CT連載09:プロジェクトノート / AIとの知的作業 / Scrivenerでのintegrator project / 一気に巻き返さない
はじめに
ポッドキャスト、配信されております。
◇第百六十五回:Tak.さんと2025年のタスク管理について 作成者:うちあわせCast
今回は、タスク管理について。手法というよりも背後にある考え方についてお話しました。ある種のパワーゲームから降りることが大切かと思います。
よろしければ、お聴きください。
〜〜〜関係構築の欲求〜〜〜
ポッドキャスト「Rebuild」の399回がとても面白かったです。
◇Rebuild: 399: Speakeasy Kissa (craigmod)
いくつも話題が出てきますが、興味を持ったのは純喫茶の話。
昔の喫茶店は「一生の仕事」としてお店をつくり、実際長く続けられてきた歴史があります。一方で、最近のカフェのスタッフは基本的にアルバイトであり、同じ店に長く留まることはありません。そうすると、長い時間をかけて一つのお店=人間との関係を築いていくことができなくなります。
クレイグさんはそのことに寂しさ、物足りなさを感じられているようですが、それは純喫茶に限られる話ではないでしょう。ミュージシャンでもずっと活動を続けている人たちは、「ブランド」という観点を越えた価値を持っているように感じられますし、インターネットにおける活動でも同様です。
すごく乱暴に言ってしまえば、「長く続けているだけで宿る価値がある」、ということがあるように思います。その場所にいったら、「その人」がいるという感覚。
目まぐるしく移り変わっていく現代だからこそ、そうでないものの希少価値は上昇していくのかもしれません。
〜〜〜知の高速道路〜〜〜
少し前、「知の高速道路」という言い方が流行りました。今調べてみたら2006年の『ウェブ進化論』で使われていたようで、「少し前」どころの話ではありません。もう20年近く経っています。
そのときは、「ITとネットの普及によって効率的な学習環境が確立された状況」を知の高速道路と呼んだわけですが、最近の生成AIの登場は、この「効率的な学習環境」をもう一段パワーアップさせることは疑いないでしょう。
その結果、どうなるでしょうか。
競争的な環境においては、「最低限必要とされる能力」が底上げされるでしょう。将棋の世界で起きていることが、そのまま他の分野でも生じると予想されます。言い換えれば、使っている人と使っていない人の差が大きすぎて同じ土俵に経つことすら難しくなる。
では、競争的ではない環境、たとえば趣味の分野はどうでしょうか。これはなかなか難しいところがあります。なぜなら、そうした分野ではプロセスそのものが目的になっている場合があるからです。
たとえば趣味で登山をしているとして、ヘリコプターだったら一瞬で到着するよね、と言われても「ふ〜ん」という反応になるでしょう。
「高速道路」ではろくに景色を楽しめないわけですから、あえてそういうものを使わずに、図書館や書店でぶらぶらと調べ物をしたりする営みの価値は残りそうな気がします。ただしもう一度確認しますが、それは競争的ではない環境において言えることです。あくまで趣味としての営み。
競争的な分野では、「高速道路」を使うことはほとんど前提になるでしょうが、それと同時に「扱う技術が拙いと大事故につながりかねない」という懸念も持っておく必要があると感じます。
〜〜〜デジタルノートの学習曲線〜〜〜
多様なデジタルツールにおいて、使いはじめやすいものとそうでないものがあります。そうでないものは「学習曲線が急」などと評価されたりもします。使いはじめるまでに学ばなければならない知識の量が多い、ということでしょう。
ごくフラットに判断すれば、一番学習曲線が急なのがNotionで、一番緩やかなのがCosenseになると思います。Macのメモ帳も相当緩やかで、EvernoteやUpNoteなどがそれに続く感じでしょうか。
問題はObsidianです。
個人的にはObsidianは、導入が簡単なツールだと思っていました。極論すれば「マークダウンエディタ・ビュアー」なわけで、それまでに似たツールを使っていたことがある人にとってはそこまで多くの学習を必要としません。
一方で、Obsidianは導入が難しいという声もよく聞きます。あるいはマニアックな人向けのツールという評もあります。
たしかにゴリゴリにプラグインを使い込むスタイルはマニアックと呼べるでしょうが、それらを使わなければObsidianの基本性能が活かせないなんてことはぜんぜんありません。
