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ビオトープ的積読環境/ルーマンのカード法/ワープロという言葉/企画案の作り方 その1

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2020/05/25 第502号

はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

先週のメルマガで告知したレビューアさんの募集ですが、十名近くの方にご応募いただけました。ありがとうございます。

いきなり50人規模で応募がきてしまったら、さすがに対応が難しくなるので、このメルマガだけで告知しましたが、結果的に対応可能な規模に収まったので良かったです。

募集を締め切ってから(つまり、このメルマガ配信されている月曜日に)応募いただいたメールをじっくり拝見して、レビューの依頼メールを出したいと思います。

いちおう、今回の『僕らの生存戦略』だけでなく、今後の中〜大規模のセルフパブリッシングでは同じようにレビューアさんに依頼する形をとると思うので、また興味があれば、そのときにご応募ください。

〜〜〜書くことの苦しみ〜〜〜

以下の記事が非常に面白かったです。

面白い点について書き出すとそれだけでメルマガ一号分になるので、ここでは「ぜひ読んでください」とだけ書いておきます。

あと、多少関連した話を次のポッドキャストでもお送りしました(ショウノートです)。

よろしければ、ご視聴くださいませ。

〜〜〜気楽なパス〜〜〜

上の記事を読んで、「きっと読書猿さんの「名前のない技術」シリーズがあったら面白いだろうな」と思い、以下のようなつぶやきをしました。

そうしたら、ご本人から以下のようなツイートが。

その後のやりとりを見る限りでは、どうやら実現する可能性がありそうです。これは嬉しいですね。

なんにせよ、実際にインタビューをするのは私ではないので、上のようなツイートならいくらでも気楽にできます。でもって、その「気楽さ」が何かのきっかけになることもあります。」

〜〜〜ブラウザの横幅〜〜〜

以下のようなアンケートを採りました。

結果、8割程度の人が、ブラウザの横幅を(画面の)80%以上で使っていることがわかりました。なかなか興味深い結果です。

なぜ上記のようなアンケートを採ったのかというと、たまたま左にWorkFlowy、右にScrivenerを並べて作業していたところ、その左側に配置したブラウザで、たくさんタブを開くのがためらわれたからです。

「これって、脱線抑制に使えるのではないか?」

と思い、他の人はどうしているのかと気になって尋ねてみました。よくよく考えれば、私のメインの仕事は、ほぼブラウザ外で(通常はテキストエディタで)行われるので、ブラウザの横幅は半分くらいで十分かもしれません。

しばらく試してみようと思います。

〜〜〜退屈はしない日々〜〜〜

毎日、毎日文章を書く生活を送っています。ざっくり眺めれば、それらの日々は、ほとんど変わらない毎日です。机に向かい、エディタを開き、文章を書く。その繰り返しです。わかりやすい「エキサイティングさ」はどこにもありません。

だからといって、日々が退屈かと言えばそんなことはありません。むしろ、退屈さなどどこにもないと言えるでしょう。

定型的な日々を送ることと、その日々が単調であることは、独立しています。逆に言えば、その人が日々に単調さを感じているとすれば、それは日々の定型さではない別の要因によるものでしょう。

もちろん、メディアはメッセージであるので、形式が内容に影響を与えることも、もちろんあるわけですが。

〜〜〜息と行為〜〜〜

「息をするように〜〜する」という表現があります。呼吸と同じくらいに「当たり前」「無意識」に、行為を行うくらいに親しんでいる、ということでしょう。

一方で、「〜〜していないと息ができない」という切実さを持った状況もきっとあるでしょう。もちろん、本当にそれをしていないと息ができないわけではありませんが、「生きた心地がしない」気持ちになることは十分にあると思います。

