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カードの種類と仕事のスタイル/情報の新陳代謝、あるいは本を捨てること/選択肢を広げよう

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2019/11/04 第473号


はじめに

はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。

不調だ不調だと長々言い続けてきましたが、ようやく復調の兆しです。一番悪い状態が「5」だったとすれば、今は「75」あたりをうろちょろしています。最低限の家事をこなし、こうして原稿も意欲的に書けるようになりました。

やっぱり、文章を書くのはいいですね。長い不調が続いていたからこそ、ああ自分は文章を書くのが本当に好きなんだな、と改めて実感できました。

これからも、読みやすく、面白く、役に立つ文章を書いていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

〜〜〜『僕らの生存戦略』進捗報告〜〜〜

長い不調のため、8月30日からほとんど進捗が止まっていた『僕らの生存戦略』ですが、ようやく作業が再開できました。

とは言え、まだがっつり執筆はできないので、アウトラインの整理と、これまで書き散らかしてきたパーツ(断片)の整理がメインです。

まず、二日と半くらい使い、メインとなるアウトラインを決定しました。いわゆる目次案(章立て)です。これまでずっと悩み続けていましたが、なんとか決定できました。これは不調の期間が続いていたことが強く影響しています(これについては来週号で改めて書いてみます)。

で、アウトラインが決まったので、これまでノート・紙片・情報カードなどに書き散らかしてきた要素を一度読み返し、作ったアウトラインに採用できそうなものを拾い上げ、それをアウトラインに追加する作業を行いました。直接目次案に入れ込むのではなく、「書きたいこと」という項目を作り、そこに追加していく形です。

一通りこの作業が終わったら、追加した要素を一つひとつ確認し、メインのアウトラインのどこに位置づけられるかを検討することになります。

それが、次の作業になりそうです。

〜〜〜不安であっても〜〜〜

完成した『僕らの生存戦略』のアウトラインは以下のようなものです。

はじめに 「僕ら」って誰か?
第一章 タテからヨコへの社会のシフト
第二章 ヨコ社会の歩き方 〜戦略と人生デザイン〜 
第三章 自分の点を打つ 〜バーベル・ギバー戦略〜
第四章 コネクト指向
第五章 ネットワークと価値 〜価値を生み出す考え方〜
第六章 武器・防具・魔法
第七章 「僕ら」の生存戦略

これを眺めながら、「はたして自分はこの本を書き上げられることができるのだろうか」と不安になってきました。

これまでいろいろな本を書いてきて、毎回毎回「この本は難しい」と感じていたのですが、「書けるかどうか」を不安に思ったことは一度もありません。少なくとも、目次案が完成したら(どこからともなく)「これは書ける」と無意識に自信を持っていたような気がします。

この不安感が体調不良から来ているのか、それとも内容の大きさ(土俵の広さ)に自分が圧倒されているのかは未だに峻別できません。

でも、たとえ理由がどうあれやることは一つです。愚直に、一文一文、書けることを書き進めていく。ただそれだけです。

〜〜〜Evernoteのアップデート〜〜〜

Youtubeに次のEvernoteのアップデート情報がアップされていました。

「ようやく来たか」。それが率直な感想です。まず、段階的な検索が可能になります。つまり、何かで検索する。その後、その結果を別の要素で絞り込む。さらにその結果から、別の要素で絞り込む。そういうことが可能になります。

これまでのEvernoteでも、複数条件での検索は可能だったのですが、それは一行の検索構文にまとめる必要がありました。最初の検索で、結果が多すぎて見つけられなかったときに、新たに条件を加えたければ新しい検索として実行しなければならないのです。でもって、Evernoteの検索はサクサクスムーズというわけではありません。厄介です。

段階的な検索ができるようになれば、まず大雑把に検索して、見つからなければ絞り込むという動作が自然にできるようになります。で、人間の記憶ってだいたいそういう感じで進むのではないでしょうか。いきなり緻密な検索構文が思い浮かぶのではなく、まずざっと探して、「ああ、そういえばあれはこういう条件もあったな」と思いつく。そういう流れです。その自然な流れに沿って検索できるようになれば、Evernoteの活用度ももう少しはあがるでしょう。

もう一つは、検索キーワードを入れているときにサジェストが表示されるようになるようです。これはもうScrapboxでは標準機能なわけですが、Evernoteもようやくそこに追いつこうとしています。

