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満ち足りた生き方 2つのパターン J.S.ミル『功利主義』

こんにちは、らるです。

今日も『功利主義』の内容を紹介していきます。

今回紹介する内容は
私としては「それでいいんだ」と
ちょっと救われた
内容になります。

満ち足りた生き方の主な要素は、
二つある
ように見える。
静穏な気分でいることと、
高揚した気分でいることである。
これらのどちらかだけでも、
満ち足りた生き方という目的に
十分応えてくれることもしばしばある。
(中略)
静穏な気分でいることが多ければ、
大多数の人々は、ごくわずかな快楽でも
満足できることに気づく。
高揚した気分でいることが多ければ
大多数の人々は、かなりの量の苦痛でも
耐えることができる。

P38

満ち足りた生き方の要素には

・静穏な気分
・高揚した気分

という二つの要素があります。

私自身も、それは感じていて
「ずっと静穏であればいいのに…」とか
「高揚した気分が忘れられない…」とか

私の本当の幸福は
どちらにあるのだろう…?

というのが、私が最近悩んでいたことの
一つ
としてありました。

それに対するミルの答えはこうです。

これら二つは両立不可能などころか、
むしろ自然に結びついている
からである。
どちらか一方が長く続けば、
他方に向けた準備が進み、
そちらへの願望をかき立てることに
なるのである。

P39

要は、どちらもあるのが普通。

ずっと静穏だと、高揚が欲しくなるし
ずっと高揚していると、静穏が欲しくなる

これが自然だということです。

私の感じていた悩みはこれで解決しました。

「静穏」と「高揚」
どちらかを選ぶ必要はなく
どちらもあっていいのだ
ということです。

逆に「どちらかしか望まない」人のことも
併せて書かれています。

一定期間の休息の後でも
高揚した気分を望まないのは、
怠惰が極まって
悪徳にまでなっているような人だけである。
高揚した気分が強ければ強いほど、
後に続く静穏な気分も快く感じるというのではなく、
むしろ、退屈で味気なく感じるのは、
高揚した気分への欲求が
病的になっている人だけである。

P38

静穏しか望まない
高揚しか望まない
と言う人は病的である
と述べています。

だとすると、私の感じていた
「どちらが本当の幸福か」という悩みは
多くの人が感じていたことなのかもしれません。

これを読んだあなたは
どういう考えをお持ちでしょうか?

まとめ

満ち足りた生き方の要素は2つある

・静穏な気分
・高揚した気分

これらは両立しているのが普通で

ずっと静穏だと、高揚が欲しくなるし
ずっと高揚していると、静穏が欲しくなる

という性質のものである。



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