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『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』レビュー
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『その子どもはなぜ、おかゆのなかで煮えているのか』
アグラヤ・ヴェテラニー (著) / 松永美穂 (翻訳)
◇
なんともぞわっとするタイトルに惹かれて手に取ってページを開き、読んで。そう、読んでしまいました。ページをめくり続け、読み続けながらもこのぞわわ感は続き、増幅されていきます。
そして、読了後の訳者さんのあとがきで、著者の自伝的小説であること、彼女の出版後の運命などを知り、またさらにぞわぞわしているところです。
とは言っても、べつに恐怖小説というわけではありません。
いや、まあ、怖いっちゃ怖いのですけれど。
その怖さは、この残酷な現実の世界を、真正に、「ひた。」と見据えた感情の結晶。といったイメージです。ある意味おろかでピュアで純粋で、美しいとさえいえるイメージとイマジネーション。冷徹なメルへン。そして詩情なのでありました。
◇
本書は、独裁政権下のルーマニアで1962年にサーカスの家庭に生まれ、5歳の時に家族と共に西側に亡命した少女の記憶です。
文章はみじかく区切られ反復の多い詩のような文体で、現在形が多く使われ、ところどころ叫び声のように大きなゴシックの文字が目を引く、まさに「わたし」である子どもの視点の語りをそのまま綴っている印象。
サーカスの芸人を生業とし、各国をめぐる一家。酒浸りの「父さん」は道化師で映画撮影狂い。しょっちゅうカメラを回して撮影のために「わたし」の大切なお人形をバラバラにしたり、ホテルのバルコニーでものを燃やしたり。「母さん」や家族に暴力をふるったり……。
子供には愛情深いもののヒステリックなところもある「母さん」はアクロバット芸人。長い髪の毛でサーカステントの天井からぶら下がったり、綱渡りをしたり。
父の連れ子であり愛人(!?)でもある(らしい)「姉さん」と、共に亡命してきた「おばさん」に世話を焼かれながら密やかに「わたし」は育てられます。
物心ついたときからずっと自分の国には帰れず、外国をめぐりつづける「わたし」。
どこの国でもキャンピングカーから出ないように、他人とは口をきかないように。
故郷のスパイや秘密警察に見つからないように。
このじわじわと圧迫してくる恐怖感に加え、毎夜「母さん」がサーカス小屋の丸天井から墜落して死ぬところを想像して怯える「わたし」に、「姉さん」は『おかゆの中で煮えている子供』の話をしてくれます。
その子供がどんなふうに煮えているか、どれほど苦しいか想像すれば、気がまぎれるだろうというのですが……。
。。。
サーカスという狭い世界の人間関係の中で、「わたし」は成長していきます。
やがて、両親は離婚し、「母さん」に引き取られた「わたし」は、いかがわしい店で露出の多い衣装で踊り、男たちの視線にさらされながらお金を稼ぐようになり、危なっかしい思春期を送っていきます。職を失った「母さん」は「わたし」に教育を受けさせるよりも芸人としての栄華を望み、娘の稼ぎに依存していき、しかし、その「わたし」の契約も打ち切られて生活のめどは立たず……。
と、じわじわした圧迫感はどんどんと増していく中、彼女の生き方にメルヘンの『おかゆの中で煮えている子供』が重なっていくのです。
ごくごく小さな世界の中で育った彼女の感受性は、いびつで幼く、しかしなんというかだからこそ純粋で読んでいて目が離せなくなっていきます。
最初に書いたように、本書は著者の自伝的小説です。
亡命家族のサーカスで育つ子供。というちょっと普通ではない世界のリアリティが「真正さ」があると評価され、発表後に複数の文学賞を受賞したのです、が。
その後、彼女は深刻な精神状態に陥り、2002年二月にチューリヒ湖に入水自殺して水ら命を絶ったそうです。。。うへええ。
このぞわわ感、おわかりいただけるでしょうか……。
もちろん、自死した人が書いたから傑作というつもりはありません。が、それも著者の人生の結末だったのだなあと。二月なんて一番冷たい時期のチューリヒ湖の水面に思いをはせてしまうのでありました。合掌。
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