あとは、そのスピードが実用性に耐えうるものであることを願うばかりです。

〜〜〜本を読むこと〜〜〜

『人類の意識を変えた20世紀: アインシュタインからスーパーマリオ、ポストモダンまで』という本を読んでいます。

その第2章「モダニズム」の中で、著者は『ユリシーズ』について言及し、著者の文体が魅力的だと述べたうえでこのように続けます。

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 読者からすると、たとえ作者の言わんとするところが掴めず、これといった筋の進展がないように思えても、読み続けたくなる言葉のリズムを持っている。だが、そうするには集中力が、それも持続する集中力が必要だ。ジョイスの作品は、注意力散漫な二一世紀人向けに書かれたものではない。しかし、それこそが重要なポイントだったように思える。
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私も著者の意見には同意します。でもって、これは読書について、いや、情報のインプットについてかなり示唆的な意見であるようにも感じます。

注意力散漫な現代人が劣っているかどうかはわかりませんが、読書に親しむ人は独特の精神的態度を身につけているのでしょう。読書について語るときは、この点は外せないように思います。

これはまた改めて、しっかり土俵を整えてから考察してみます。

〜〜〜今週見つけた本〜〜〜

今週見つけた本を三冊紹介します。

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 人気ブロガー経済学者が、経済学の概念「シグナリング」をキーワードに、現在の教育システムが抱える問題点を実証データで分析する。
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 人はなぜ平然と差別、嘲笑、暴力に加担するのか?人間をモンスターに変えるものは何か?ファクトが語る脳と遺伝子のダークサイド。激しい賛否両論を巻き起こす著者の話題書!
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 なぜ長期停滞を余儀なくされるのか。なぜ経済学の理論が通用しないのか。
 縮小する日本、停滞する世界を救う全く新しい経済理論。
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〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なるアンケートなので気楽にお答えください。

Q. 『僕らの生存戦略』の目次案、感触はいかがでしたでしょうか?

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。

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2019/11/04 第473号の目次
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○「カードの種類と仕事のスタイル」 #メモを育てる

○「情報の新陳代謝、あるいは本を捨てること」 #物書きエッセイ

○「選択肢を広げよう」 #Thinkclearyを読む

※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。

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○「カードの種類と仕事のスタイル」 #メモを育てる

メモについて考えるために、まずカードを使った情報整理・管理法を見てきました。板坂元のカード法、PoIC、梅棹忠夫のカード法、エトセトラ、エトセトラ……。

なぜメモについて考えるためにカードを取り上げたのかと言えば、カードが「一枚一枚」書かれるからです。実際、ほぼすべてのカード法が「一枚一項目」の原則を守っています。これを逆に言えば、情報における「一項目」という粒度が、一枚のカードに書かれた内容だと設定可能であることになります。

情報整理・管理法における粒度の設定は、それだけで一つの課題となりうるのですが、カード法ではそれがわかりやすくかつ視覚的に示されています。

また、坂元のカード法やPoICでは、カードに「型」(タイプ)を与えていました。板坂はカードの色で、PoICでは書き込むアイコンでその区別を行っていたわけですが、それらの行為は、カードの記入時に「これは何か?」という問いを必然的に発生させます。

「これは自分の専門領域に関する知識だろうか?」
「これは今の仕事に使うものだろうか?」
「これは短期で実行すべき行動(タスク)だろうか?」

こうしたことを問わない限り、カードの色を変えたり、アイコンをつけたりはできません。情報の内容に無頓着に書き留めることはできず、書き込む情報に意識的にならざるをえないわけです。

この点、「すべてを一冊のノートに書き込みましょう」方式だと、こうした意識化は行わなくても済みます。それは綴じノートを使っていても、デジタルノートを使っていても同じです。ともかく書き留める。それだけで情報に居場所ができ、収まりが良くなります。「これは何か?」と問う必然性は、生まれてきません。

その意味で、カードを使う方法は、情報を断片的・独立的に扱うのに最適な方法だと言えます。

※ちなみに、「これは何か?」という問いは、タスク管理法であるGTDの中核になる自問でもあります。それについては、また後の回で改めて触れることになるでしょう。

■自分が行う処理

私たちが何かを書き留めるのは、それを後から「処理」するためです。もちろん、書き留めることだけが目的でありその後何のアクションも必要ないメモも存在はしますが、大半のメモはその後の処理を要求します。

いや「メモが処理を要求する」という表現は擬人化がすぎるでしょう。実際は、メモを書き終えた後の、(未来の)自分が求める行為があるのです。「あるタイミングに思い出したい」「あの企画に使いたい」「誰かに伝えたい」……。そうした行為が複数あるからこそ、カードの種類も複数出てくる。そういう関係です。

