昼間に外出すると ふと目の前を歩く老人 なんと 年老いた頃の母に良く似た人 背丈から髪型 背中が丸くなり 足元はズボンに歩きやすい靴 シルバーカーをトボトボと押しならがら歩く姿は まさに生前の母そっくりで 思わず上から下までマジマジと眺めてしまう そして 有りし日の母を偲んでしまう あの頃 あの時 生きていた母に 何をしてあげていたのだろう 自身の生活を優先していた私は、じっくりと両親と一緒の時間を 過ごすことが大切だと気付いていなかった 昭和一桁生まれの母 3歳にして
つい最近に生まれてきた まだ3歳の孫娘が かなりの成長を遂げている スピード感ありの 記憶力と言葉数に 驚かされる毎日 これでも 自身の子育ては経験したが 時代が違う 目から鱗の育児あるある あまり 手を出さないで 見守っている しかし 孫娘と過ごす時間は かなり多く ここ2年は濃厚な関係 孫娘は食いしん坊 食べる事を忘れない 好きな物をみたら すぐに食べたい いっぱい〜いっぱい〜と叫んでいる 一日中2人きりだと さっき食べたのに もうお腹が空いたと 訴えてく
七夕の日 彼は私の手から離れて行った 哀しい物語の主人公のように 2人には逢えることない日 願いを込めて書いた短冊は あの日から 書けない 私にとっては 生涯忘れられない日 夫婦のカタチは いろいろあれど 最終的に私たちは 非凡な夫婦であった 衝撃的な出会いから 32年間の夫婦生活 が終わり ひとり残された私は 何をすべきかもわからない あまりにも2人の時間は 濃厚で幸せだったからなのか 彼を知ったのは 15歳 彼を意識したのは 18歳 そして 俗に言う 不倫
奥さんという声かけ(・・?) もう死語といってもいいぐらい 私の中では忘れていた 言葉 つい最近 身近な人から かけられた言葉 若い日は 子どもを連れて市場に行くと 「奥さん、今日は何する? 」とか声をかけられた 日常によく見る光景だったし 私の母の時代には当たり前の 表現だった その時代でも 若い母親には 「お姉さん、今日は何する?」と気遣いのある店主は 居た 私は、奥さんという言葉は 嫌い だって 奥に控えているって事だし じゃあ夫はご主人になる訳だし お
若い頃に、アパレルに入社後 東京にて社員研修があった。 初めて会った 同期?の彼女は 私よりも若い子。 ホテルは彼女と同室で 話すことは無いなぁ⁇ キャピキャピ感満載の彼女とは異次元だ! 眠る前に 彼女は彼氏の話をする ん、?何も聞いてないよ! しかし彼女は 幸福とは何ぞやと語り出した 彼に抱かれている時が 1番幸せなんだ!と そうなんだー キャピキャピ彼女はそんなに彼氏のことを一途に愛しているのか? 私にもそんなシーンはあるが そんな事は一時的な幸福感だと思っていた
「線維筋痛症」とは、3ヶ月以上の長期にわたって、身体のあちこちの広い範囲に痛みが現れ身体の強いこわばりとともに、激しい疲労感、不眠、頭痛やうつ気分など多彩な症状を伴いますが、病気の原因はまだよくわかっていません。通常、さまざまな検査を行っても、特別な異常がみられないので、線維筋痛症の診断が遅れます。難病指定には患者数が多いためになりません。関節リウマチより多い病気です。命にかかわる病気ではないそいですが、現在のところ線維筋痛症を完治させる治療法がなかなかないため、日常生活へ
大切な人を 失った悲しみは それぞれに埋めていく 空を仰ぎ 夜空の星や月を眺め 花を愛でる 人をいつになく 恋しく思う その空白を 埋める作業で 心おだやかに 時を刻んでいく そうやって 愛する人を 見送っていき また、見送られる 逢うは別れの はじめなり
仕事はできない人より できる人の方が良い人生を生きているのだろうか 現代人は何事も、完璧に向け生きているようだ 思い通りに人生設計通りに 仕事も人間関係も 恋愛も上手く運び それなりの生を全うすれば 言うことはないかもしれない 小学校の時の成績も オール5を目指す 学力が高い事は将来を有望視されるのは必然だ 何事も完璧を求めて生きるのが人かもしれないが そうだろうか できない時もある ある程度 努力して ある程度は 手を抜く事は 本能的に感じとる部分だろう 巷では
