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ゲームセンターは私にとってどのような場所であったか

Border Break(ボーダーブレイク)が終わってしまった。2019年9月のことだ。2010年にリリースされた頃から、毎週のようにゲームセンターでプレイしていた。最終ランクはEX3。10年間ずっとプレイしていたことを考えれば、冴えない成績ではあろう。それでも、楽しくプレイができた。

生涯を振り返っても、10年間プレイし続けたゲームはほとんど見当たらない。オンラインRPGをやっている人ならばそれくらいの年月など軽いものであろうが、私はその手のゲームから早々に距離をおいてしまった。ハマりすぎるのが怖かったからだ。自宅で仕事ができる人間にとってパソコンゲームほど、やっかないなトラップはない。その点、アーケードゲームは安心である。ゲームセンターにいかない限りプレイはできない。徹夜でゲームなんて不可能なのだ。

結局、10年を続けているようなゲームは、──麻雀を除けば──ほとんど見当たらない。それくらい自分にとっては存在感の大きなゲームだった。それが失われてしまうことの悲しみは強い。

そもそも、ここまでの流れも長いものだった。

1998年に稼働が始まった電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム(以下オラタン)から始まるさまざまなバーチャロンシリーズ、ハーフライフ2サバイバー、そしてボーダーブレイク。最初はロボットVSロボットの対戦ゲームだったものが、徐々にカスタマイズ性が生まれ、格闘ゲームのように真正面からガチンコでぶつかるよりも、戦場を使って戦略的に戦うゲームへとシフトしていった。それはちょっと僕が大人になったことも関係しているかもしれない。

オラタンをプレイしていたのは高校生から大学生の頃である。その頃からずっとゲームセンターに通っていた。私にとっての遊び場であり、社交場でもあった。いつもの友人たちと、そしてゲームセンターでしか会わないプレイヤーたちとコミュニケーションが交わされた。自前の社交性に難がある私にしては珍しいことだ。共通の話題があるというのは、それくらい大切な要素なのだろう。

そうしたことも、もう終わってしまった。そう、今ではアーケードで遊ぶゲームがないのだ。そして、遊ぶゲームがないゲームセンターに足を運ぶ理由もない。

そもそも、単にボーダーブレイクをやりたいだけならば、PS4にゲームがある。オンラインで対戦できるので、形式的にはほとんど同じなのだ。でも、決定的な違いは見逃せない。それがゲームセンターにあるのかどうか、という点だ。

「ゲームセンターにゲームをプレイしに行く」

それが私にとって特別な行為だったと気がついたのは、当然のようにそれが失われてからのことだった。

最近アニメの第二期が始まった『ハイスコアガール』という作品がある。今30代後半から40代前半の人間(特に男性)ならぶっささるコンテンツだろう。もちろん私もぶっささった。

ストリートファイターⅡやバーチャファイターが稼働していた頃のゲームセンターは特別な場所だった。それは学校を代表とする「体制側」から忌み嫌われる場所であり、実際、社会の怪しい側面とも接続があった。そこはヤンキーたちの集い場であり、ゲーム好きたちが集まる場でもあった。

コインを入れ、まったく知らない人間に対戦を申し込む。ファミリーコンピュータで遊んでいた世代の人間からすれば驚くべき挑戦である。現在はむしろ、対戦と言えば見ず知らずの人間と、(ネット越しに)行うものという認識が一般化しているかもしれない。しかし、昔は違った。そこにはたしかにスリリングな緊張感があったのだ。

実際、自分が負けるとゲームの筐体をドンっと殴るような輩(やから)もいた。それが物理的距離1mくらいに存在しているのである。これはちょっと怖い。

逆に対戦後に話しかけられて仲良くなることもあった。別の中学の生徒だけではなく、今から考えれば大学生くらいだがそのときはもっとはるかに大人に見えた人たちもいた。そういうつながりで、ゲームの情報が交換されたりもした。

そう。昔はインターネットがなかったのである。ゲームの情報は、「現場」で集めるか、あるいは月一程度で発売されるアーケード攻略雑誌を読むしかなかった。情報源が少なかったので、貪るように雑誌を読んだように思う。隠しコマンドを見つけるために、延々と練習した覚えもある。はるか昔の記憶だ。

NEOGIO(ネオジオ)が発売されたときは狂喜乱舞したし、手持ちの資金(ようするにお年玉の蓄積である)をすべてつぎ込んで本体といくつかのカートリッジも買った。家でスティックを使いながら、餓狼伝説SPECIALがプレイできるのは格別な体験だった。

それでも、ゲーセン通いがなくなることはなかった。むしろ、より熱心に通うようになった。結局、人間とはそういう生き物なのだ。慣れれば好むし、好めば慣れる。その繰り返しだ。

それでも時計の針は止まらない。さまざまなものが変化してしまった。環境しかり、ゲームの流行しかり、僕や友人の生活しかり。ずっと同じではいられない。どれほど好ましかろうとも、同じ場所に居続けることはできない。少しずつ、少しずつ、かつての熱狂は失われていった。それはどうしようもないことなのかもしれない。

ボーダーブレイクというゲームは、ほとんど綻びつつあった僕とゲームセンターの関係をつなぎ止める最後一本の糸であった。それが切れたことで、僕の中から何かが失われてしまった。それはかつて大切だったものであり、時間が経った今ではそれが大切なのかどうかわからないくらいに馴染んでしまったものでもある。

今でもゲームセンターには楽しいゲームがいっぱいある。だが、ここから10年プレイし続けるようなゲームは存在しないし、これから出てくることも期待できない。マーケット自体が大きく動いてしまっている。それはもうひっくり返すことが不可能なくらいに定着した事実である。

とは言え、僕たちがゲームを失うことはない。ゲームは人類にとってかけがえのない存在である。

でも、ゲームセンターは違う。あるいはそこにある空気とそこで養われる(あえて言えば)文化は違う。それは一度失われてしまえば二度と取り戻せないものである。

もちろん別の場所で、別の芽が生まれていることだろう。でも、それに触れるには、僕はもう歳を取りすぎてしまった。コミットする対象が増えすぎてしまった。

だから今の僕はそれを懐かしむだけに留めている。それ以上のことを求めるのは、誰にとっても不幸な出来事にしかならない(資本主義は除いておこう)。なにせ、今の僕には、今の僕のやるべきことがあるのだから。

ゲームセンターは私にとってどのような場所であったか?

それは自分の家とはまた別の意味でのHomeであった。それは変えるべき場所であり、出ていくための場所でもある。

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