二種類の専用カード法/ブログを更新しなかった日/修正を受け入れる
Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2019/10/28 第472号
はじめに
はじめましての方、はじめまして。 毎度おなじみの方、ありがとうございます。
いよいよ10月も終わろうとしています。ということは、今年も終わりが近づいているということですね。
皆様の進捗・体調・仕事・環境エトセトラはいかがでしょうか。私の方は、ぼちぼち復調しつつあります。完全にはほど遠いですが、それでも「めっちゃ頑張って文章を書く」という状況から「そこそこの感じで文章を書く」レベルまでは復活しました。
このままじわじわと回復を続けていこうかと思います。
というわけで、今週はTMG(ちょこっと・短い・号)でお送りします。
〜〜〜利便と公益性〜〜〜
世の中には、「ほっといた方が得なこと」がたしかにあります。ほっとく、つまりあえて触らず、放置しておくということですね。厄介事に巻き込まれるのが目に見えている案件なら、力寄らない方が吉でしょう。
たとえば、怪しいビジネスをやっている人にいちいち文句を言ってもはじまりません。そんな文句が功を奏すとは思えませんし、敵意を買ってしまうことすらありえます。危うきには近寄らない。立派な処世術でしょう。
しかし、もし社会を構成するすべての人がそのような価値観に従って行動したら、はたしてどうなるでしょうか。誰も、自分からマイナスを(あるいはその可能性を)背負い込むような行動を起こさないとしたら?
それはそれで、ギスギスした社会が生まれそうな気もします。あるいは、そうなりつつあるのかもしれませんが。
〜〜〜目を使う〜〜〜
あるとき思いました。仕事で目を酷使する人は、目を酷使しないストレス解消法を持っておくのがよいのではないか、と。
というのも、最近目の疲れがひどくて、なかなか長時間仕事ができません。でもって、仕事をやめて何をするのかと言えば、本を読むとか動画を見るとかで、やっぱり目を使うわけです。ぜんぜん休む暇がないよ、と目が悲鳴を上げそうです。
そういうときは、体を動かすようなことや、あるいは耳に頼ったリラックス法・ストレス解消法が有効でしょう。
最近私は、昔懐かしい曲を聴き漁ったり、ポッドキャストをいろいろ追いかけたりしています。それはそれで、読書とは違う発見があってなかなか面白いです。
〜〜〜ありがち〜〜〜
こんなニュースを見ました。
◇経団連会長「札幌いいかも」 マラソン変更案に理解示す:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASMBP5R2ZMBPULFA03Z.html
なんというか、現代の日本の「仕組み」を象徴するような出来事です。最初に無理難題な「目標」が設定されて、そのつじつまを合わせるように、どんどん場当たり的な(あるいは泥沼的な)施策や対応が打ち出され、結果全体として奇妙なほど複雑な状況ができあがってしまう。本当に、よく見かける風景です。
ちなみに同じことは、軽減税率のときにも感じました。つじつま合わせで苦労するのはたいてい現場なので、本当にやめていただきたいところです。
〜〜〜FastEver3 発売〜〜〜
愛用している「FastEver」のバージョン3が発売となりました。バージョン2のアップデートではなく、新しいアプリとしての発売です。価格は730円。
この「730円」は、他のアプリからするとちょっとお高い感じがしますが、たとえば「サブスクリプション価格」と比較すればそうたいした金額ではないでしょう。
でもって、自分がこのアプリをどれだけ使い込んでいるか(≒依存しているか)を考えれば、これはもうよろこんで開発者さんにお金を支払いたいところです。
自分自身のことも含めてですが、クリエイトしている人は霞を食べて生きているわけではありません。単発の活動ならともかく、継続的活動にはやっぱりお金が必要です。
自分でも引きたいのかどうかわからないガチャを回すくらいなら、こういうアプリにドーンとお金を支払いたいと常々考えております。
〜〜〜Ulyssesで読む〜〜〜
とある縁があり、とある方の、とある本の初稿原稿を読ませていただいております(来週くらいには発表できるかな)。
で、その際.docxファイルで原稿を頂いたのですが、私はあまりPagesと仲良くないので、一瞬PDFに変換して読もうかと考えていたら、そのまま.docxファイルをUlyssesにドラッグできることに気がつきました。ドラッグすると、見出しなどが指定された文章に見事に変換されます。偉い。
縦書きが横書きになってしまうデメリットはありますが、iPhoneでざざっと読むにはUlyssesはなかなか良い選択です。もちろん、そのままMacで読むこともできます。
で、スルスルとUlyssesで初稿原稿を読んでいたときのことです。ふと、「内容と少し関係する、でも原稿へのコメントとは直接関係ないこと」が頭に浮かびました。読書ではよくあることです。
で、私はそのままUlyssesでグループを移動し、自分のメモ用のシートに思いついたことを書きつけました。その動作を行ったときに、一番強く感じたのが「smooth」ということです。「滑らか」という日本語でもいいかもしれません。
アプリを切り替える動作をせず、同じアプリ上で「読む」から「書く」へと移動できること。これは、心理的なコンテキストをたいして動かさないので、認知資源の浪費が避けられます。波に喩えれば、非常に小さな波しか起こらないのです。
たぶん、これがデジタルツールの一つの理想の形なのでしょう。他人の文章を読むこと、そこに何か書き込むこと、それとまったく違うことも書き込めること、自分の文章を書けること。そして、それらがスムーズに行き来できること。
