書き手からみた『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』/ひとりSlackで継続的思考/モレスキンノート術
Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~2019/12/09 第478号
はじめに
はじめましての方、はじめまして。毎度おなじみの方、ありがとうございます。
12月3日、電子書籍販売サイト「BOOK☆WALKER」に読み放題サービスが追加されました。
月額760円で、1万冊以上が読み放題となっています。
現在読み放題サービスと言えば、Kindle Unlimitedが有名ですが、正直に言って「抜群のラインナップ!」と褒めることはできません。ラインナップ数は多いものの、読みたい本がどれだけ含まれているかと考えると、うむむ、という感じになってきます。
一方、「角川文庫・ラノベ読み放題」は、有名どころがかなり押さえられています。たとえば、以下のシリーズが読めるようです。
『ソードアート・オンライン』
『スレイヤーズ』
『狼と香辛料』
『涼宮ハルヒの憂鬱』
『灼眼のシャナ』
『この素晴らしい世界に祝福を!』
『賢者の孫』
※もちろん他にももっとあります。
人気シリーズもあり、テレビアニメになっているものもあり、さらに言えばものすごく長い(≒巻数が多い)ものも含まれています。月額760円なら、毎月二冊読めばペイできるわけですから、これはお得でしょう。
私自身に関して言えば、ここにラインナップされている作品のいくつかを先日本棚から大量処分したばかりなので、「もし読みたくなったら、このサービスを使えばいいや」と喜びかけたのですが、実際登録して覗いてみると、これらの人気シリーズは1巻ないし2巻までしか読み放題の対象になっていませんでした。がっくりです。
まぁ、収益のことを考えればそうせざるをえないのでしょう。
今後、時間が経ち、サービス利用者が増えていくならば、シリーズの続刊も読み放題の対象になることが期待できるかもしれません。そうなることを願うばかりです。
〜〜〜力技のブックマークレット #インクリメンタルな環境改善〜〜〜
「amazlet」という便利なサービスがありました。Amazonページへのアフィリエイトつきリンクを手軽に作れるブックマークレットを提供してくれるサービスです。
しかし、「ありました」と書いたように、現在そのサービスにはつながりません。
当然、このURLを経由して使うブックマークレットも使えません。困りました。R-styleやらHonkureやらの書影画像つきリンクは、すべてこのブックマークレットで作っていたのです。一応、Amazonの公式ページでもリンクは作れるものの、そのデザインはおせじにもかっこいいとは言い難いものです。
さて、どうするか。
一番の王道は、自分で「Product Advertising API」を叩くことでしょう。詳細は割愛しますが、Amazonアソシエイトに登録したら使えるAPIがあり、そこから画像データなどが取得できます。それを加工して、HTMLコードに変換すれば、amazletと同じものが作れることは疑いありません(だって、amazletもそうしていたはずですから)。
しかし、APIを叩いてなんちゃらする、というのは私にとって心理的ハードルが高いものです。普段ユニクロばかり着ている人間が高級ブティックに足を踏み入れる、くらいのハードルの高さです。
とは言え、ちまちま書影つきリンクを手打ちでコードを書いていたのでは、Honkureのようなサイトの運営は困難を極めるでしょう。ぜひとも作業を省力化したいものです。
そこで、かなり力技の解決策を採りました。
自作のブックマークレットです。Amazonの書籍ページで使うことを想定しています。
書籍ページでブックマークレットを発動させると、ブログにそのまま貼り付けられるHTMLコードが生成されます。動き自体はamazletとまったく同じです。ただし、そのコードを、APIを叩いて構築するのではなく、Amazonページのデータからそれっぽいものを取得し、加工して作っています。
これはあまり「お行儀」の良いやり方とは言えませんが、自分が使う分には便利に使えているので、とりあえずはよしとしておきましょう。
ちなみに、上のコードを他の人がそのまま使うと、私のアフィリエイトIDが添付されているリンクが生成されますので、ご注意ください。
〜〜〜Dynlasitの新機能 #ライフハックタイムズ〜〜〜
Dynalistに新機能が追加されました。
(1)置換
項目のテキストが置換できるようになりました。書き換えたいテキストと書き換え後のテキストを指定すれば、まるっとそれを置換してくれます。デジタルツールの醍醐味とも言える機能です。
これによって、Dynalistはドキュメント(大型の文章)を扱えるツールになりました。おそらく今後は、ますますそういう方向にシフトしていくことでしょう。
(2)リンク入力のショートカット
