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『イシ / 北米最後の野生インディアン』レビュー

表紙

『イシ / 北米最後の野生インディアン』

シオドーラ・クローバー (著)  /  行方 昭夫 (翻訳)

※ご注意:本レビューは本文に従ってネイティブ・アメリカンのことをインディアンと記させていただきます。あらかじめご了承ください※

1911年8月29日早朝、カルフォルニア州ラッセン山の麓、オロヴィルに近いある畜殺場の柵囲いに、興奮する犬に吠え立てられ追い詰められた一人の男が縋り付いていた。
彼こそは、35年前の悲劇的な衝突以来白人との接触を断ち、絶滅したと思われていた北米で最後に発見された野生のインディアンであり、後にイシと呼ばれることになる人物である。

時は1850年代にさかのぼる。それまで一部のスペイン系宣教師程度しか足を踏み入れていなかったこのカルフォルニアの地に、東にそびえるシエラ・ネバダ山脈を超えて多数の幌馬車がやってきた。ゴールドラッシュである。
それ以前のインディアン時代のカルフォルニア州全体の人口(インディアンの)は推定15万人、多くてもせいぜい25万人程度だったろうと言われているところに、ゴールドラッシュ以後の1860年には白人だけで39万人がこの地に押し寄せてきていた。
カルフォルニアに至る前の白人たちにとって、インディアンといえば悪しき存在で、食料や家畜、女子供を狙う、人間ではない野蛮で獰猛な野獣であり、討伐対象であった。
「良いインディアンは死んだインディアンだけ」という言葉そのままに、自然と共に生きていたせいぜい銛や弓で狩猟をするための武器しかもたない素朴なインディアンたちを、白人たちは銃で追い詰め、こぞって虐殺し、頭の皮をはぎ、わずか数年で滅亡させてしまったのである。

この本の前半の第一部は、最後に残された「イシ」の潜伏の期間と、それに至る虐殺の歴史が、わかる限りの記録にそって推察され記されています。
客観的に感情を排した明晰な文体は、当時の白人の残虐性を浮き彫りにしており、読んでいて胸が悪くなってきます。

それに対して、第二部では、まったく状況が変わります。

白人に保護された「イシ」は、当人がひどく恐れていたように、白い悪魔たちに捕らえられ処刑される。などというようなことはなく、カルフォルニア大学の人類学博物館に敬意をもって迎え入れられ、研究責任者のアルフレッド・クローバー博士らと友情をはぐくみ、博物館を終生の自分の家として、新たな生活をすることになるのです。
第二部からは、この友誼と、石器時代の生活から近代的な生活へひとまたぎにやってきた男の、まるでタイムトラベルのような生活ギャップと異文化交流の物語がつづられます。

興味深いのは、白人からの、自分たちが滅亡に追い込んだ種族に対する哀れみや憐憫や後悔といった感情よりむしろ、近代社会に毒されていない生き方をしていた偉大な種族の生き残りに対する尊敬の念、敬意と敬愛をもって人々がイシに接していたことが読み取れることです。

結局、「イシ」は、インディアンには抗体がない白人がもちこんだ「白い病気」である結核によって5年後に亡くなってしまうのですが、それまでの苦境から一転した、新たに縁を結んだ友人たちとの生活を生き生きと楽しむ姿は、わずか数年とはいえ「よかったねぇぇ」と思わず感涙してしまいます。
また、彼は、その5年間の間に自らの種族の哲学や信仰、生活を白い友人たちに伝え、最後の時は冷静に覚悟を持って自分の運命を受け入れていたようです。

第一部同様、なるべく客観的にまとめていこうという著者の姿勢で第二部も綴られています。

それは、主観的で感情的な文章になることを避けるため、イシの魅力に惚れこみ親友となったアルフレッド・クローバー博士の筆ではなく、あえて直接イシに会うことがなかったアルフレッド博士の妻であるシオドーラ・クローバー女史による著作であることからもうかがえてきます。

さて、以下、余談になりますが、なんとこのクローバー博士夫妻は、あの「ゲド戦記」のアーシュラ・K・ル=グウィンのご両親なのです。

そういえばゲド戦記のアースシーの住人は赤褐色の肌の人たちでしたね。彼らの世界観や生死感は以前は日本人のそれと似ていると思っていましたが、それよりもずっとイシの種族(ヤヒ族)に近い気がします。
※「イシ」というのはヤヒ族の言葉で「人」を表します。彼らは自分たちの名前を決して明かさないため、白人に保護された後に「イシ」と名付けられたのです。
こんなところもゲド的ですね。インディアンのヤヒ族は海を知らない種族でしたが、彼らを多島・群島アーキペラゴ世界に船出させたのがゲド戦記の世界といえるのかもしれません。

岩波現代文庫版には、そのアーシュラ・K・ル=グウィンによる序文が掲載されています。最後にその序文の末文を転記しておくことにします。

イシの足は「幅広で頑丈、足の指は真直ぐできれいで、縦および横のそり具合は完璧で」あった。注意深い歩き方は優美で、「一歩一歩は慎重に踏み出され……まるで地面の上をすべるように足が動く」のであった。この足取りは侵略者が長靴をはいた足で、どしんどしんと大またに歩くのとは違って、地球という共同体の一員として、他の人間や他の生物と心を通わせながら軽やかに進む歩き方だ。イシが今世紀の孤島の岸辺にたった一つ残した足跡はーーもしそれに注目しようとしさえすればーー おごり高ぶって、勝手に作り出した孤独に悩む今日の人間に、自分はひとりぼっちではないのだと教えることだろう。

                    一九九一年六月六日
                    アーシュラ・K. ル=グウィン

U・K. ル=グウィンによる序文より

最後と言いつつ追記:もうひとつ、U・K・ルグウィンによる『インディアンのおじさん』というスピーチに添えられた文も掲載しておきましょう。

イシの物語は、西部がどうやってアメリカのものになったか、アメリカ人とは何かの二つを知っていると思っている人たち、この二つを学びたいと思う人たちすべてが読まなければならないものだとわたしは考えている。

U・K. ル=グウィン『ファンタジーと言葉』収録『インディアンのおじさん』より



さらに追記:同じくシオドーラ・クローバー女史による、より主観的で文学的な内容の『イシ: 二つの世界に生きたインディアンの物語 』という本もあります。

こちらはまさに『物語』。どっぷりイシの世界に浸りたい方におすすめです。(読んでいるとなんだか『ゲド戦記』の北米舞台編を読んでる気分になります)


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