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「なんとなく」こそ、自分だけの感性かもしれない

なんとなく、気になる。
その大切さを私は師から学びました。
最近、「なんとなく」の力を実感する場面が多々あり、noteに書いてみる事にしました。
胸がざわっとした時、ブルッと興奮する時。
それは「自分だけ」が感じている確かな何かなのかもしれない。

そう思ったのは、先日、ある方とお話をしていた時でした。
その方はとあるプレゼンのテーマを選ぶ必要があり、私はその時の経緯を聞いていました。
テーマは全くもって自由。何でも良かったそうです。でも逆に自由なことで何を選ぶのか迷われたそうです。
その中でふと、「バカバカしいこと」をテーマにしたくなったそうです。

意味がないこと、ばかばかしいことがやりたくなった。
価値あるもの、綺麗なものを見せようとすると、誰かによせて、誰かに評価されるためにやることのような気がした。
ただ内側から溢れ出るものを表現したいと思った。

それはとても腹落ちする言葉でした。
「意味がある」ということは、「誰かにとって」「一般的に」分かりやすい共通の見解ということなのかもしれない、と思いました。

でもバカバカしくて意味ないことは、誰もそれを評価しなくても、いや、評価しないからこそ、自分だけが感じている価値なんだと。

その方は、バカバカしいことを選ぶ時に、なんとなくやってみたいという感覚を大切にされたそうです。

なんとなく。

それは誰にも評価されないかもしれないこと。

そして同時に、心の内側から沸いてくるメッセージであること。

その後、友人とも「なんとなく」について語りました。
彼女も、振り返ってみると、直感で決めた時の方が人生がうまく進んでいるように思うと言っていました。

自分の好きなこと、やってみたいこと。
突き詰めて考えていくと、最終的には説明のつかないところに辿り着くよね、と語り合いました。

説明がつかなくってもいい。
でも、そうしたい、という感覚は意外と明らか。

科学的な話をすると、直感は、大脳基底核という原始的な脳が関与していることが最近明らかになってきているそうです。

大脳基底核の背景説明は、ダニエル・ゴールマンによると

『大脳基底核は、私たちがやることなすことのいっさいを観察し、
そこから決定の規則を引き出す。・・・どんなトピックに関する
ものであれ、私たちの人生の知恵は、大脳基底核にしまわれている。
大脳基底核は、あまりに原始的なので、言語を司る大脳皮質とは
まったくつながっていない。だから、自分が知っていることを
言葉で私たちに伝えられない。
脳の情動中枢や内臓とはよくつながっていて、気持ちという形で
語りかけてくる。これは正しい、これは間違っている、ということを
直感的な感覚として伝える。』

だから、直感は体や腹の底で感じられるものの、
言葉ではなかなか言い表せないかもしれない。

『サーチ・インサイド・ユアセルフ』 チャディー・メン・タン著より

言語を持たない脳が、私たちに教えてくれること。
確かな感覚はあるけれど、言葉にならない感じ。
でも、腹の底や胸のざわざわで、感じられること。

直感は言葉に出来なくて、ともすると掴み損ねてしまうときもある。

だから、逆に大脳基底核に教えてもらいたい時、「なんとなく」で語りかけてみるといいのかもしれない。

なんとなく、好きなことって何だろう。

なんとなく、辞めてみたいことって何だろう。

なんとなく、やってみたいことって何だろう。

「なんとなく」は、直感を司る脳にアクセスできるミラクルワードなのかもしれない。

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