新しいショートカットコマンドが追加されました。Macなら、command + kで(winならctrl + kで)、リンク記法が挿入されます。
そのままキーを押すと、[]()が、テキストを選択した状態で入力すると、[hogehoge]()が挿入されます。
このリンクは外部だけでなく、Dynalistの項目(のURL)にも使えますので、項目同士を繋ぐのにも便利です。
また、形式の共通性から、Scrapbox的リンクとして使う方法も提案されています。
カッコの入力は面倒な作業なので、簡単にできるようになるのは良いことですね。
〜〜〜Youtubeの広告〜〜〜
よくYoutubeを見ているのですが、プレミアムに登録していないので、ちょくちょく動画に広告が入ります。
それ自体は別に構わないのですが(そもそも無料で閲覧しているのだから文句をつける筋合いはありません)、最近その広告にYoutubeチャンネルが出てくるようになりました。つまり、「こういう番組をYouTubeでやっています」という広告が、Youtubeの動画に挟み込まれるようになったのです。
そうした広告動画を見かけると、袋小路に閉じ込められたような「どこにも行けない」気分になってきます。あっちを向いてもYouTube、こっちを向いてもYouTubeといった具合に。
まあ、YouTubeチャンネルの広告を見せる相手としては、一番適切な選択肢なのかもしれませんが。
〜〜〜それの名は〜〜〜
ときどき、タイムラインに「アウトライナーをはじめて使ったら、文章を書くのが楽になった」的な記事が回覧されてきます。
もちろん、アウトライナーに限ったことではなく、Evernoteでノートを取ったら便利だよね、とか、カードを並び替えてアイデアを考えるのは楽しいといった記事の場合もあります。つまりは、「知的生産の技術」です。
しかし、そうした人はどうやら「知的生産の技術」という言葉は(そして、そこから広がるジャンル」は知らないようです。このギャップが、私には気になります。
「知的生産の技術」という言葉を知らなくても、まさにその技術を必要としている人が少なからずいるならば、なんとかしてそれをブリッジしたいと願います。
昔はその役割を「ライフハック」という言葉が代替してくれていましたが、その意味は変質してしまい、さらには違う方向へ進もうとしています。同じ船に乗り続けることはできません。
しかし、それに代わる名前はまだ見つかっていません。現代において、「知的生産の技術」が象徴する技術群にアクセスしたがっている人たちに、それを伝えるための看板となる言葉。
それを見つけてみたいものです。
〜〜〜回復期のもどかしさ〜〜〜
「明らかに、もう無理」
という自覚があるときは、無理はしませんし、そのことに嫌気も感じません。「無理しないことをしている」からです。つまり、何かをしている感覚があるわけです。
しかし、少し体調が回復し、心が前向きになっているにもかかわらず、体がまだ完全には回復していないタイミングは危険です。「もう少し作業したい」という気持ちが強まっているのに、実際の作業はその量に追いついていないので、何かができていないという感覚が生まれるからです。
100のうち50とか60くらいなら、まあまあという感じですが、85とかになってくると、「あと15で100だ」という焦りが生まれてしまうでしょう。それに似ているかもしれません。
とりあえず、自分の気持ちには寄り添わず、体に寄り添うことがそうしたタイミングでは大切なのでしょう。今の私のタイミングです。
〜〜〜ツールの役割〜〜〜
現在(2019年)の知的生産ツールのMy位置づけを、メタファーを用いて説明すると以下のようになります。
・前線基地としてのWorkFlowy
・研究所としてのScrapbox
・資料保管庫としてのEvernote
・タスクフォースとしてのScrivener
・中継地点としてのUlysses
他にも名前を挙げるべきツールはありそうですが、上記でだいたいはまかなえています。
で、こうしたメタファーを並べることで、ツールの使い分けの感じがより伝わりやすくなるのではとも感じます。
「知的生産という言葉は知らないけど、知的生産の技術は必要としている人がいる」
という話もからめて、この辺をより伝わりやすく展開してければいいなと、ぼちぼち考えております。
〜〜〜今週見つけた本〜〜〜
今週見つけた本を三冊紹介します。
書店で大きめに展開されていました。「経営学」というとなんとなく青色っぽいイメージですが、本書の真っ赤なカバーはなかなか目立ちます。「経営学をビジネスモデルで理解する「常識破り」の入門書」らしいです。
人が生きる中で抱える悩みを、哲学者にがつんとぶつけてみよう、という本。もちろん、アリストテレスやニーチェのように故人の哲学者なので、対話形式で書かれているだけであって、降霊術を駆使したインタビューというわけではありません。