現実のデジタルツールは、あまりにそれぞれのアクションがアプリ別になっているので、どうしてもギクシャクした感じを受けます。もちろん、著作権などさまざまな問題がからんでいるのでしょうが、そうはいっても歯がゆさは消えません。
「テキスト」を扱うツールは、内外問わず扱えるのが一番の環境だと感じます。もちろん、実際に使ってみたら「ちょっと違うかな……」と思うことは十分ありえるわけですが。
〜〜〜見つけた本〜〜〜
今週見つけた本を三冊紹介します。
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別の世(アナザワールド)への絶えざる郷愁と渇望。 現実からの逃避か、神に代わっての世界の創造か――不朽の名作『ナルニア国物語』『指輪物語』『ゲド戦記』を渡辺京二が読み解く。
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植民地時代の魔女狩り、インディアン、黒人奴隷の記録から古典文学、大衆小説、米ソ冷戦以後の批評理論まで、アメリカにおける歴史や文学の〈語り方〉は、独立革命以前につくられた一群の〈体験記〉の伝統に統御されている―――
フーコー、デリダー、ド・マン、ピーズらの方法論を再検討し、従来の文学史、文化史を覆す。
最新の論考を増補した、いまこそ読まれるべきアメリカ研究の名著、その決定版。
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ミスに悩む企業の多くで、マニュアルに深刻な欠陥を抱えているが、気づかれずに放置されている例が多い。駄目なマニュアルを使っているから、仕事の効率が落ち、ミスや事故が多発するのだ。優秀な人材を集めても職場がうまく回らないなら、マニュアルを疑ってみるべきである。分かりやすいマニュアルを生み出すには、作文だけでなく、作業の全体的かつ総合的な改善が必要だ。
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〜〜〜Q〜〜〜
さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。
Q. 「深い考え」の「深さ」は具体的に何を意味しているでしょうか?
では、メルマガ本編をスタートしましょう。
今週も「考える」コンテンツをお楽しみくださいませ。
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2019/10/28 第472号の目次
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○「二種類の専用カード法」 #メモを育てる
○「ブログを更新しなかった日」 #やがて悲しきインターネット
○「修正を受け入れる」 #Thinkclearlyを読む
※質問、ツッコミ、要望、etc.お待ちしております。
○「二種類の専用カード法」 #メモを育てる
これまで情報整理・管理法としてのカード法をいくつか紹介してきましたが、今回はそこで拾い切れなかった二つの技法を紹介してみます。一つは渡部昇一のカード法、もう一つは立花隆のカード法です。
どちらも、全体的な情報整理術ではなく、ある目的に特化されたカードの使い方です。
■渡部昇一のカード法
知的生産系新書御三家の一つ、渡部昇一の『知的生活の方法』にも情報カードが登場するのですが、梅棹のカード法と違っていて、あらゆることをカードで済まそうという態度ではありません。大きなアウトプット、もっと言えば論文を書くためのカード使用です。
渡部はそのカード法について、ドイツへの留学時代で学んだと述べています。
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小さな静かな部屋とカードがあれば、ひとかどの仕事ができることを、私はドイツ留学時代に指導教授シュナイダー先生に教えていただいた。
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まず面白いのがこの点です。渡部は論文の執筆にあたっていたわけですが、そのための方法論を日本では学んでいなかったのです。あるいは学んでいたとしても実際的に役立つものではなかったのです。その代わり、渡部は「師匠と弟子」のような情報交流の中からその術(すべ)を得ています。広く一般的に伝達される「技術」ではなく、徒弟の中で伝承される「技能」として、論文執筆の方法論が受け継がれているのです。
この点は、技術の普及という点から見れば批判的に論じることもできるでしょうし、逆に「その人の性格や研究テーマによってアドバイスを変えられる」という点で好評価を与えることもできるでしょう。
が、今回はカードの使い方がテーマなのでこの話に深入りするのはやめておきます(ご意見あれば、ぜひお願いします)。
■専門知識の集め方
シュナイダー先生はまず、一枚の紙切れを渡部に手渡しました。そこには、出発点として読むべき一冊の本と、数点の論文が列挙されていたそうです。まさに教師の仕事とも言える有限化装置です。先生曰く、それを読めば次に読む本がわかるとのこと。そのようにして芋づる式に文献を読み漁っていくのは、この手の研究では日常茶飯事でしょう。
渡部は先生の指示通りに文献を漁っていたのですが、なかなか論文の核となるアイデアが見つからず、焦点が定まらない状態が続いていました。そこで、さらなるアドバイスとして先生から提示されたのがカードを使うことです。
・まずカードボックスを買う
・そこにカードを入れていく
・カードには研究対象の項目を書き込む
・カードには自分が気がついたことなども書き込む
シュナイダー先生は、こう述べました。