〜〜〜賭け麻雀〜〜〜

とあることで賭け麻雀が問題視されています。もちろん、賭け麻雀は良くないことではあるのでしょう。違法であるかもしれません。

でも、町中の雀荘で「風速」と書いてあるところは……、まあ気になる方は自分で調べてみてください。

〜〜〜ツイートを見返す〜〜〜

この「はじめに」を書くために、一週間分のツイートを振り返っています。で、振り返ると、「あっ、このツイート、あの企画案に使える」と思いつくことがあります。そのときは、該当の企画案のScrapboxページを開いて、そこにツイート(の内容)を追記しておきます。思考が肥え太っていく感覚です。

で、一度そういった追記が行われると、次回以降同種のツイートを行うと、「これも、あの企画案に使えるぞ」と気がつきやすくなります。さらにそれが、思考を太くしていきます。

アウトプット欲求に促されて、次へ次へと量産していくのもよいですが、ときに立ち止まって過去のアウトプットを見返し、どこかしらに「位置づけようと」してみると、知的生産の角度が変わってくるはずです。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

副題が意味深ですね。内容紹介によると「⾃他の旅の記憶をていねいに辿りながら「⼈が旅に出る理由」を重層的に考察するエッセイ」とのことです。たぶん、私が毎日同じような仕事をしながら退屈していないのは、仕事の中で「旅」をしているからなのでしょう。

ややこしいタイトルですが、スティグリッツさんによる、「PROGRESSIVE CAPITALISM」という概念の提出、という意味合いです。「PROGRESSIVE CAPITALISM」、つまり「進歩的資本主義」という名前の通り、現状の資本主義の問題点を指摘しつつも、資本主義だからこそできることに力点を置いた政策が示されているようです。

タイトルだけ見ると、難解な哲学書かスピリチュアル感のある本ですが、副題を見ると一気に興味が出てきます。麻酔は治療や手術には欠かせない存在ですが、そのメカニズムの多くが謎に包まれているとのこと。麻酔の歴史や麻酔科医の日常などを綴るノンフィクションのようです。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけですので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q. 「〜〜していないと息ができない」と言えるような何かはありますか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2020/05/25 第502号の目次
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○「ビオトープ的積読環境」 #知的生産の技術 #読書法 #情報摂取の作法

○「ルーマンのカード法」 #知的生産の技術 #カード法

○「ワープロという言葉」 #知的生産エッセイ

○「企画案の作り方 その1」 #セルフパブリッシング入門

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「ビオトープ的積読環境」 #知的生産の技術 #読書法 #情報摂取の作法

『積読こそが完全なる読書術である』(永田希)を読み終えました。

書評記事は以下。

http://honkure.net/rbook/archives/3473

読書メモは以下です。

今回は、本書で紹介されている「ビオトープ的積読環境」について考えてみましょう。

■ビオトープ的積読環境とは何か?

ビオトープ的積読環境とは、自分の身の回りに、小規模かつ自律的な情報生態系を築くことです。といっても、さっぱりでしょうから、もう少し詳しく説明します。

まず、現代は情報が溢れまくっている時代です。はるか昔から情報はわんさかありましたが、現代のように安価かつ、すぐに摂取できる状態で情報が漂っていた時代は現代が初めてでしょう。

しかも、単に量がたくさんあるだけでなく、「俺を読め、俺を読め」と迫ってくるのも現代の情報環境の特徴です。YouTubeのリコメンドがその好例で、その他多くの情報プラットフォームが、+αのコンテンツを提示してきます。面白そうな情報が、私に向かって強くアピールしてくる(あるいは圧力をかけてくる)のが現代の情報環境なのです。

このような環境に「素直に」身を任せていたら、私たちはあっという間に大量の情報に囲まれてしまいます。『積読こそが完全な読書術である』の表現を借りるなら、「情報の濁流」に押し流されてしまうのです。

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 情報の濁流そのままの、方向性のない、そのときそのときの自分のファスト思考だけで選ばれた蔵書は、さまざまな方向へと読者を誘導するので、その「知の迷宮」の中で人はただ迷い、彷徨うことになるでしょう。
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かといって、情報なんてまったく摂取しない、という態度はあまりに消極的過ぎるでしょう。そこで出てくのがビオトープ的積読環境です。

