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僕らがすでに有しているノートを使う力──『すべてはノートからはじまる』 #05

なぜ、ノートを書くことが必要なのか。情報が多すぎる現代において、私たちはノート(記録)とどのように付き合えばよいのか。身近でありながらも、現代的な困難を内包するその問題を解き明かす『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』。その一部を公開します。

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第1章 ノートと僕たち 人類を生みだしたテクノロジー(03)

補完しあう脳とノート

では、なぜノートが良いのでしょうか。ノートという道具のメリットは何でしょうか。

具体的な効能についてはこれからの章で明らかにしていくとして、最初に大切なことを述べておくと、記録が私たちの記憶と補完的な関係にある点が重要です。別の言い方をすれば、記憶とは違った機能を持っているからこそ、両者は調和を持って機能します。

もし、二つが同じ機能を持っているなら、長所がますます伸びる反面、短所はまったく改善されないばかりかより強化されてしまうでしょう。しかし、記憶と記録の関係はそうなってはいません。足りない機能を補い合う関係にあるのです。この点は、きわめて重要です。

ノートは、脳と同じように使わなくても構いません。むしろ、異なることを意識して使った方がお互いの良さが発揮されます。脳は、直感的判断やパターン認識に優れています。それを否定する必要もありませんし、ノートにそれを求めても仕方がありません。ノートは、脳とは違った情報保持の仕方があり、提示の仕方があることが両者の関係を理解する上で重要なのです。つまり、脳は脳として使い、ノートはノートとして使っていく。それが大切な理解の第一歩です。

記録の力を発揮させられる基礎能力

もう一つ、ノートについて大切な点があります。それは「ノートは誰にでも使える」ことです。もちろん、これは強調した言い方に過ぎません。実際は、日本社会で義務教育を受けている私たちは識字の力を持っているので、誰でもノートが使える、というのが正確な表現でしょう。

百年単位で昔を振り返れば、識字は限られた人だけが持つ、高貴な(あるいは高級な)能力でした。教育が十分に行き届いていなかったからです。もし、あなたが識字力を持たないならば、今こうして本を読んで知識を得ることは叶いません。私の元まで出向いてきて(あるいはオンラインでビデオ会議をつないで)話を聞かなければならないわけです。その場合でも、聞いた話をメモに取ることはできません。そのような状況での知識の獲得や活用はきわめて困難でしょう。逆に言えば、日本で生きている私たちはすでにノートを使うための能力が教育されているわけです。やろうとさえ思えば、ノートを扱う準備は整っています。

かといって、その能力もまた完全とは言えません(そもそも完全な能力などありません)。たとえば本書を読んでいて、わからない単語や知らないエピソードに遭遇したとしましょう。そうしたときには、この本という記録の力は十分には活かせません。もちろん、辞書やウィキペディアという別の記録を使えば、その「わからなさ」には対処できるわけですが、その記録にもわからない部分が含まれていればさらに調べなければなりません。そして、最終的にどこかで「自分が知っていること」にたどり着きます。もしたどり着かないならば、永遠にそれはわからないままです。つまり、書かれた文字や文章を読み取れる能力と、活用できる記録の数や質は関係しているのです。

ごく単純な例で考えれば、英語が読み書きできる人は、そうでない人に比べて利用できる情報の数は多くなるでしょう。それ以外の言語も使える人ならばさらに利用できる情報は多くなります。同様に、特定の分野の専門用語が理解できる人もそうでない人に比べて利用できる情報の数や質が変わってきます。

つまり、記録があればそれだけで人は強化されるわけではありません。その記録を読み解く能力があってこそなのです。幸い私たちのほとんどは識字の能力を持っているので問題はありませんが、この点は是非とも注意しておきましょう。

世の中には、親切かつわかりやすく情報を提示してくれているコンテンツがたくさんあります。しかし、すべてのジャンルにおいてそのようなコンテンツがあるわけではありませんし、そもそもどうやってもわかりやすくはできない情報もあります。読み解く力が高まらない限りは、そうした記録は扱えないわけで、外部の記録さえあれば、自分の読み解く能力を鍛えなくても良いという態度を取るのは問題があります。

とはいえ、辞書やウィキペディアの例からもわかりますが、記録を使うための記録という循環的な構造もありますし、英語の勉強にノートを使うことで、読み取る能力を向上させていくこともできます。ここでもノートは活躍するのです。むしろ、ノートを使うことで読み取る能力が向上し、さらにノートが使えるようになる、という拡大的な相互作用がそこにはあります。言い換えれば、ノートという外部記録を併用することで、自分の記憶を含む知性全体に変化が期待できるのです。そう考えれば、大切なのはノートではなく、「自分のノート」(自分の脳と結びついたノート)を作ることだと言えるでしょう。

今日からはじめられる身近なノート

上記と関係することですが、ノートは入手しやすいメリットも持ちます。これも日本が工業的に発展し、物が入手しやすくなっているからです。一昔前は紙は高価なものでしたし、少し前はパソコンが高級品でしたが、今は違います。百円均一ショップにはいくらでもノートが並び、A4サイズのコピー用紙なら一枚一円以下で購入できます。パソコンも十万円だせばかなりのスペックの機種が手に入りますし、三万円程度でもノートの用途なら十分なものが購入できます。個人用のパソコンが五十万円もしていた時代と比べれば、楽園のようです。その意味でも、現代においてノートはきわめて身近なツールなのです。

以上の話を合わせると、つまり、多くの人が識字の能力を持ち、ノートが入手しやすいという状況を考慮すると、ノートは極めて身近な道具であり、手法であることが見えてきます。今日、たった今からでもノーティングをはじめることができ、ノーティストを志すことができます。

ノートをはじめるために、特異な技能を訓練したり、特殊な道具を揃える必要はありません。すでにそのための訓練を終えている(あるいはそれを受けているところ)のが、現代の日本人です。

だからこそ、巷にはノートに関するノウハウが溢れているのでしょう。

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目次

はじめに ノートをめぐる冒険
第一章 ノートと僕たち 人類を生みだしたテクノロジー
第二章 はじめるために書く 意志と決断のノート
第三章 進めるために書く 管理のノート
第四章 考えるために書く 思考のノート
第五章 読むために書く 読書のノート
第六章 伝えるために書く 共有のノート
第七章 未来のために書く ビジョンのノート
補 章 今日からノートをはじめるためのアドバイス
おわりに 人生をノートと共に


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