
諸行無常
こんにちは。ラシンの茂木です。
実は、私は高校時代に仏教の教えや精神を大切にする学校に通っていました。サッカーをするために選んだ高校ですが、入学すると、サッカーと同じくらい仏教教育(心の教育)を徹底的に受けました。(校長先生をはじめ、多くのお坊さんの先生がいらっしゃいました。)
徹底した仏教教育のおかげで、般若心経や十句観音経をすべて暗唱できるようになりました。(暗唱と写経ができなければ卒業できません。)坐禅や勤行が頻繁に行われており、警策で幾度となく叩かれた思い出があります。高校時代はとにかく痛いし、長いし、正直しんどかったですが、振り返ると精神的な強さや集中力、そして人生を俯瞰して考える力を学ぶ貴重な時間だったと感じています。
勤行(ごんぎょう)とは、仏教における修行や礼拝の一形態
・お経の朗読:仏教の経典を唱えることで、教えを念じ、身心を浄化します。
・礼拝::仏像や仏壇に対してお参りをし、感謝の気持ちや誓いを表現します。
・瞑想:心を静めて内面に目を向けるといった修行も含まれることがあります。
仏教徒にとって精神的な支えや安らぎを与える役割を果たす時間
警策(けいさく)とは、主に禅宗において使用される道具で、修行中の僧侶や参加者に対して使われる棒や杖の一種。
・注意を喚起する:修行の際、集中力を高めるために僧侶や参禅者の肩を叩くことで、注意を引き、気を引き締めます。
・辛抱や努力を促す:警策は、修行者が怠けずに心を磨くことを助ける役割を持っています。
警策は、厳格な修行の一部として位置づけられていますが、その目的は修行者の成長を促すためのものであり、厳しさから精神の解放を目指すものです。
本題に入ります。私は仏教の教えの中で特に好きな言葉があります。
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」
これは、多くの方がどこかで耳にしたことがあるのではないでしょうか。
「諸行無常」とは、仏教の基本的な教えの一つであり、
すべての物事は変化し、永遠ではないという考え方です。
それは場所であれ、人であれ、物であれ、自分の感情においても同じことが言えます。
例えば、今関わっている人たちも、環境が変われば遠い存在になり、記憶の中の存在に変わると思います。そして、ふとした瞬間に思い出すだけになるかもしれません。それは寂しいことかもしれませんが、これが人生の一部だと感じます。
すべてのものは変わり続けます。今の幸せも、若さも、すべては永遠ではありません。時間と共に老いて朽ちていくものです。今好きだと思うものも、明日には好きではなくなっているかもしれませんし、大好きな人たちが離れてしまうこともあると思います。極端に言えば、明日自分が死ぬかもしれません。
この言葉は、聞く人によっては悲しく感じられるかもしれません。ずっと楽しくいたいし、大切なものや愛する人には変わらずいてほしいし、幸せな時間が永遠に続いてほしいと願うものです。
しかし、人生は諸行無常だと思いながら生きるからこそ、今この瞬間を大事にすることができます。
人生は諸行無常だと思うからこそ、自分にどんな事象が起きても精神を安定させることができます。
仏教は、約2500年前にお釈迦様によって提唱され、成立したと考えられています。人は生きても100年。短い命だからこそ、毎日を大切にし、周りにいる人を大切にしたいと思います。
そして手遅れになる前に、大切な人には「ありがとう」と伝え、後悔のないようにしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。