人類はノートを使ってきた──『すべてはノートからはじまる』 #03
なぜ、ノートを書くことが必要なのか。情報が多すぎる現代において、私たちはノート(記録)とどのように付き合えばよいのか。身近でありながらも、現代的な困難を内包するその問題を解き明かす『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』。その一部を公開します。
第1章 ノートと僕たち 人類を生みだしたテクノロジー(02)
人類はノートと共にあり
人類はノートと共に発展してきました。もちろん、現代の私たちがイメージする、冊子としてのノート(ノートブック)だけではありません。石に刻む、木や竹に彫る、パピルスや羊皮紙にインクで書くなど、さまざまな「書くもの」が私たちの文化・文明を支えてきたのです。
ノート(note)は「記録する」や「記録」を意味する言葉であり、広く捉えれば、ナスカの地上絵もラスコーの洞窟画も一種の「ノート」と言えるでしょう。もちろん、手紙や写本、巻き物(スクロール)やグーテンベルク以降に当たり前となった本(コデックス)も広義のノートです。ここまでくれば想像がつくでしょうが、パソコンやスマートフォン、タブレットだってノートと呼べます。
おのおのの時代に新しく登場したノートというテクノロジー(マクルーハンならメディアと呼ぶもの)が、私たちと情報のつき合い方を拡大させてきました。その点は、人類がノートを使いはじめて以降急激に文化・文明を発展させてきたことからも、またそうしたノートの技術(記録技術・情報技術)が高まるほどより変化の速度が速く、また大きいものになっていることからもうかがえます。むしろ、ノートというテクノロジーが一切なければ、人類がここまで発展することはなかったでしょう。
あるいは、こんな風に問いを立ててみても面白いかもしれません。私たちはなぜ、自分の脳が適応できる以上の文明や文化を築くことができてしまったのか、と。
人類とテクノロジー
脳は、複雑な器官であり、だからこそ合理的とは言えない部分があります。部分的な愚かしさを持っていると言ってもよいでしょう。その(部分的に)愚かしい人間が、現代社会のように高度に発達した文明を持っているのはなぜでしょうか。限られた天才のおかげだけでないことは明らかです。なぜなら、どれだけ優れた人間でも、百年足らずでこの世から消えてしまうからです。そんな儚い存在が、これほどの文明を導けるとは思えません。
では、なぜか。さまざまな見解があります。『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリは、人類の特徴を虚構に見ました。そこにないものを信じられる力、それがピラミッドのような巨大事業を可能にしたというのです。たしかに言葉を操れる私たちは、現にそこにあるものだけではなく、「そうでないもの」「そうであるかもしれないもの」に言及することができます。これは他の生物にはない特徴でしょう。
また、『知ってるつもり 無知の科学』では、他者の知識の利用にその特徴を見ています。あたかも自分の知識であるかのように、他の人の知識を使える力を私たちは持つと言うのです。たしかに、ネットワークがつながっているパソコンのファイルのように、私たちは他人の知識をあたかも自分のものであるかのように使えます。賢い生物として有名なタコは、他のタコの真似をするようですが、人間は実物を見たことがない知識まで手を伸ばすことができます。そんなことができるのは人間だけでしょう。
どちらも説得的な意見ではありますが、本書では人間の特徴をノートに見ます。ノートという道具を使うことに、人類の人類たる所以を見立てるのです。
そもそも虚構にせよ他者の知識の利用にせよ、記録の存在があることで補強されるものでしょう。神は伝承としてだけでなく、刻まれる物語としても残り、後世に引き継がれていきます。新約聖書は、そのようにして引き継がれてきた物語の一つです。
他人の知識を利用するためにも、本人からその知識を直接聞くか、その知識が書き留められたものを読まなければなりません。もしノートがなく、口頭しか情報伝達手段がないならば、私は紀元前に生きたアリストテレスの思想を引き継ぐことなど望むべくもないでしょう。しかし、記録がある社会では、千円札を持って書店に行けば、紀元前の思想に触れることができます。これは、他の生物の情報伝達と比較したときに、恐ろしく強いアドバンテージを持っていると言えます。
私たちは情報を記録し、広く伝えることで、文化・文明を発展させてきました。つまり、ノート(記録)の力によって、人類は前進してきたのです。むしろ人類が「人類」を認識できているのは、自分たちの歩みと広がりを俯瞰できるだけの情報系を構築できたからでしょう。人類はノートによって成立したのです。
皮肉な社会の状況
ここまでの話を整理しましょう。
•人間の脳は二つの領域による複雑な作用を持っている
•しかしその機能は完全無欠ではなく、ノート(記録)の補佐によって文明は発達した
•結果、今では脳だけでは扱えない量の情報が生み出されている
皮肉なものです。脳の弱さを補うためにノートという記録装置(テクノロジー)が使われ、そのテクノロジーが社会の発展を促し、その帰結としてノートがなければ立ち行かない社会にたどり着いたのです。しかも、昨今では脳の弱点、つまり直感的な判断が陥りがちな誤謬についてもさまざまに研究されており(行動経済学などの分野がそれです)、その弱点を積極的についてくる勢力もあります。物を販売するためのマーケティング、ソーシャルゲームなどの人を「中毒」にさせるデザイン、そして政治的な考え方や価値観を一方向に強めるプロパガンダなど、その領域は広く、また深いものがあります。どうでもいいかと放置しておくのは危険でしょう。
そこでノートの出番です。人類が現代社会を築き上げてきた力を、今度は私たち自身のために使うのです。
目次
はじめに ノートをめぐる冒険
第一章 ノートと僕たち 人類を生みだしたテクノロジー
第二章 はじめるために書く 意志と決断のノート
第三章 進めるために書く 管理のノート
第四章 考えるために書く 思考のノート
第五章 読むために書く 読書のノート
第六章 伝えるために書く 共有のノート
第七章 未来のために書く ビジョンのノート
補 章 今日からノートをはじめるためのアドバイス
おわりに 人生をノートと共に