最近、気になる言葉 承認欲求 ニュアンス的には 良くは感じないが 気になる 人間とは 誰かに認められたいもの 褒めてもらいたいもの 自分もそうだといえる 私の場合は 言葉で褒めてもらうのは 好きではない 慣れていないのか その言葉が本心なのかを 疑ってしまう 本能的なのか 経験がそうさせているのか 用心深いのか 人を心底から信用することができない 言葉より 心で感じる交流 受け入れてもらっていると 感じると 褒めてもらえれば とても心地よい 承認欲求が強すぎるの
もう 子育ても一通り終わったと 一応、自分に言い聞かせてる私は年金生活者。 同世代の子どもを持つ親たちの話題は子どもの結婚、出産と賑やかな便りが聞こえてくる。 我が家はまだまだ 悩み尽きない毎日の生活。 子どもの自立、親の自立、 まだまだ縁遠く いつになれば手が離れるのかがわからない 多分、永遠と続くのだろう。 しかし、何かの節目が欲しいのが今の心境で 少しでも楽になればいいのに、しんどいなぁと本音が漏れる。 こんなことなら 20歳までは手塩にかけて育てて以降は 自立を
今、人生の坂道で立ち止まり 戸惑っている私 登りたくても 踏み出せない がむしゃらに生きてきて 後ろを振り返る暇もなかった それは時間に追われる生活のためか 何も考えずいたのか 自分自身を信じていたのか あれよこれよと膨大な時間が過ぎてふと これで良かったのか? と振り返り不安になる 単純に言うと時間に余裕ができた からなのか 娘時代には母 妻になると夫 嫁になると義理の親 仕事では上司 家庭では子ども その時々に紡ぐ関係があり その柵の中を上手く 潜り抜けながら 生き
稀有な体験と少し違うが忘れられない経験した事を思い出したので 書き止めて置きたくなった またまた昔話だが 高校生だったある日の出来事 10代の頃は好きに遊びまわっていた 今思えば本当に自由奔放な楽しい時代を過ごした 街へ出かけ、お茶したり映画を観たり ショッピングなど そう、そんなある日 地下街の人混みはいつもと変わらず 賑わっていた 行き交う人々は逆らわずに左右に分かれて流れに乗り移動する ふと反対側の遠くから歩いてくる人を見て驚いた なんと父が人混みの中に居た ただ父
またまた、過去話で 申し訳ないのですが、、、 これは 超レアかもしれないので noteに 書き止めておきたいのです 8年前に 私と子ども2人を残して 逝ってしまった マイダーリン 命日は七夕の日 語呂合わせや、数字遊び 賭け事の大好きだった マイダーリン 亡くなる日を7月7日を選んだのも そんな生き方を表現した かったようです しかし、私にとって 毎年の七夕祭りは 海の底に沈んでしまいたい 気分になるのですが… そうそう話は 稀有な体験ですね! マイダーリンの葬儀の時
19歳で別れた彼の 風のたよりは 21歳で異国の地 ドイツで結婚したという話 あれから 40数年の時が流れた 大恋愛では無かったが なぜか たまに思い出す彼 17歳のとき 私がバイトしてる喫茶店に ハットを深々と被り ホットコーヒーを注文した彼 無口で暗い印象がした 2回目の来店時に共通の友人 からの紹介できたと言った それから 付き合うことになる 好きなタイプと違うけど 優しい人だった いつも笑わせてくれた お互いに高校も卒業 私は短大へ しかし、19歳の秋 彼は家業
人との会話って悩ましい これまでそんなに気にしていなかった 年齢を重ねると どうしても自分の価値観が固まって いるようだ 普段の人との会話 そやね!も言うけど でもね!が多くない? いやいや そやから やから だから ん、それは相手を否定的に しているようだ そんなつもりは毛頭ない 今までの経験上の話を出したり アドバイス的に会話をすすめていたが いつのまにか 不快感を与えていたようだ ある人からの 指摘されで 気付かされた まず 相手を受け入れることは とても大事 そ
さて沖縄暮らし?も慣れた なのになんで〜朝から天気悪いし 仕方がないので やるっきやないやん💦 今日はこの旅のメインの 美ら海水族館へ🐟GO ホテル近くのイオンモール前からの バスに乗り 約2時間 大人片道2000円なり 北谷から58号線を抜けて 高速道路へ 海沿いを走る 天気が良ければ最高だぁー 北へ行くほど 天候は荒れて なんと土砂降り💦 かろうじて持参した 折りたたみ傘で 嵐のような中を行く 途中、噴水広場で休憩 居合わせた人達は口々に残念だと 美しい海を見たかっ