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「そうしてカードを作って較べながら考えていれば、偉い学者もその著書でいいかげんなことを言っているのに気がつくだろう。そこが論文の出発点になる」
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簡潔でいて、しかし要点をついたアドバイスです。実際、渡部はこの方法で論文を書き上げ、学位を受けたようです。そして、以降は同じカードボックスを使い、本や論文執筆にあたっていたと述べています。
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シュナイダー先生にすすめられた「カード箱」は、いまでも私の研究の機動部隊(ルビ:タスクフォース)のような役目をしてくれている。眼前にあるテーマを、プロの研究者としてやる場合には、これに頼るほかない。
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渡部は普通の読書、つまり「プロの研究者」としての読書行為以外では、特にカードを作っていません。忘れたら忘れたでOK、記憶に残らないようなものは切り捨てて大丈夫だという態度です。その代わり、「プロの研究者」としての仕事はそんないい加減なものではいけない。だから記憶に頼らず、カードを使うというわけです。
この点は、板坂が自分の専門外の知識でもカードに書き残していたことと非常に対比的です。そして、あくまで私の印象に過ぎませんが、その違いは渡部が書く文章と板坂が書く文章の質的違い(あるいは性格的違い)として現れているように感じます。板坂の書く文章の方が、渡部の書く文章に比べてずっと柔らかく、身近な感じがするのです。たぶんそれは、「言いたいこと」の間にさまざまな身近な話題が緩衝材的に入っており、硬い感じを受けないからでしょう。
もちろん、ここに是非はありません。それぞれは文章の個性です。それに、文章の書き方が先にあり、カードの使い方がその後についているのか、それともその逆なのか(あるは相互的なのか)はまったくわかりません。個人の好みとしてどちらが合うのか、という話だと受け取っておくのがよいのでしょう。
ちなみに、役目を終えた機動部隊のカードたちはカードボックスから出され、より大きなカードキャビネットに保存されるようです。Archiveですね。そこに入ったカードは、いつでも参照できるものの、後々利用されることは存外に少なかったと渡部は述べています。
■立花隆のカード法
もう一つちょっとしたカード法を紹介します。立花隆のカード法です。
あまり知られていませんが、1984年に出版された『「知」のソフトウェア』でもカードの使い方が紹介されています。しかし、梅棹や渡部のような京大型カードを使った論文執筆法ではなく、読んだ雑誌の目録を作るためのカード法です。
まず立花は、読んで保存しておく価値があると判断した雑誌記事は、週刊誌については記事のページを破り、月刊誌についてはページの隅を折るかしおりを挟んで(雑誌をそのまま)保存しておくようです。
しかし、このままではアクセスが悪いので(≒見つけにくいので)、カードを使ってインデックスを作るというわけです。
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カードは、図書館の図書目録の小型のものを使用している。記事のタイトル、著者名、雑誌名、発行年月日を記しておくだけである。
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非常に簡単な、最低限度のメモです。
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昔は、記事の内容に関する心覚えをカードに簡単にメモしていたが、それをするための労力はたいへん大きいのに、そのメモを活用することがほとんどゼロに等しかったので、以後やめにした。
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この辺は、実際的な経験が活きています。カードに記載した最低限度の項目だけで、だいたいの内容まで思い出せるようです。
※ただし、これは個人の記憶力が強く影響しているかもしれません。人によっては、心覚えのメモがないとさっぱりということは十分ありえます。
ちなみに、このカードについては、一つの大きな箱にまとめるのではなく、テーマ別で分類するようです。「分類は自分勝手に、自分に都合のよいようにするのが一番よい」。これはまったく同意見です。
さて、『「知」のソフトウェア』でカードが(肯定的に)登場するのはこの部分だけです。そもそも立花は、ほとんど「メモ」の話をしていません。いちいち読書カードを取ることには、否定的ですらあります。この辺り、一体どうなっているのか実に気になるところです。
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以上、小規模なカードの使い方を二種類みてきました。連載全体でも、かなりの範囲をカバーできたように思います。
しかし、現代に近づくにつれ、情報カードを使った情報整理・管理法に言及している書籍は急激に減少していきます。というか、ほぼ皆無と言って良いでしょう。デジタルメディアが普及したからということもあるでしょうが、それ以外の理由も何かあるのかもしれません。
とりあえず、次回はこれまで紹介してきたカード法を振り返り、その概要をまとめてみましょう。
(つづく)
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