情報の濁流とは接続していながらも、それとは別の力学によって成立している環境を作ること。別の言い方をすれば、情報資本主義の力学によって成立する他律的な流れではなく、自身の関心に沿った自律的な流れを構築すること。それがビオトープ的積読環境が目指す地点です。

そのような環境を作ることが、自己肯定する上で有用であると『積読こそが完全な読書術である』にはありますが、単純に知的生産を進めていく上でも有用なことは間違いありません。

■ビオトープ的積読環境を作るには何が必要か?

では、そのビオトープ的積読環境を作るには何が必要でしょうか。

「これを読め、これを読め」と押し寄せてくる情報の濁流を遮るには、「私がこれから読もうとしているのはこれです」と示せる壁が必要でしょう。でなければ、そのときどきの私(言い換えれば、目に入った情報にナッジされてしまっている私)が、読むものを決めてしまい、知の迷宮へと迷い込んでしまいます。

だからこそ、本を積むのです。もっと言えば、自分なりのテーマを決めて、選書を行うのです。それが本書が示す、「積読」の一つの形です。言い換えれば、選書リストというのは、自分の「次に読む本」リストであり、それはプレイリストと同じように、情報の濁流に左右されない読書の行方を方向づけてくれる存在なわけです。

よって、ビオトープ的積読環境を作るために必要なのは、「自分なりのテーマを持つこと」です。このテーマは、決定的なものである必要はありません。本を読み進めていくうちに変わっても構わないのです。というか、リストにある本を読み進めるうちに新しい本がリストに加わり、加わった本たちによってテーマが変わってくるのは珍しいことではないでしょう。
*これは「シェイク」に相当します。

たとえ途中で変わったにせよ、最初に設定したテーマが自分の読書を導いてくれたことは間違いありません。言い換えれば、その期間、情報の濁流から身を守ってくれた、ということです。そして、役割を終えたテーマは、また新しいテーマへと生まれ変わり、次なる道行きをサポートしてくれる存在になります。

それを繰り返すことで、情報の濁流から完全に切り離されたわけではないが、かといって他律的に流れているわけでもない、自分なりの情報環境を構築・維持していけるわけです。

■生態系の新陳代謝

また、テーマの変更と関係しますが、この情報生態系は、定期的に「リフレッシュ」する必要もあります。

たとえ情報の氾濫から独立的な「池」を作ったとしても、そこに情報をため込み続けていれば情報の量は肥大化していきます。流れの無い水が澱んでくるのに近しいでしょうか。

そこで、定期的にテーマを確認し、蔵書を断捨離することで、新しい水の流れを呼び込んでくるわけです。その新陳代謝によって、情報生態系は破綻なく維持されるようになります。

この点に関しては、少し前に蔵書を整理した私も強く同意します。隙間なく本棚が埋まっている状態というのは、どうしても息苦しさがあり、新しい発想を呼び込みづらくなるのです。

そんなとき、一割か二割でも蔵書を整理して、新しいスペースを設ければ、新しい蔵書と共に、新しい視点も迎え入れることが可能となります。これはなかなか心地よいものです。

この「新陳代謝」の視点がなく、単に蔵書を積んでいくだけだと、いずれかは情報生態系が破綻してしまうことでしょう。手をかけて維持していく必要があるのが、「自律的」な情報環境なのです。

■まとめ

というわけで今回は「ビオトープ的積読環境」について考えてみました。要点は、以下の二つです。

・自分なりのテーマ設定を行う
・テーマと蔵書を含めた新陳代謝を続けていく

この要点は、単に読む本を選ぶことだけでなく、自分の着想メモの管理にも効いてきそうです。それについては、別の連載で触れていますので、そちらもご覧ください。

(おわり)

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