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第十六回 True idea never runs smooth

前回は、「アウトラインを作り、それを作り替えていく」というプロセスを紹介しました。

おそらくこのプロセスは、一般的なアウトラインについての理解と食い違っているでしょう。つまり、「最初にアウトラインを作り、後はその通りに書いていく」というプロセスの方が、一般的な理解に近いと想像します。

しかし、そのプロセスは幻想でしかありません。ただし、有用な幻想です。

そのことについて考えていく前に、まずはなぜアウトラインを作るのかについて検討します。

判断者の事情

商業出版において、一番最初に必要になるのは「企画案と目次案」です。つまり、その本がどのような内容なのかを明示する情報です。

想像してもらえばわかりますが、あなたが編集長だとして「すいません、どんな内容の本になるのかぜんぜんわからないんですけど、本を書かせてくれませんか?」と提案されたとして、Goサインを出すのはかなり難しいでしょう。提案者がよほどのビッグネームでない限り、「もう少し具体的な内容を教えてください」と差し戻すはずです。

で、その「具体的な内容」を提示するのが、企画案と目次案なわけです。目次とは、「内容の抜粋」であり、読み手にそれがどんな内容なのかの輪郭を伝えるための情報なのですから(それがアウトラインということの意味です)、読者だけでなく企画案を判断する人間にとっても目次は(あるいは目次案は)役立つ情報です。

だから、本を書き始める前に目次(目次案)が作られることになります。

執筆者の事情

一方、書き手の方だって、「何を書くのかぜんぜんわかっていないけど、とりあえず何かについて書こう」という気持ちでは、なかなか書き進めることは難しいでしょう。よほど豪胆な人(あるいは諦めの境地にいる人)ならばともかく、そうでなければ「何かしら実りのあるもの」を書きたいと願うはずです。

その願いに沿って、どんな内容を書いていくのかを考える。そのためにアウトラインという情報道具は役立ちます。つまり、目次案を考えることを通して、その本をどんな本にするのかを考えていく、ということです。

理想としての契約書型目次案

このように企画の判断者と執筆者の双方において、目次案は役立ちます。Win-Winの関係です。ただ一つの点だけを除いて、という保留がつきますが。

どんな保留がつくのかと言えば、「目次案通りに書けるとは限らない」という爆弾のような保留です。なにしろ、「こういう本を書きます」と宣言しているのに、その通りには書けないという「現実」が待っているのです。これは大変です。

しかし、慌てる前に、少し落ち着いて考えてみましょう。

まず、一番最初に提示される目次を「契約書型目次案」(*)と呼びましょう。双方の合意を確立ために提示される目次のことです。
*『ワープロ作文技術』より。

契約書型目次案は、言ってみれば「理想」の目次案です。「こうなったらいいなと私は思っています」という著者の願いが込められたアウトラインなのです。

しかし、ここまでの連載で確認してきたように、理想は現実ではないからこそ理想と呼ばれます。つまり、「理想」の目次案がそのまま「現実」の目次になることはありません。絶対にないとまでは言えませんが、かなり確率は低いでしょう。

なぜか。それは、書き出していくうちに、思考が駆動していくからです。

ジャングルの進行ルート

比喩的に言いましょう。

あなたはジャングルを進むために、地図を見て進行ルートを決めます。これが理想の目次案(≒ 契約書型目次案)です。

しかし、一歩そのジャングルに足を踏み入れてみると、いろいろなことがわかってきました。ある部分は道がぐしゃぐしゃで車が通れません。ある部分は川が深く、歩いて渡るのすら無理です。さらにある場所は、とても綺麗な風景が広がっていてしばらくぼけーっとしたくなってきます。あるいは、地図に記されていない炭坑を見つけるかもしれません。

当然、そうして得た情報をもとに、進行ルートは変わってきます。変えないでそのまま進行することも可能でしょうが、相当な無理が生じるでしょうし、魅力的な炭坑を捨ててしまうことにもつながります。

ここで分岐が生じます。「いや、そうは言っても最初に進行ルートを提示してそれで合意したんだから、無理であろうが炭坑を捨てようが、そのまま進むべきだ」という価値観と、「うんうん、やっぱり現地の情報って大切だよね。その炭坑も調べてみたいし」という価値観です。

私はこの二つの価値観に優劣をつけることはできませんが、それでもどちらを支持するかと言えば、後者です。

特に、出版の契約が「○月○日までにn万文字の原稿を甲は乙に必ず送信すること」などになっていないなら、私は後者の選択をしたいと思います。でもって、いまだに出版業界が出版契約書を本の完成後に交わすのも、このような進行ルートの変更を織り込んでいるからなのではと考えたくなります。
*蛇足ですが、だからこそ締め切りをきっちり守れる人は重宝されると思います。

目次案通りに書けない状況

では、比喩のレイヤーマスクを取り払って、「目次案通りに書けない」とはどういう状況なのでしょうか。

一つには、あらかじめ書こうと思っていたことの粒度や重要性が、書いてみると違っていた、と気がつくことです。項目にしていたものが、実際は章レベルに広がる話だったり、逆に一つの章を当てていたのに、書き始めてみたら3行くらいで終わってしまったということが起こります。

さらに、文章を書いているうちに、自分の中で新しい論理展開の発展があって、もともとの章構造と論理展開が一致しなくなってしまうことも起こります。そしてやっかいなことに、その新しい理論展開の方が、面白く感じられるのです。

同様に、関連して思いついたことが、一冊の本のテーマとなるくらいに重要なことだった、ということもあります。

とにかく、書いていくと、いろいろな発見があるものなのです。特に「考えながら書いていく」とこういうことがよく起こります。逆に、「自分がすでに知っていることを、紙の上に書き写す」ように書いている場合は、あまりこうした発見は起こりません。その意味で、書き方によっても、アウトラインからの逸脱が起きやすいどうかは違ってきます。

思考はランダム

ではなぜ「考えながら書いていく」とアウトラインからの脱線が起きやすいのかと言えば、そもそも思考というものがランダムだからです。

もし興味があるならば、その日思いついたことをすべて時系列で書き留めてみてください。そのランダムさ(乱雑さ・乱調さ)に驚かれることでしょう。同じ作業をしているときですら、考えは散り散りに散らばっています。

ある一つのことについて文章を書いているときでも同様で、人の思考は、さまざまな方向にコードを延ばしています。誰かに何かを話しているときですら、「あっ、そういえば」という脱線を挟みながら、話は続いていきます。そういう乱調さが、人のデフォルトなのです。

にも関わらず、「本」というのは、理路整然と書かれています。だからこそ、「その通りには書けない目次案」が必要なのですが、それについては次回続けましょう。

(つづく)

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