がもともとある機能を転用して獲得する独特な能力なのである。
だからこそ、読書は素晴らしいわけだし、文章を書くことは楽しいわけだが、「万人に開かれている」かというと、いささか難しくなってくる。いや、万人には開かれているのだが、たとえそうであっても、やっぱり話すことの方が楽なのだ。同時に、読むよりも聞く方がきっと楽なのだ。
だからこその音声メディアであり、動画なのであろう。「家庭を発信局とする情報創造」の行き着く先は、大量の文章を送りつける出版者ではなく、むしろブロードキャスターなのである。
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私は長年、このネット社会で生きていくならブログを持っておいた方がいい、という気持ちを持っていた。蓄積され、検索され、そのときの自分の興味を他者に伝える媒体を持てることは、現代特有のメリットであり、そのメリットを活かさない限り、社会基盤が脆弱化しつつある現代では生きるのが難しくなりつつあるからだ。
もちろん、今だってその気持ちは保持し続けているが、しかし、その色合いは少し変わりつつある。
糸井重里は『インターネット的』という言葉で、インターネットの背後にある力学をうまく説明したが、それにならえば現代で必要なのは「ブログ的」なものだ。
なにも、正真正銘の「ブログ」でなくてもいい。文章を長々と紡がなくてもいいし、毎日のように更新しなくてもいい。ただ、ネットにおける自分の「場所」を確立できればそれでいいのだ。そのためのメディアが、ポッドキャストであっても、Youtubeであってもいい。むしろ、そうしたメディアの方が、(書き文字にこだわってしまう私たちのような限定種に比べれば)より裾野は広がっていくだろう。社会全体を見据えるなら、そうした「ブログ的」なものを言祝いでいく方がはるかに賢明である。
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にもかかわらず。
私は心の奥底では、やっぱりブログを持ち、文章を書くことをお勧めしたい小さな子どもがうろちょろしている。なにしろ「読字」は特別な能力なのだ。それによって得られる精神のスタイルというのは間違いなくある。そのスタイルが、天国の扉を開いてくれる保証はどこにもないが、誰だって自分が好むものの同類を増やしたいという欲求は持っているだろう。
だからこそ、あえて新しい言葉で着飾るのではなく、古い慣習を引きずった(保存のアイコンがフロッピーのようなものだ)「ブログ的」という言葉を使っていきたい。その言葉が使われる限り、ブログは死なないのだから。
YouTube時代にブログの生死を気にかけるなど、時代遅れも甚だしいのかもしれない。でも、そういうことが書けるのが、やっぱりブログの魅力なのである。
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