原稿の見直し、手直し/なぜorg-modeは使いやすいのか?/教養として読む
Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2019/09/16 第466号
はじめに
はじめましての方、はじめまして。 毎度おなじみの方、ありがとうございます。
今週も引き続き体調があまりよくないので、縮小号でお送りします。
少しだけ「はじめに」を。
〜〜〜不調のサイン〜〜〜
私は毎日晩酌をしているのですが、そのとき飲んだビールがあまり美味しく感じられないなら、体調不良のサインです。次の日以降は、できるだけゆっくり過ごすように努めます。
で、最近気がついたのですが、朝起きて、その日まったくブログを書きたい気持ちが湧き上がってこないなら、メンタル不良のサインです。
普段ならそんなことは滅多にないのですが、ここ一日二日、そういう日がありました。そういう日は無理せず、お茶を濁すのが賢明です。
でもって、こういう不調のサインをいくつか知っておくことは、深みにはまりこむ前に手を打つためには大切なのでしょう。
〜〜〜気長に回復〜〜〜
ここ最近、体調不良が続いた挙げく、メンタルまで被害が出てきました(上のサインで気がつきました)。自律神経が不調だと、そういうことがよく起こります。一時、結構深い谷を覗いていました。
そんな私を見て妻は、「大丈夫、大丈夫、ゆっくり回復すればいいよ」と全開の笑みで言ってくれました。ああ、この人と結婚してほんとうによかったな、と思った瞬間です。
妻への最大級の感謝をここに述べたいと思います。
ええ、そうです。ただののろけです。
〜〜〜Q〜〜〜
さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりに考えてみてください。
Q. 自分の不調のサインを何かお持ちですか?
では、メルマガ本編をスタートしましょう。
今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。
――――――――――――――――
2019/09/16 第466号の目次
――――――――――――――――
○「原稿の見直し、手直し」 #これから本を書く人への手紙2
○「なぜorg-modeは使いやすいのか?」 #比較ツール論
○「教養として読む」 #情報摂取の作法
※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。
○「原稿の見直し、手直し」 #これから本を書く人への手紙2
こんにちは。執筆の方はいかがでしょうか。そろそろ一段落された頃合いかもしれませんね。そうであることをお祈りしております。もし、一段落していないなら、ここがラストスパートです。これまで書いてきたことをベースに、そのままの勢いで書き上げてしまいましょう。
ここまできたら、根本的なコンセプトの変更はほとんど不可能です。一から書き直す時間も気力も残っていないでしょう。ですから、今そこにある原稿をどれだけ良くできるか。それだけを考えてください。
同じことは、ラストスパートの書き上げだけでなく、原稿が一段落した後の手直しにおいても言えます。そこにある原稿を、どれだけ良くできるか。そのための手直しが、執筆の後半においては大切です。今回は、この「手直し」についてお話させてください。
■
一般的に、私たち著者が書いた原稿は、そのあと編集者の手に渡り、彼らによって整えられます。一行あたりの文字数と行数が設定され、そこに流し込まれた本文たちは、十分なマージンと共に「ページ」の体裁を取り始めます。
それをそのまま印刷し、ぐるっと束ねたら仮の「本」として機能する。そのような状態を「ゲラ」と呼びます。著者は、編集者が組んでくれたそのゲラを確認し、紙面の雰囲気と、最終的な本文チェックを行います。
まず、最初に言っておきましょう。ページとして組まれた瞬間に、原稿の雰囲気はずいぶんと変わります。執筆中のエディタで表示していた行間やまわりの余白が変わるだけでも大きなものですが、横書きから縦書きになると、読むときのリズムも変化し、文章の読み方(あるいは読まれ方)も変わってきます。
すると、書き上げた文章にも手を入れたくなってきます。もっと削りたいと思うかもしれませんし、もっと増やしたいと思うかもしれません。どちらであれ、この段階でそれを直すことは可能です。
その際は、校正記号を勉強しましょう。今ならググればいくつも親切なページが見つかります。
◇校正記号これだけ知ってると大丈夫---あいわプリント
http://aiwaprint.jp/hon/kouseikigou.html
きっちりこの通りに書かなければならない、というものではありませんが、こうした校正記号を使うと、データを修正してくれる人との齟齬は減ります。校正記号というのは、一種のプロトコルなのです。ですから、ざっとでもいいから、その記号の使い方を学んでおいてください。
その上で、プリントされたゲラ原稿、あるいはPDFにバンバン赤字で修正を入れていきましょう。
とは言え、もし原稿の最終的な脱稿日が迫っているならば、巨大な修正は難しいかもしれません。というのも、紙の本にはある程度「収まりの良い」ページ数というのがあり、ちょうどそこに収まるように編集者さんがページを組んでいるからです。
もし最後の最後で、まるっと3ページほど削りたいんです、ということになると、これはもう修羅場の発生です。作業量も多く、現実的に許容されない場面も出てくるかもしれません。その辺は、どこかで折り合いを付けてください。仕事してやっているならば、そうした折り合いも大切です。
また、それと関係することですが、ページ数を調整するために文章の修正が要請されることもあります。たとえば、本文のラスト一行だけが収まりきらず、最後のページに一行だけポツンと表示されてしまっている場合がそれです。その一行分を削れば、ページ数が節約できるので、全体のページが少し多かったり、あるいは他の箇所の修正でページ数が増えてしまったりしたら、そうした「はみ出た箇所」をうまく削っていくことになります。
もちろん、そのはみ出ている一行をそのまま削る必要はありません。そこに至るまでのどこかの段落で一行分を削ってしまえばいいのです。その際も、一行まるまる削らなければいけない場合はほとんどありません。たとえば、3〜4文字くらいで終わっている行があるなら、その段落を少し修正すればOKです。
たとえば、副詞や形容詞で削れるものはないでしょうか。削ってしまっても、文意が変わらない単語はないでしょうか。そうしたものを見つけ出し、適切な長さに整えること。これも、執筆における(地味ながらも)大切な作業です。
ぜひとも、パズルを楽しむようにこの作業に取り組んでみてください。やってみると案外面白いものです。削れそうな部分を探し、文章を書き換えて、ぴったりとページ内に文章を収めること。そのような作業を通す中で、磨かれる文章力というものもあります。ぜひとも、コツコツやってみてください。
ちなみに、その本がリフロー型の電子書籍の場合は、こうした作業は発生しません。リフロー型の電子書籍にはそもそも「ページ」の概念がないからです。気楽と言えば気楽ですが、ゲーム的な楽しさが無くなってしまう淋しさも少しはあります。また、文章を整えることを通してられる文章力が磨かれない淋しさもあります。
でも、時代の流れは、徐々に脱ページの方向に向かって進んでいくのでしょう。そうした中で求められる文章力というのは、それまでの時代の文章力とは少し違っているのかもしれませんね。
話が少し逸れてしまいました。もちろん、そのような文字数調整以外にも、誤字脱字の確認や用語の統一を測ることも大切な作業です。そうした地味な作業を何度も繰り返して、少しずつ原稿のクオリティーを上げていってください。
では、今回はここまでとしておきます。
(おわり)
ここから先は
¥ 180
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?