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内定したけど、迷ってる学生にはぜひ見てほしい動画!【緑のふるさと協力隊OBインタビュー⑤】川上和浩さん【16期・長野県泰阜村派遣】

緑のふるさと協力隊の同期、16期隊員、川上和浩くんのお話を伺いました。

川上くんは、現在、茨城県つくば市で新規就農して8年目。

立派に農家として、独り立ちしています。

「川上農園」

川上農園オンライン販売


『現代農業』にも記事を寄稿したり、掲載された記事が、こちらの本になっていたりするそうです。

『農家が教える 緑肥で土を育てる』

 そんな川上くんが、「緑のふるさと協力隊」の門をたたいたのは、大学4年生の時。

「就職できなかったのかな!?」

と思った方、残念!

川上くんは、サイゼリヤに内定していながら、

「田舎に対する憧れ」

に蓋をすることができず。

モヤモヤを抱えた状態で、12 月の説明会に参加。

最後、飛び込みで、内定を辞退して、
「緑のふるさと協力隊」の16期隊員に滑り込んだそうです。

その決断力、行動力がすごい! 

「何が決め手になったの?」

と聞いてみたら、

「東京出身、東京在住で、ずっと東京が合わないと思っていて、

 このタイミングで田舎に行かなかったら、

 このまま地方と接する機会がないのではないかと思った」

とのこと。 

実は、川上くん、高校進学時にも、エイヤッと飛び込んだ経験があったそうです。

高校進学に、普通科の高校に行くことに面白さを感じられず、植物を育てることが好きだったこともあって、農業高校に進学を決めました。

そのこともあって、

「何か迷ったら、『行った後悔・やった後悔』と『行かなかった後悔・やらなかった後悔』を天秤にかけて検討するようにしている」

とのこと。

素敵ですね。


人生では、「やったことは後で笑い話になるだけ」 「やらなかったことは、一生後悔する」 ということもわかっています。

それを地で行く川上くんの行動力の根っこは、高校時代の体験から来ているんだなぁと感じました。

<実際に、派遣されて、どんな1年を過ごしましたか?>

長野県泰阜村は、僕が派遣された新潟県粟島浦村同様、初めての隊員受け入れ。

川上くんは、

「自分たちが協力隊だと思われる。

 『来てもらってよかった』と思ってもらえるように過ごそう」

と決意して

「村の誰よりも泰阜村にいて、隅から隅まで足を運んで、

 『協力隊』のことを知ってもらうことと、

 印象をよくすることに時間を割いた」

そうです。

活動としては、2つの柱。

①限界集落に住むお年寄りの話を伺って、困りごと解決のお手伝いをする

②農業支援、農家さんのお手伝いをする

印象に残っている活動としては、限界集落で、お年寄りのお話を聴く体験。

最初は警戒をしていて、心を開いてくれなかった方が、

頻繁に足を運ぶことで、いつしか、楽しみに待ってくれるようになったこと。

「こうして若い人とお話をする機会が得られて有難い」

と何人もの方々から言われるようになっていったそうです。

これは嬉しいですよね!

山奥の、誰もいないような場所と覚悟を決めて協力隊に参加した川上くんでしたが、実際に、住んでみると、「住めば都」という通り、非常に住みやすい場所だったそうです。

(思っていたほど田舎ではないし、だいぶ都市の暮らしができる環境だったようです)

拍子抜けしてしまうところもあったようですが、それでも、

「地域のために活動しよう」 と動き回った結果、

「田舎ほど、コミュニケーション力が問われる場所はない」

という体感があって、

当初はコミュニケーションに苦手意識があった川上くんでしたが、

コミュニケーションに苦手意識がなくなったそうです。

また、東京にいた頃には、休みの日は、家にこもっていて当たり前、外に出ない日が当たり前だったのに、

村での暮らしは、毎日誰かのところを訪ねていって、話をしたり、

村で何かイベントがあったら手伝いに行ったり、家にはいない日々。

結果、

「インドア派だった自分がアウトドア派になっていた」

と言っていました。

ものすごい変化が起きたってことですね!

そんな生活をしていたからこそ、月5万円の生活費で、貯金ができて、

村長からお褒めのお言葉を頂いたとのこと。

地域に愛された1年を過ごした証拠ですね!