一般的にメディア学の大家として位置づけられるマクルーハンですが、彼の思想的アプローチを中心に解説した一冊です。大著『メディア論』のような独特な書き方は、なぜ採用されたのか。おそらく本書はその辺にアプローチしてくれるのでしょう。
〜〜〜Q〜〜〜
さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。
Q. 一度対話してみたい哲学者・思想家は誰かいますか。故人であってもかまいませんし、言語の壁は存在しないものとして想像してみてください。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。
今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。
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2019/12/09 第478号の目次
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○「書き手からみた『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』」 #物書きエッセイ
○「ひとりSlackで継続的思考」 #知的生産の技術 #メモの育て方
○「モレスキンノート術」 #メモの育て方
※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。
○書き手からみた『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』 #物書きエッセイ
結城浩さんの新刊『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』を読了しました。この本は読み手として楽しめるだけでなく、書き手としても強く感銘を受けました。
読み手としての感想は以下の記事に書いたので、今回は書き手としての感想を書いてみます。
■漫才師が考えるべきこと
2010年のM-1グランプリは、驚愕でした。初出場かつ誰からもマークされていないスリムクラブが決勝に進出し、しかも2位という堂々たる結果を残したのです。
驚きは、その結果だけではありません。彼らがやった漫才がひどく印象的でした。
たいていの漫才では、四分間という制限時間の中に、大量にボケとツッコミをつっこんできます。その怒濤のトークの中で、小さい笑いから中くらいの笑い、そして大爆笑へとリズムを作っていくのです。
しかし、スリムクラブは違いました。見ている方がちょっと心配になるくらい、ゆっくり話を進めるのです。そして、異様なほどに間を開けます。にもかかわらず、大爆笑が起きていました。通常の漫才空間とは違う、その異様な空気が、逆に新鮮な笑いを呼び込んでいたのかもしれません。
結局のところ、大量にネタをつっこむのは、笑いを取るための手段でしかありません。笑いを取ることこそが至上命題であり、それを達成するための方法は一つに限られていないのです。その意味で、漫才師が意識を向けるべきは、いかに笑いを取るかであって、単位時間あたりのネタ投下量を最大化することではないでしょう。
■ゆっくり進む
『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』も、きわめてゆっくり話が進行します。テンポよく、リズミカルに話が展開していくのではなく、じわじわと、いっそ行ったり来たりしながら、話は進んでいきます。
なぜそんなことになるのか。それは、シリーズ初登場となる〈ノナ〉という登場人物の影響です。
彼女は、とにかく引っかかります。普通の対話(≒問答)ならば、軽やかに駆け抜けていけるところに、いちいち引っかかるのです。テンポよいスムーズな会話とはとても言えません。名探偵がスラスラと答え、そこに助手がとぼけた、でもクリティカルな問いを投げかけることで、さらに名探偵が(いっそ面白げに)話を続ける、という会話スタイルではないのです。
彼女は、対象を暗記すべきかをまず気にします。
彼女は、図に打たれた点の色を気にします。
彼女は、置かれた文字が、その文字でなけれならないのかを気にします
彼女は、自分が口に出した答えが間違っていることを気にします
「僕」と〈ノナ〉のやりとりに触れると、いかに〈テトラ〉や絶賛妹キャラ(ただし妹ではない)の〈ユーリ〉との会話がスムーズに進んでいるかが痛感されます。とぼけた助手の問いかけがそうであるように、彼女たちが投げかける疑問に助けられることで、「僕」はスムーズな説明ができていたのです。
本書の「僕」は、そうした合いの手を期待することができません。「気持ちの良い」説明はできないのです。
■さぐりさぐりの歩み
〈テトラ〉や〈ユーリ〉が投げかける疑問は、対象についてより根源的に考えることを「僕」に促します。一方、〈ノナ〉の示す反応は、そもそも人に教えるとはどういうことなのかを「僕」に考えさせます。だから、「僕」と〈ノナ〉は、さぐりさぐり話を進めていくのです。
何を探るのか?
