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『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』レビュー

表紙

『プロトコル・オブ・ヒューマニティ』
長谷敏司 (著/文)

身体表現の限界を追及するコンテンポラリーダンスの若手ダンサー護堂恒明は、不慮の事故で右足を失ってしまいます。
一命をとりとめたと言え、人生のすべてをダンスに打ち込んできた人間にとって、足を失くし、踊れなくなることはもう死んだも同然。
これでは生きている意味がないと絶望してしまう恒明。
しかし、そんな失意の中で、AIで制御されるロボット義足の存在を知った彼は、そこにかすかな光明を見いだすのでした。

「ロボット義足と人間ダンサーのコラボレーションによるダンスという新しい表現への挑戦」

おおざっぱにまとめるとこんな一言になりそうな話なのです。が、何しろ義足はAI制御ですから、勝手に転ばないように足の位置を補正しやがったりします。つまり、ダンスによく求められる意図的にバランスを崩すような足運びをしようとすると、人間の意思とは関係なく別の(安全な)場所に足をつこうとするのです。
これではダンスにならないと、リハビリや肉体の鍛錬だけでない負担を感じていく主人公。
そのうえ、まだ踊れない、つまり仕事のない若手ダンサーの生活苦という世知辛い現実と、さらなる地獄のような日々も降りかかってくるのです><

ちなみに、義足と一言に言っても、人間の身体には一部が接しているだけで埋め込まれているわけではありません、あくまで肉体とは別の物体です。そして、別の意思(意図)を持っているわけです。
この結合された別の物体どうしがうまく協調し、ダンスをするということは、文字通り一筋縄ではいかないのです。

最初は不幸をはねのけ、機械の力を借りて再生するダンサーの話だと単純に思っていましたが、読み進めるうちにそんな簡単な話ではなく、人間と機械の共生というテーマを深く掘り下げていく軸に、人生や命の重さ、身体表現というアート(とそれに魂を持って行かれた人々)についてが複合的に絡み合う、とんでもなく深い話だと感じました。

人間より機械のほうがダンスをうまく踊れる時代に、人の踊るダンスの、何をもって人は「人間らしい」と感じるのでしょうか。
そこには、人間らしさを伝達する手続き(プロトコル)がきっとあるはず。
そしてまた、そのプロトコルをコンピュータと共有することができれば、誤解やコンフリクトのない正確な意思の伝達(コミュニケーション)が行えて、「うまくいきさえすれば」まさに機械と人間との共生が可能な時代になるにちがいない。

この、「うまくいきさえすれば」というおぼろげな光明を目指し、絶望の暗闇のなかをもがきながら進み、踊り、踊ることで語る。そんな主人公のダンスを文字で表現している文章は必読です。

※なお、作中で具体的にそのプロトコルについてわかりやすく明かされています、なるほどと思いますが、それについては是非読んでみて下さい。



#長谷敏司 #SF #ダンス #義足 #AI #身体表現 #アート #らせんの本棚


蛇足

この本読んでて思い出した二冊のレビューも参考までにはっとくます。

↑これは機械VS人間の人間らしさ競争の話。(ノンフィクション)

↑こちらも物言わぬ(はずだったんだけどw)機械(戦闘機)と人間とのコミュニケーションの話。(ダンスのかわり(?)にジャムという異星体も絡んできます)

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