『デシベル・ジョーンズの銀河(スペース)オペラ』レビュー
『デシベル・ジョーンズの銀河(スペース)オペラ』
キャサリン・M・ヴァレンテ (著) / 小野田 和子 (翻訳)
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表紙の帯をみて、てっきり、「俺の歌をきけぇ!」ってやつかと思って手に取ってみた本なのですが、残念ながら日本の某アニメとはぜんぜん関係ありませんでした。ちぇー(笑)
♪♪♪
さあて、お話のほうは……?
宇宙の彼方より突如襲来した「エスカ」という青色のフラミンゴ+魚スタイルの奇っ怪なエイリアン曰く、地球人はひとりぼっちどころじゃなく、銀河には生命がみちみちに満ちあふれていて、常に食うか食われるかヤルかヤラレルかの競争を繰り広げているのだそう。
で、生命のヒエラルキーで問題になるのは、尊重されるべき「人」か、消費されるべき「肉」か。
なにが人(といっても宇宙人だけれど)と肉を分けているのか。ということ。
知能のあるなしで決めるとか言ったって、地球でいえばサルや犬、いわゆる動物にも知能らしきモノはあるし、コンピュータにだってありそうだし、言葉だってそう。歌や鳴き声でそれなりの言語的コミュニケーションを取る動物もいるでしょ。
さて、あんたらは本当に「人」なの? 「肉」じゃなくて?
というわけで、宇宙生命たちはその判定に「知覚力」を用いるのだとか。
本当に他人を想い愛せるか、アートが理解できるか、音楽のビートに乗れるのか、歌を楽しめるのかオリジナルを作曲しプレイできるのか。
そこで、銀河市民たれる「知覚力」をその種族がもっているかどうかの判定として、定期的に開催されるのが音楽の祭典「メタ銀河系グランプリ」なのだとか。そこに、各種族から代表として一チームが参加し、一曲歌うこと。それをほかの参加者含め皆で審査しますよ。と。で、そのコンテストの審査結果が最下位になった種族は、知覚力なしと見なされて宇宙からその存在が抹消されてしまうのDEATHよ。と。
ででで、今回めでたく(?)地球人類もその銀河の祭典への参加資格があたえられることになりました。参加しなかった場合は、問答無用で最下位と見なし、全人類まとめて存在を消しちゃいますよー。と、これまた楽しげに(地球人類すべてに)告知されたというわけ。
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そんなエイリアンから、人類の代表として選ばれたのは、
かつて、一世を風靡したロックスター、でももう落ち目の中年男性になってしまっているデシベル・ジョーンズその人なのでありました。
デジベルと、彼のバックバンド、”デシベル・ジョーンズ&絶対零度(アブソリュート・ゼロズ)”のメンバー、千の楽器を弾きこなすオールトは、ともにエイリアン・エスカの宇宙船でグランプリの会場となる七千光年彼方の惑星へ向かうのでした。
はてさて、未知の異星でデシベルたちはまともにプレイできるのか?
人類の命運やいかに!?
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というかんじのお話なのですが、いやはやめちゃくちゃな情報量。雑多なSF的ガジェットと世界の音楽シーンの雑学が渾然一体となって、かつお下品でクドい文章の洪水です。
これ、なんかに似てると思ったら、(著者のあとがき、じゃなくてライナーノーツに曰く)ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイクガイド』なんですね。
あのしっちゃかめっちゃかなノリそのままです。
ゴテゴテの装飾過多な文章は一見とても読みにくいのですが、このノリ、リズムにのってしまうと、結構くどさも味わえるようになります。クセになっちゃうかも?
ただまあ、やっぱりとっつきにくくて読み手を選びそう。これは音楽でも同じですね。
モチーフになっているのはヨーロッパで毎年開催されている「ユーロビジョン・ソング・コンテスト(ESC)」なのだとか。日本では知名度がひくいようですが(私も知りませんでした)。ここでの優勝が世界的な成功をもたらすミュージシャンも多いのだそうです。(スウェーデン代表のアパや、スイス代表のセリーヌ・ディオンなどなど)
音楽性よりも視覚にうったえる派手なパフォーマンスが重視されている大会だそうで、そんなところもめちゃくちゃな「メタ銀河系グランプリ」っぽいのかなあというかんじです。(ESCを知らなかったので、今回その銀河版のほうを先に知ってしまったわけですがw)
さて、読んでいくとめちゃくちゃな文体の影に、結構真面目な読みどころもかくされていて、特に「知覚力」という生命の指標はなるほどねえとうなづかせてくれます。
図らずも地球代表にされてしまったジョーンズが、宇宙人にどう「知覚力」をアピールできるのか、めっきり曲も作れなくなってしまった落ち目のおっさんミュージシャンがどう這い上がるのか、はてまたそのまま落ちていくのか。怒涛の文章(音)圧に最後まで目と耳が離せない、宇宙(スペース)の歌劇(オペラ)なのでありました。