また、その行為は定型的でもあります。だからこそ、板坂のカード法やPoICは四種類だけで済んでいるのです。もしそれが定型でないのなら、カードは無限のバリエーションを必要とするでしょう。しかし、実際はそれほど多い行為は出てきません。主要なパターンがいくつかあり、そこから外れる例外がいくつかある、という程度でしょう。これは、人間の(生活における)行動が、だいたいパターンに収まることと対応しています。

■行為とカード

以上の点は、きわめて重要です。

まず、カードの種類は、「自分がそのカード(メモ)をどう扱いたいのか」によって決まってきます。均一的な、つまり「知的生産を行うならこのような種類のカードを使うべし」という分け方が立ち上がるわけではなく、あくまでそのメモを使う主体──つまり自分──の求めに応じて、適切な種類が立ち上がってきます。

たとえば、板坂のカード法は「専門」と「それ以外」を分けて記録していました。一方梅棹のカード法は、そのような区別を持たず、「自分の関心の在り方」に分けて〈区別〉することを提案しました。

おそらくですが、一般的な学者さんは前者のような分け方を好むのではないでしょうか。あるいは、渡部のようにそもそも専門外の読書メモなど作らないという人も多いかもしれません。自分の専門領域に専念するのが学者の仕事だからです。
※もちろんあくまで私の推測にすぎません。私の観測範囲では専門以外も記録される学者さんが多いですが、私の観測範囲に入っているという時点でそうとうバイアスが入っているので、外れ値として除外しておきます。

一方で、梅棹の仕事を眺めてみると、「一体この人の専門は何なのか?」と驚いてしまいます。民俗学から情報論、山登りに京都論……、きわめて取り扱う「フィールド」が広いのです。もちろん、世間的な評価では「梅棹の専門は○○だ」という断定はあったでしょうし、もしかしたら当人の中にもあったのかもしれませんが、その区別はあくまで便宜的なものでしかなかったのではないかと私は推測します。

つまり、梅棹の中では、ある情報が自分の「専門」かどうかよりも、自分のどんな知的関心に近接しているかの方が、上位に(≒高優先順位に)来ていたのでしょう。だからこそ、京大式のカードになんでも書き、それらを「くる」ことで新しい発想を求めていたのです。その発想の仕方自体が、越境的・領域横断的な知的操作であることは間違いありません。

■パターン処理

以上のように、カードの種類や取り扱い方は人によって違っています。それは、その人の生活のスタイルや仕事の仕方が異なっているからです。逆に言えば、自身のスタイルとカードの扱い方が合っていなければ、そのカード法が効果を発揮することはないでしょう。

となると、自分が書き留めたものをどう扱いたいのか・どう扱う必要があるのかを見極める必要があります。そして、その際に役立つのが「パターン」です。

よほど奇抜な生活を送っていない限り、人間の生活にはパターンが発生します。物書き仕事に限っても、「毎週書くメルマガ」「月一回の連載」みたいなものが繰り返されることで仕事は構成されていきますし、他の仕事でも(周期はいろいろあれ)何らかの繰り返しで仕事は成立しているでしょう。

もし、一日ごとにやることや時間の使い方がまったく違うなら、それはたいへん疲れる人生になると予想できます。逆に言えば、パターン化は(あまり)疲れないための方策でもあります(※)。
※これは飽きを生む要因にもなります。

そして、生活のスタイルとメモが呼応しているように、メモもまたパターンを持ちます。一つひとつのメモがそれぞれに違う要求をする、ということはありません。再び擬人化を解除すれば、私たちがメモに対して行いたいと思う処理は、いくつかのパターンに落とし込めます。

そのパターンをベースに処理をシステム的に記述したものが、いわゆる「カード法」であり、もっと言えばさまざまなタスク管理法もここに含まれます。

メモに対して「これは何か?」を問うことは大切ですが、日ごとに思いつく雑多なことすべてに対してそれらをゼロベースで検討していたのでは脳のエネルギーはすぐに枯渇してしまうでしょう。だから「これはタスク」「これはスケジュール」のように、パターン化して処理し、混乱から生じる脳エネルギーの浪費を抑えるわけです。

■さいgに

ここまでの話で一番大切なのは、「パターンが先にあるわけではない」ということです。パターンとは、結果群から見出されるものであって、パターンに沿って人は何かを思いついているわけではありません。これを逆に捉えてしまうと、メモ活動はギクシャクしてしまうでしょう。

この点については、次回掘り下げて考えてみます。

(つづく)

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