意味と理解を、です。
相手が言わんとしていることは何なのか。つまり、相手の頭の中身を探っていきます。
相手がどんな風にこの説明を捉えているのか。つまり、相手の中身を探っていきます。
頭の中身など、目には見えません。だから、それはどうしてもゆっくりの探索になります。もちろん、その速度は、本書の展開速度とも呼応します。本書は読んでいて、テンポ的にまどろっこしく感じる部分もありますが、むしろその遅さは必須のものなのです。そういう形でしか進まない理解というものがあるのです。
私が驚嘆したのもこの部分です。つまり、よくこの速度の物語を展開できたな、と驚いたのです。書き手にとって読み手に飽きられるのは怖いものです。だから、ついつい情報を詰め込み、テンポ良く話を進めてしまいます。でも、そういう形でこの物語が語られていたら、本書が伝えたことの大半は、きっと伝わらなかったでしょう。
しかし、理屈で納得できることと、それを実行できることの間には乖離があります。わかっていてもできないことは山ほどあるでしょう。だから本書を読んだとき、私はどっしり構える横綱のような雰囲気を感じました。威圧的ということではなく、少々のことではブレない足腰の強さ、という感覚です。きっと、焦りに走る若者にはこのテンポの物語は紡げないでしょう。
■書き手と登場人物
ここで思い出すのは、著者と登場人物の関係性です。物語を書く人ならよくご存じでしょうが、登場人物に作者が言わせたがっていることを言わせ始めると、物語はとたんに薄っぺらくなりはじめます。なぜなら、すべての登場人物が、著者の(もっと言えば著者の自我の)コピーになるからです。
一方で、活きている登場人物は、「勝手に」話し始めます。これは何の誇張もありません。言葉通り(著者の自我から見たときに)勝手に話し始めるのです。著者の役割は、その言葉を丁寧に聞き取って台詞として書き起こすことだけです。
そのように生まれる登場人物は、独自の個性を持ちます。言うまでもなく、登場人物とはキャラクターであり、個性もまたキャラクターであるわけですから、登場人物を描くときには著者が出張りすぎてはいけないのです。
その意味で、この〈ノナ〉という登場人物は、著者の思い通りに描いたらまず生まれなかったキャラクターでしょう。「えっ、今それ気にするの?」という疑問をバンバン浮かべてくれますし、学ぶこと、あるいは考えることについて秘めた恐怖心も持っています。かなり井戸の奥深くに手を伸ばさないと、引っ張り出せない登場人物でしょう。
つまり、(「僕」がそうしたのと同じように)著者もまた、ゆっくり〈ノナ〉という登場人物の声に耳を傾けたのでしょう。その意味で、本作の著者はすごいことを成し遂げたなと、強く感心しました。いや、感心というよりも、感動が近いかもしれません。
■さいごに
長々と書いてきましたが、『数学ガールの秘密ノート/学ぶための対話』は、これまでの数学ガールシリーズとはまた違った感動を与えてくれる本であることは間違いありません。
何かを考えることが苦手な人、あるいは、何かを教えることを自らの役割としている人にとっては、勇気や教訓を与えてくれそうです。
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