内向型の人が、外向型になると、「両向型」になり、それこそが最強、という内容の本を、昨年末に読みましたが、

まさに、そんな成長の1年を川上くんが過ごしたんだなぁということを感じました。

<その後、どんなふうに過ごしてきましたか?>

「緑のふるさと協力隊」の任期を終えてからは、
2年間、「地域おこし協力隊」として、長野県泰阜村で活動を続けました。

当時のミッションは、特産品開発。

標高差を生かしたほうれん草栽培。

2年間チャレンジした結果、残念ながら、うまく形にはできなかったそうですが、

そこで運命の出会いがありました。

泰阜村の産直組合に技術顧問として来られていた方が、

実は、その後、つくばで就職することになる農業生産法人の関係者の方。

話しをしていて、

「よかったら一緒にやってみないか?」

と声をかけていただき、次のステージとして、

茨城県つくば市へと舞台を移しました。

泰阜村では、中山間地の農業、限られた土地をいかにうまく使うか、
標高差をいかに活用するかを考える農業でした。

時に、その標高差は、マイナスにもなります。

一方のつくばは、開けた土地で、標高差も少なく、農業に適した場所。

茨城県全体が何を作ってもうまくいくような農業県。

そんな土地で、農業生産法人の社員として、
トップ級の農家さんと間近でお手伝いをする中で、
そういう方々の経験に学ばせていただいたり、
人生経験も含めて勉強をさせてもらって、
独立へと至る足掛かりを築いていきます。

独立への想いとしては、

実際に、生産者の方々と農業のことを話していても、

「ちゃんと話そうと思ったら、自分自身が農業経営をやらないと本質的に対等な立場で話ができないから、農業をやるしかないと思った」

とのこと。

そんな農業に対する熱い想いも胸に、準備に1年かけて、
8年前、独立して新規就農したそうです。

実際に就農してからは、本当にアッという間の8年。

気が付けば、自分が、担い手の相談を受ける立場になっていた、とのこと。

よく、「農家になってよかったことは何ですか?」と聞かれるが、

「9割9分は大変。
 残りの1分が、例えば、
 直売所に野菜を置きに行っているときに、
 たまたま常連さんが買いに来てくれていて、

『いつもおいしい野菜をありがとう』

 などと言われる、その1分の喜び、一瞬の喜びのためにやっている。

 それがあるからやめられない」

と語っていました。

本当に、真実の瞬間はわずかに一瞬。

でも、その喜びの大きさは、計り知れないですね。

そんな川上くんに今後の展望を聞いたところ、面白い答えが!

それは何かと言うと、協力隊の時もそうだったけど、金銭面について。

これは、農家にとっても非常に大事な感覚。

それもあって、今、お金に関する勉強をしているそうです。

先日、FPの2級の資格試験を受けて、おそらく、合格しているだろうとのこと。

「農家だけど、お金の知識も得ながら、自分だけじゃなく、
 同業者の方にも貢献できるように、何かができたら」

とお話されていました。

ステキですよね。

川上くんのお話で思い出したのが、 カメラマンで、MBAを持っていて、中小企業診断士の資格を持っている知り合いの方のこと。

単なるカメラマンではない、飲食店の経営コンサルも含めた、
撮影からの資料作りなどを、その方はされていましたが、

川上くんが、これから、どんな道に進んでいくのか、どんなことがあっても、

「やるか!? どうするか!?」

迷ったら、

「エイヤッ!」と飛び込んでいくんだろうと思っています。

<改めて、「緑のふるさと協力隊」の1年間にはどんな価値がありましたか?>

協力隊というのは、お金と、住居と、活動に必要なものはすべていただける安定できる環境を得ながら、全然自分の知らない世界に飛び込むことができる、非常にいい制度。

もし、今、自分のやっていることや生活に、悶々としている気持ちがあったら、ぜひ、飛び込んでみてほしい。

そんな扉を開ける1年になると思う、とのことでした。

16期隊員として派遣されたのは2009年4月~2010年3月。

それ以来、ネット上でやり取りすることはあっても、話すのは15年ぶり。

そんな川上くんが、本当に、すごく頼もしい青年になっていて、

これからがますます楽しみです。

貴重なお話を、ありがとうございました!


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【「緑のふるさと協力隊」についてはこちら】

https://www.n-gec.org/activities/furusato.html



※note【公式】緑のふるさと協力隊 by NPO法人地球緑化センター※


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