第十四回 思い通りに行かないから、「思い」のリストが必要
ここまでの話を振り返ってみましょう。
まず、「一日分のリスト」を作ることの価値を確認しました。
私たちの「やること」の全体像はとても巨大なのでまともに戦っては(認知的)勝ち目はありません。そこで対象を小さくし、操作可能なレベルにまで有限化します。
また、一日分で「区切る」ことで、終わりが見えてくるようになります。「やること」のすべてが500ほどあるならば、そのうち8つだけ進めてもまったく進んでいる感じがしないでしょう。しかし、「一日のやること」として30個を集めると、8個も進めればかなり進んだ感覚が生まれます。そういう進捗感を維持することは、メンタルヘルスを壮健に保つ上でも重要です。
しかし、そうやって「一日分のやること」を区切ったしても、思い通りに進むとは限りません。もともとの見積もりが甘い場合もありますし、予想外のこと、予定外のことが起こる場合もあります。
だから、予定なんて考えても仕方がない──という考え方もあるでしょうが、私はむしろ「だからこそ、予定を考えることが必要だ」という考え方を支持します。
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「予想外のこと」「予定外のこと」は、ある時点から見ての未知の出来事です。つまり、計画を立てようが立てまいが、その時点の自分にはわからなかったことが起こるということです。
そうしたものが次々と発生するならば、私たちは場当たり的に対応していくしかありません。一つひとつの活動の意味を吟味せず、ただ「なんとなく」でやることを選んでしまうのです。
はたして、それでよいのでしょうか。
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予定や計画を立てることの弊害は、そうしたものに固執する態度から生まれます。逆に、予定や計画をベースにしながら、「予想外のこと」を合わせて考慮できるなら、予定や計画はきわめて強力なツールに変身します。理想と現実の潮目となるのです。
基本的に、未来についての計画は、多かれ少なかれ「理想」を含んでいます。たとえ昨日とほとんど同じ一日が繰り返されるだろうという「計画」であっても、それはやっぱり理想なのです。なぜなら大きな地震や感染力の強いウィルスによって「同じ一日」が繰り返せなくなる可能性はいつでもあるからです。
「昨日と同じ一日」は、帰納的にかなり高い実現可能性の高い「理想」であって、理想には違いないのです。現実は、それが起きたときにしか確定しえません。未来はいつでも未知であり、それに言及するものは「こうであったらいい」という理想を含んでいます。
その意味で、私たちが未来に思いを馳せるとき、そこには理想があります。「理想」と呼べるほどきらびやかなものではないかもしれませんが、やっぱりそれは理想なのです。
しかし、現実はそのような理想とは無関係に私たちのもとに訪れます。ときに、そうした現実が私たちの理想を押しつぶしてしまうこともあるでしょうし、新しい理想を上書きすることもあるでしょう。どちらにせよそれは「私」の思惑の外側にあります。
この「私の外側にあるもの」と「私の内側にあるもの」とを調和させ、新しい何かを生み出せるようにしていくこと──かなり大げさに響くでしょうが、デイリータスクリストとは、そうした目的を持ったツールです。
もっと具体的に言えば、リストを作り、入れ替え、組み換え、新しいリストへと転じていくこと。閉じて、動かすこと。それがリストの役割です。
そしてこの話は、文章執筆において、「アウトライン通りに書けないからこそ、アウトライナーが必要ということ」という話につながってきます。
(つづく)
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