◇zenSidian | Knowledge Walkers
上のページで紹介している「zenSidian」は、極限までObsidianの機能を使わないベーシックなリンクベースのノーティング手法ですが、まったく問題なく使えています。
そうなるとやはり鍵を握るのは「ファイルシステム」なのでしょう。つまり、OSレベルでフォルダ/ファイルを作って情報を扱うというコンセプトそのものに慣れているのかそうでないのかの違いが、Obsidian受容の難易度に影響を与えている可能性が高いです。
そう考えると、デジタルノートツールについて語るのはやはり難しいと言わざるを得ません。背景にある知識があまりにも多様であり、一つの語り口で成立させることが困難な仕事になります。
だとすれば、おそらく『ノンデザイナーズ・デザインブック』のように特定のコンテキストに向けて切り口を設定するのがよいのでしょう。
皆さんはいかがでしょうか。Obsidianは難しいと感じますか。それとも簡単な方だと感じますか。よろしければ倉下まで教えてください。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は、タスクリスト連載の続き、AIと知的作業、今年からスタートしたintegrator project、遅れを取り戻すことについての4編をお送りします。
CT連載09:プロジェクトノート
少し間が開いてしまったので、簡単に復習しておきましょう。
多くの事柄は、デイリーのタスクリストで扱えます。その日やることを決めて、やり終えたら終了し、やり残したら次の日に進める。あるいは不要なものとして廃棄する。このようなデイリーサイクルの関心範囲でたいていの物事は処理できます。
しかし、すべてではありません。
デイリーの繰り返しでは対応できない、言い換えればそのサイクルの外側にある関心範囲は、デイリーの枠組みだけだと少し「手狭」になってきます。そうした際は、別の枠組みが必要です。
一日という単位を越えて、持続的・継続的な注意や関心を向ける対象。そうしたものは多くの場合「プロジェクト」と呼ばれます。
■タスク管理におけるプロジェクト
タスク管理における「タスク」も多義的に使われる言葉ですが、「プロジェクト」も同様です。人はいろいろな意味でこの言葉を使います。
たとえば、企業組織における「プロジェクト」とは、日常的な業務ではない特別な「大仕事」が意味されます。プロジェクト・マネジメントという分野も、日々の雑務の設計ではなく、そうした大仕事をいかに回していくのか、という関心を持っています。
一方で、デイビッド・アレンが提唱するGTDでは、プロジェクトは以下のように定義されます(『全面改訂版 はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』)。
アレン自身が注意を促しているように、GTDの「プロジェクト」は大仕事を意味していません。たとえ小さな規模のものであっても、複数の行動ステップが必要なものはすべて「プロジェクト」として扱われます。
一方で、『マニャーナの法則』の著者であるマーク・フォースターはその著書でプロジェクトを複数のタスクに分解可能なものであるとした上で、そのタスクも必要に応じてプロジェクトと考えて分解できると述べました。ここでは再帰の考えが使われています。
さらにフォースターはその「プロジェクト」を二種類に分類しました。
・継続作業のプロジェクト
・複数要素のプロジェクト
継続作業のプロジェクトは、長期間にわたって繰り返される行動で構成されるものです。たとえば楽器の練習や語学の習得がそれです。そうして繰り返される行動そのものがプロジェクトの主体になっています。
一方、複数要素のプロジェクトは、目標達成に必要な行動が複数あるものです。私がよく使う例は「企画案の作成」で、そこでは調査・検討・制作という異なる行為が必要になってきます。その際、実行される行動そのものではなく、そのような行為の組み合わせで達成される目標こそが重要となります。
また、複数作業のプロジェクトでは異なる行動が必要だからこそ、「タスクに分解する」ことが重要だとも述べられます。
このように一口に「プロジェクト」といっても定義のされ方は多様で、またその扱い方も異なっているのが実情です。
■かすかな共通点
一方で共通点がまったくないわけではありません。
ここから先は
¥ 220
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?