見出し画像

第十七回 理路整然と書かれた/書かれていない本

本は理路整然と書かれています。言い換えれば、本の内容は理路整然と整っています。

そこには、序盤があり、中盤があり、終盤があります。話の道筋は一本通っており、余計な話はどこにもありません。だからこそ、私たちはその内容を理解できます。少なくとも、何を言ってるのかさっぱりだ、という状況にはなりません。

本の役割が、そこに書かれた内容を伝えるものだとしたら、このような機能は最低限必要なものでしょう。もちろん、本の役割を別に見出すなら、その機能もまた別様に見出されますが、話がややこしくなるので、いったんその話は取り下げておきます。

本はその内容を伝えるために、理路整然に書かれている。まずはそう言っておきましょう。

あたかもそうであったかのように

しかし、思考はランダムなのでした。ここが重要な点です。

私たちの思考はランダムであり、自由にそのコンテキストを飛び回りますが、その飛翔を受信者がそのまま受け取っても、支離滅裂にしかなりません。なぜならば、書き手のコンテキストの飛翔と、受け手のコンテキストの飛翔は、その性質が異なるからです。ある人の自由な語りが、別の人の自由な聞き取りに呼応する保証はどこにもありません。

だからこそ、インタビューやポッドキャストなどを書籍化する場合には、編集という作業が欠かせません。インタビューやポッドキャストで語るのはたいへん楽ですが、それは思考を(かなりの程度)自由に飛翔させているからです。しかし、それを書き言葉としてそのまま書き起こすと、どうしても読みがたいものができあがってしまいます。

それと同じことが、文章を書き下ろすときにも発生します。

私たちの思考を好き勝手に発展させていった場合、そこには理路整然とはほど遠いものができあがります。それはもう、どうしようもありません。一方で、それを本にするときは「どうしようもありません」では済みません。本の役割を果たすためには、それが「理路整然」だと感じられるように直す必要があります。

つまり、最初はぜんぜん理路整然ではなかったのにも関わらず、あたかもそうであったかのように──あとづけで──理路整然に整えるのです。

「その通り」ではなくても

そうした整理の、一番最初のカギになるのが「その通りには書けない目次案」です。

もし、何の指針も持たずに書き始めたら、ランダムさの程度は広がり、乱脈と脱線はとめどなく広がっていくでしょう。そうなると、後から編集するのはたいへんな苦労を要します。なので、一番最初に、「とりあえず、こういうことについて書いていこう」とだけ決めて、それに沿って書き出していくのです。あるいは内容を考えていくのです。

結局そのようなものを考えたとしても、私たちは「その通り」には書けません。しかし、その指針は、のちのちの「理路整然さ」を生み出す際に役立ってくれます。

たとえば、一日の最初に計画を立てたところで、その通り行く保証などどこにもないでしょう。しかし、何の指針も持たず、ただ刺激への反応で行動していたら、私たちの行動はバラバラに散らばってしまいます。

その点、デイリータスクリストを作っておけば、「その通り」にはならないにせよ、自分の行動に一定の方向性を持たせることができます。自分がやりたいこと、進めたいこと、大切だと思っていることの実行確率を上げることができます。ある程度は、筋道が通った行動を取れます。

このデイリータスクリストの性質とアウトラインの性質はきわめて良く似ています。最初に作る「理想」は、まさに理想であってそのままに現実化するものではないにせよ、何もない状態に比べれば一つの指針や方向性を与えてくれます。

あるいは、これはいささか矛盾をはらむ行動に思えるかもしれません。決して現実にならない理想を、しかし現実化に向けて行動すること。しかし、こうした矛盾を抱えられるのが、人間という存在の最大の特徴だと私は思います。

管理とは違う管理で

デイリータスクリストは「タスク管理」の一技法ではありますが、「管理」という言葉がイメージを喚起するような強い支配を行うわけではありません。

同様に、アウトライン作りも「コンテンツ管理」の一技法ではありますが、それによってコンテンツを支配するわけではありません。

そのときどきに出てくる「現実」に合わせて、進むべき道、できあがるものを(ときに大胆に)変えていくことが実際そこで行われていることです。それは一面では、調整や按配というバックオフィス的な作業でもありつつ、別の一面では、予想外の創造性をもたらしてくれるものでもあります。

気まぐれに寄り道した曲がり角で、絶品のコロッケを売っているお肉屋さんを見つけるように、「自分」の支配から逃れた場所に眠っている宝物というものはたしかにあります(それを否定する人は、相当の自信家かナルシストでしょう)。

アウトラインをまず立てて、それを組み換えていく。

そういうやり方ができると、執筆は(楽にはならないかもしれませんが)一種の冒険のような楽しさが出てきます。

(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?