個性的なタスク管理に是と言う
「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門 - 西尾泰和のScrapbox
僕は[エンジニアの知的生産術]で「[知的生産術は自分で作らねばならない]」と説明したのと近い
今回はこの話について。
書き手と書き方の多様さ
物書きになって驚いたのが、本の書き方は人それぞれ違う、ということです。いま、すげー当たり前の話を書いているようですけども、これが結構衝撃なんです。
たとえば、プロット作る派と作らない派がいる、みたいな話だったらわかりますよね。僕は小説はノープロット派、実用書は目次しっかり派ですが、人によってはそれとは違うスタイルもあるでしょう。
で、そういう大きな進め方が結構違うわけですが、それだけでなくて、シェイク派(トップダウンとボトムアップを行ったり来たりして目次案すらも作りかえてしまうやり方)であっても、細かい部分で違うんです。シェイクに入る前の準備の仕方も違うし、シェイク期間が始まっても違う。文章の直し方も、これでよしと判断するジャッジメントも違っている。それくらいの差異があるんです。
結果、この世界に存在する本の執筆者は、一人ひとり違った本の書き方をしている、って言える状況だと思います。ちょっと大げさですけどね。でも、真実の一側面ではあるでしょう。
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おそらくですが、それぞれの書き手は、書き方の研究みたいなのって結構しているんと思うんです。少なくとも僕はよくやっています。単純に「方法論」という概念に興味があるからですが、それはそれとして書き方をバージョンアップさせたい気持ちもやっぱりあります。
で、いろいろ調べてはためしにそのやり方を取り入れてみるってことがあるわけですけども、やっぱり無理なものは無理、というか合わないものはどうしても馴染みません。すると、結局は普段の自分のやり方に帰ってきます。
ほんとうにときどき、ためしにやったやり方でうまくいくものがあれば、それを「自分のやり方」として取り込むことがあって、それはそれでバージョンアップという感じなんですが、まったくぜんぜん異なる方法にいきなりチャレンジして、それでうまくいくかというと、これは結構無理っぽいんですよね。
自分の考えの進め方やアイデアを形にする手つきには傾向があって、それとマッチする方法(手法)があり、そうでない方法がある。そういう感じです。
でもって、その手法の傾向は、作品の質や方向構成にも当然関わっていて、いろいろな書き手と方法があるから、この世界にはいろいろな本が生まれている、ってことが言えるんじゃないでしょうか。それはやっぱり素晴らしいことですよね。
だから書き手は、自分が他の人と違うやり方で書いていてもあんまり気にしない気がします。少なくとも、揃っている意味はあまりありません。
個性とタスク管理
ここでタスク管理に視点を切り替えます。
たとえば、GTDとかタスクシュートとかポモドーロテクニックとかがあるわけですが、それぞれの実践者はそれぞれに成果を挙げて、日常を送っているわけです。どれか一つの方法論の実践者だけが「成功者」で、それ以外は皆「失敗者」なんてことはありません。結局は、合う合わないということなのでしょう。
GTDの提案者とポモドーロテクニックの提案者では、いろいろなものが異なっている。だから、合う方法も異なる。別に難しい話ではありません。
そして、その二人が異なっているならば、その本を読むあなたも異なっている、というのは別に飛び抜けた推論ではありません。ごく自明の事実です(ですよね)。
もちろん、近い・遠いの距離はあります。ある人に近く(≒似ている)、別の人には遠い(≒似ていない)ということはあるでしょう。その中で、取り入れられるノウハウがあったりなかったりすることは当然出てきます。
でも、究極的に言えば、すべての人が異なる個性を持っているならば、すべての実践されるノウハウは「カスタマイズされている」と言えます。そのカスタマイズが小さい場合もあれば、ほとんど換骨奪胎と呼べる場合もあるでしょうが、それは程度の問題でしなく、結局はカスタマイズされているのです。
そのことにYesと言おう。
というのが、#やるおわ の一つのテーマです。
最近の算数では、どうやら掛け算の順番を間違えるとバツされるみたいなので、「方法は揃ってなければならない」感覚が強まりつつあるあるかと思いますが(これはむしろ多様化の進行の反動でしょう)、タスク管理ではそんなことはありません。他の人がどうやっているのか、というのはあくまで参考以上のなにものでもなく、自分がどうやっているか、どう感じるか、どうなっているのか、ということが──ことだけが大切です。
本にも書きましたが、テイラー的な考え方があって、それは均一的な生産を行う工場では非常に効果を発揮したのですが、それをそのまま人間を、あるいは人生を捉える価値観として採用するのは、ちょっと行きすぎです。
だからカスタマイズを肯定しましょう。「自分のやり方」を作ることを是としましょう。少なくとも、他の人と揃えることを気にしても仕方がありません。
もしこれが、ある流派を学ぶ行為であるならば、その「お作法」に従うことは大切でしょう。そこには確実な伝統があって、その「お作法」にも一定の意味があります。でも、自分の流派を作るならいつかはそこから抜け出なければなりませんし、そもそも人生を生きることには流派なんてないのです。
効率化などまったくせず、ただコミットメントを粛々と減らすことで「やること」を無くしていくこともできますし、何ら成果を求めず享楽のまま生きるのだって、生き方の一つです。「多くを生産しなければ、生きた価値がない」なんて真理でもなんでもなく、ただの価値観です。何かを制御したい、観測したい、整えたいというのも、結局は同じことです。価値観の選択でしかありません。
いったん、そうした選択の自由を確認した後で、「いや、自分はこういうことをしたいんだ」というのがあるならば、タスク管理は役に立ちます。そういう話をしていきたいのです。
この記事は、R-styleに掲載した記事のクロスポストです。
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